映画『ジョーカー』(アメリカ、2019年) | 落語探偵事務所

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映画『ジョーカー』アメリカ、2019年、をようやく観てきました。

 

丸の内ピカデリーで〈アカデミー賞最多ノミネート記念再上映〉ということで2月に入って再上演されていたので行ってみました。

昨年の上演期間にみんな観てしまったのか、空いていました。

 

凄い映画でした。

言葉に直せない感情が何度もこみ上げてきました。

 

人間の尊厳がありとあらゆる方向から攻撃され、破壊されつくした時、怒りと増悪で充満された悪のカリスマ・ジョーカーが誕生した、というストーリー…だとは知っていましたが、想像以上の内容で、仰け反りまくりました。

 

ゴミが散乱するゴッサムシティの様子には、あまりのリアリティに、冒頭から絶望的な気分になりました。

あと、街のあちこちの壁や、バスのカラス窓や、地下鉄などにスプレーによる独特の落書きがあることも。

 

アーサーが小児科の病室で子供たち相手にピエロの出し物をしている時に同僚から貰った拳銃を落としてしまうシーンでは、私は子供たちになりきって観ていたためか、ビビりまくって両手を挙げてしまいました(後ろで観ていたお客さんにご迷惑をおかけしてしまったと思います)。

 

アーサーが市の福祉事業でカウンセリングを受けて精神病(重度の鬱病でしょうか?)の薬を7種処方されていたのが、市による事業の廃止で、薬も打ち切りになる、という話は、アメリカでの実話なのでしょうが、これではダメだという絶望感と、これから日本でも類似の事象が出てくるのだろうかという暗い予想とでやるせない気持ちになりました。

 

アーサーが自分の出生の秘密を知り、また幼少期に母親から虐待を受けたことで脳を損傷され突如笑い出す発作という持病を抱えることになったことを知る過程では、アーサーの絶望感が感染したようで、身体の力が抜ける様でした。

 

アーサーが地下鉄で3人を射殺するシーンと、部屋を訪れてきた同僚をハサミで刺して壁に叩きつけて殺害するシーンでは、恐怖のあまりガタガタ震えてしまいました。

 

絶望に耐え、怒りが混みあがってきても耐え、全てに耐えて耐えて、それでもついに限界がきて、怒りと増悪が吹き上げてしまい、その塊りになってジョーカーに変身してしまったアーサー。

 

彼のことは理解できる。同情もする。

私もこんな状況に置かれたらジョーカーに堕ちるかもしれない、という可能性は否定しません。

だけれども共感はできない。共感したくない。

 

観終わって、映画の余韻に浸りながら、

登場人物のほとんどの行動を理解できても、

しかし誰にも共感できない、

共感してしまったらそれはテロ・殺人を肯定するだけ…

と困惑の様な言語化できない複雑な思いにも至りました。

 

明日2月10日はアカデミー賞の授賞式。

『ジョーカー』が獲るのか、あるいは栄冠は別の作品になるのか。

『ジョーカー』に獲ってほしいと思いながらも、何か複雑です。

授賞式前に観ておいて良かったとは思うのですが…。