欲求には段階があります。
欲求を実現するための手段を、あたかも本当の欲求であるかのように勘違いすることがありますから注意が必要です。
例えば、パソコンのキーを見ないで打てるようになりたいと考えている場合は、早く記事を書き終わりたいからでしょう。
不安のない心を得たいと思っている受験生がいましたが、そのほうが勉強の能率が上がると思ったからです。
成績を上げたいというのが、その受験生の本当の欲求だったのです。
自分の本当の欲求を知るには、その欲求がかなえられたら何が得られるかというふうに突き詰めていきます。
例えば、夫に飲酒をやめてもらいというという欲求がある奥さんの場合は、夫が飲まなくなったらどうなるかと考えます。
飲酒で悩まされない落ち着いた生活が出来ます。
そうすると自分は、夫の酒に悩まされない落ち着いた生活を求めていることがわかります。
それならば、夫が飲酒していても、手に入れることは可能です。
人前で顔が赤面しない自分になりたいと思っていた人は、赤面しなくなったら、言いたい事も言え、仕事もちゃんとできるといいました。
自分の責任を果たす人になりたいというのが、その人の本当の欲求です。
それならば、赤面していても、自分の責任を果たすことは可能です。
自分の本当の欲求を知って正しく対処しないと、とんでもない間違いをおかしかねないです。
赤面恐怖の人が、顔の血管を拡張する神経を切ってくれといって、外科に訪ねていったことがありました。
しかし、この人の本来の欲求は人から認められる自分になりたいという事ですから、顔の神経を切ったからといって何の解決にもならないのです。