息苦しい訴えを不定愁訴と決めてはいけない。 | 褥瘡ゼロを目指す 看護師の日記

褥瘡ゼロを目指す 看護師の日記

褥瘡ゼロを目指す看護師です。介護施設で働く看護師の日記。療養する全ての人が自分で動けなくても、意思表示出来なくても、穏やかに居られるように手伝いたい。その他の興味が向いた事も。

以前、不定愁訴の人が、胸の苦しさと息苦しさを訴えた。

狭心症発作だった。

その人が、ベッドサイドに行く大切さと、対応次第で不定愁訴の軽減ができることを教えてくれた。



気にしすぎにより、症状を訴えるひとがいる。

痛いとか、苦しいとか、めまいとか。

同じ部屋の人のケアをしていたら、「看護婦さん、苦しいからこっちもお願い」とか。

いつもそんな感じだと、正直「またか」という思いがよぎる。

でも、本当かもしれない。
だから毎回ベッドサイドに行って、顔色を見たり、異常がないかを確認する。

安心してもらえたら、症状が無くなる事もあるし、無駄ではないと思えるから、必ず行くようにしている。

ナースコールの多い患者に言わないようにしている2つの事がある。
「今度は何?」
→患者に自身が看護師に迷惑がられている印象を与えるから。
「どうもなってないよ。」
→患者が感じている苦痛を否定しているから。

高い声は出さない。
ゆっくりと、低めに、穏やかに、具合をたずねる。

訴えた内容は、患者がそう感じている事として、そのまま受け入れる。

他覚的に見て、訴えと症状の程度を
考え、処置が必要か訴えを聞くだけで良いのか判断する。



呼んでも来てもらえない不安は、大きいと思うから、呼ばれたら必ず行くようにする。

動けないし、苦しいし、助けを呼んでも来て貰えないなんて、恐怖でしかない。

我慢できるくらいだけど、呼んでも誰も来てくれなかったら、本当にどうにかなったとき、来てくれるのか?と不安に思いませんか。私は不安になるよ。

沢山やらなきゃいけないことはあるだろうけど、患者が訴える事ができる時は、側に行って、安心して良いことを声かけしたい。

私は今までそうした対応で、やらなきゃいけない仕事が出来なかったことはなかった。

いろんな環境があるから私の考えが正しいと言っているわけではなく、私が心がけていること。
私のキャラクターと、職場環境、患者層を合わせて、私自身が行う、仕事のやり方で納得いく方法を模索している。

そして、頑張っている姿勢を「いいね」と感じてもらえたら、明日の活力にできると思ってます。

はい、誉められたがりです。