初冬の横浜、馬車道。
 
師走とはいえど、この通りは、相変わらず落ち着いた大人の面持ちである。
 
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これで雨でも降っていれば、 ♪嗚呼 時折雨の降る 馬車道あたりで待っている…
 
と口ずさんで洒落込むところだが、幸か不幸か、冬晴れである。
 
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さて、そんな馬車道に、神奈川県立歴史博物館は在る。
 
取材班の、本日の突撃先はここなのである。
 
 
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威風堂々、格調高き佇まいもむべなるかな、この建物は今から110年も前、明治37(1904)年に
 
横浜正金銀行本店として創建されたものなのである。
 
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ネオ・バロック様式の本格的西洋建築で云々…とか、横浜正金銀行は…と言うくだりは、
 
Wikiでも参照して頂くとして、何故、我々(一人じゃん)取材班がこの地を突撃するかと言うと、
 
取りも直さずここが、港・横浜、ブルーライトヨコハマ、追いかけてヨコハマ、そのヨコハマ有数の…
 
心霊スポット だからである。
 
 

 
大正12(1923)年9月1日11時58分32秒。
 
相模湾沖を震源に発生した、M7.9の巨大地震が、首都圏を襲った。
 
大正関東地震と、それに伴う関東大震災の発生である。
 
横浜の被害も甚大であり、多くの家屋建物が倒壊し、市内各所は大火災により灰燼に帰した。
 
 
正金銀行本店は、「補強煉瓦造・石造」つまり、煉瓦を主に構造され、それを鉄材で補強し、
 
外板に厚みのある石材を貼る、と言う堅牢な作りが幸し、地震の激しい揺れにも倒壊しなかった。
 
 
地震発生直後から避難してきた人々や行員含めて約340名は、入口の鉄扉はもとより
 
窓のシャッターも閉めて内部への延焼を防いでいた。
 
それでも、上階から回った火が1階の内部まで焼き尽くす中、地下室に篭もり、
 
皆で励ましあい耐え忍んだ結果、一人の死傷者も出さずに生還できたと言う。
 
正金銀行本店は、嵐の如き火災にも耐え切ったのである。
 
 
ところが、である。
 
門扉が閉じられた後に正金銀行本店に辿りついた人々は、悲惨な運命を辿る事となった。
 
地獄の業火がようやく鎮火した後、正金銀行の周囲には、多くの焼死体が横たわっており、
 
その数140柱とも言われ、多くは激しい損傷のため人物特定も不可能な状態だった。
 
 
鎖された扉や窓を目前に、焼け死んだ人々の苦痛苦悶はいかばかりか。
 
開けてくれ、助けてくれ、と叫んだ人も多かったのではないだろうか…。
 
 
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 そんな訳で、旧横浜正金銀行本店、現神奈川県立歴史博物館には、
 
曰く「夜な夜な呻き声が聞こえる」 
 
曰く「建物の壁を、ガリガリと引っ掻く音がする」
 
曰く「地下のホールに出る」 
 
曰く「3階に開かずの部屋がある」 
 
曰く「震災の日には亡者が徘徊する」 …
 
等等のウワサが流れ、それは今日まで続いているのである。
 
 
ちなみに、旧来の心霊系サイトの多くはこれを「神奈川県立博物館」と表記しているが、
 
「神奈川県立博物館」は平成7(1995)年に、現「神奈川県立歴史博物館」に改称されている事を
 
付け加えておく。
 

 
さて、数々の「心スポ」を踏破し、その度逃げ帰った百戦錬磨のヘタレである取材班も、
 
このネオ・バロック調の本格的…(Wiki参照)を目前にすると、いささかの緊張を隠せない。
 
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いささかで思い出した蛇足ではあるが、サザエさんちの隣に住んでた、
 
いささか先生が小説家であり、その担当編集者がノリスケさんであるのはご存知の通りであるが、
 
いささか先生が恋愛小説家な事は余り知られていない。
 

またまた蛇足だが、原作では、いささか先生愛飲のヒロポンをカツオとワカメが飲んで大騒ぎ…
 
との、心温まるエピソードがあった事もまた、余り知られていない。
 
ヒロポンとは、メタンフェタミンという薬物であり、「疲労がポンととれる」のでヒロポン。

手っ取り早く言うと、シャブ、覚醒剤である。
 
「第二次世界大戦当時には連合国軍と枢軸国軍の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、
 
士気向上や疲労回復の目的で用いられた。21世紀初頭の近年、世界各国においてその蔓延の
 
急速な進行が確認されており、一例としてアメリカ合衆国では、『最も危険なドラッグ』

として語られるものとなっている…」とはWikiの解説である。


終戦直後の日本には「ポン中」と呼ばれる中毒者がいっぱいいたという。

本土兵器‼︎ の一つとして大量に生産・備蓄されたのが市中に出回ったらしい。

当時は合法薬で、普通に薬屋で買えるシロモノだったのである。

昭和26年施行の覚醒剤取締法により厳しく規制されるようになったが、

現在でも、G能界とかプロ野Q界なんかでは半ば公然と愛好されてるらしい。)
 
 
イメージ 4(←)いささか先生。エロもとい恋愛小説家にしてジャンキー
 
もとい、過激な疲労回復剤のヘビーユーザー。
 
人は見かけによらない…と言う事だ。
 
 
 
 
―そんな事はどうでも良い。
 
神奈川県立歴史博物館のハナシである。
 
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(↑)実質「地下」にあたる、地表面下の窓。上の画像の塀の下にある。
 
元銀行らしく鉄格子が嵌っており、恐らくここを…業火の中に取り残された…人々が…。
 
 
(↓)分厚い、鉄の扉。…恐らくここを…業火の中に取り残された…人々が…。
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さあ、ハマ有数の「心スポ」に、いよいよ踏み込む取材班の面々(一人だけどさ)。
 
レッドカーペットと旧態依然のドアが我々を迎える。
 
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 ちなみに、この入口は「馬車道口」である。正面口はほかにある。
 
しかし、神奈川県立歴史博物館にご来館の折は、是非とも馬車道口からお入りになることを
 
お勧めする。
 
 
(↓)正面口はそれなりに立派で近代的だが、同時に、どこにでもあるような設えであるから。
 
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という事で、馬車道口から突撃を試み、ギギイ…と音を立てそうな古びた扉を開け、中に入る取材班。
 
いやが上でも高まる期待感!!
 
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おう、館内の、この、いささか重苦しい雰囲気!! 期待を裏切らないこと甚だしいやんけ。
 
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 …出ても、おかしくはない…と思わせるほど、面妖な空気感が、いささか漂う…ような気がする。
 
 
(↓)いささか、歴史を感じさせられる、館内の扉。
 
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 イメージ 16(↓)いささか、いい感じの、館内軽食店。思わず、入ってしまう。
 
 (↓)軽食店内の船舶模型。窓の手回し把手も、いささか、味わい深い。
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朝飯を食ってなかった取材班。
 
軽食店のウリらしい「博物館のサンドイッチ」をたのんだら、気の良さそうなおばちゃ…ご婦人が、
 
「ゴメンなさいね~。これからパンを買いに行くのよ~」と朗らかに仰るので、じゃ、カレーで。
 
カレーも、サラダとコーヒー付きで500円ちょっとで、しかもとても美味しゅうございました。
 
いささか、特した気分になった取材班。
 
 

 
 
さて、腹も満ち、受付で300円也を支払い展示室に踏み込んだ取材班。
 
「発掘された御仏と仏具」なる特別展もやっており、立派な冊子も頂いた。
 
冊子だけで300円以上の価値はある!! 
 
 
常設も神奈川県内の歴史を古代から辿る安心感のある構成で、順路もわかり易い(コレ大事)。
 
石器~縄文の出土物から、特にやはり中世期つまり鎌倉系の展示が充実していて、
 
取材班なんかには、いささかの快感を与えてくれる。
 
そしてやはりヨコハマらしく、開港期の展示も頑張ってる感があり、好感度大であった。
 
 
特筆すべきは、各階に待機するボランティアの解説員さんが皆さんフレンドリーにお声を掛けて下さり、
 
非常に興味深いお話を聴かせて下さった事。
 
色々質問すると、あちらにも判らない事も出てきて、しかしそこで、ああではないかこうではないかと
 
歴史談義に花が咲き、いささか楽しい時間が流れる。
 
 
ここも週末には立て込むそうだが、平日空いている時に行き、国宝とか歴史的発見とかではないが、
 
昔に生きていた普通の人々の痕跡に、今に生きる普通の人々が、ゆっくりのったりとふれ合い
 
味わうと言うのは、実はとても良いのではないかと思う取材班である。
 
 
(↓)トイレの窓の、いささか味わいのある設え。
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 イメージ 19(↓)歴史的保存中につき、立ち入り禁止らしき階段。いささか、重みがある。
 
 イメージ 20(↓)館内の。そこここに、いささかの歴史を感じさせるデティールがある。
 
 
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いやしかし、ここは、神奈川県民なら一度は訪れる価値はある。
 
銭金ではないが、たった300円で、この歴史的建造物の中に入れ、しかも、郷土の歴史を、いささかにも
 
実感出来るのであるから。
 

 
え~っと?
 
何のハナシだったっけ? ああそうそう。心霊心霊。
 
 
実は、神奈川県立歴史博物館側も、そのようなハナシがある事は、いささかにすれ、認めている。
 
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 この件について、具体的に、職員の方々が、その様な体験をなさっているのか?
 
と、学芸員さんに質問した取材班。
 
 
学芸員さん 「個人的には、そのような体験はありません。」 
 
取材班 「では、やはり、単なる、『学校の怪談』的な、怪談話だと?」
 
学芸員さん 「はい。個人的には、そのような体験はないので…」
 
取材班 「個人的には…と言う事は、他の、例えば歴代の職員さんとかには、そのような体験を
 
された方も、いらっしゃるんですか?」
 
学芸員さん 「(やや複雑な声色で) いやぁ…。個人的には何もないので…、何とも…。」
 
取材班 「(質問を変えて)この怪談は、最近ネットで流布してますが、これは、震災直後から
 
巷で囁かれていたとの認識で宜しいでしょうか?」
 
学芸員さん 「そのようなご認識で宜しいと思います。」
 
 
お忙しい中、取材班の下らない質問に真摯にお答え頂いた学芸員さんに感謝するとともに、
 
真摯さ故、そのお答えの中に、いささかの言質をとったような気がするのもまた事実ではある。
 

 
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 ミュージアムショップで「赤い靴チョコ」を買い子供達へのお土産としつつ、現場を後にする取材班。
 
お化けが出るかどうかは兎も角、近在の方々でまだここを訪れた事のない方は、是非行ってみて
 
頂いたいと、改めて思いつつ、記事を終えるのである。
 

 
(↓)ヨコハマ土産のお菓子といえば、いささかこれか?