枯れ葉の香りが街中にも漂う晩秋、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回のお題は「紅葉」との事。
写真は先日伺った、京都嵐山常寂光院の紅葉です。

枯れ朽ちる様がこれほどまでに美しいとは、人間の常識からはなかなか考えられません。
特に美容の世界では老化は天敵!皺やシミを嫌悪する方も多いのではないでしょうか。
中にはアンチエイジングに拘り、若々しいお肌を保つ為に、衣食住とてつもない労力を払っている方々もいます。それも楽しいのかも知れませんが、時間もお金も労力もかかり、永遠に続くものではなく、一般的ではありませんね。
そんな美容業界にあってもFlanaはホリスティックな見方をしていますので、皆様ご存知の通りちょっと違っています。
セミナーでも良くお話ししますが、「綺麗」は物質に依存しますが、「美」は依存しません。
例えば、日本では美白に拘る方も多いですが、色白が「美」なのだとしたら、黒人の方々はどうなるのでしょうか?
美は肌の色に左右されますか?
はい、色白は「綺麗」ではありますが、「美」ではありませんね。
こうやって一つ一つ考えると、「美」という言葉を如何に抽象的に使用しているかが分かります。
「美」は、顔に痣や傷等があったり、日に焼けてシミだらけだったりしても影響を受けないのです。
美は万人に平等です。
そして、美は弱いものではありません。必ず強さが伴います。
本物の美が手間隙かけないと維持出来ないものだとしたら、美は限られた一部の人々にしか許されないという事になってしまいますが、実際には植物や動物始め自然界・宇宙全てに美は与えられています。
当たり前のように美を湛える自然から学びましょう。
藤池は茶花を習っていますが(不真面目な生徒であることは言わずもがな。。。)
茶道の千利休は花を活ける時に
「花は野にあるように」
と仰っています。
花は野生にある状態が完全である、それを茶室の中に再現せよ。
”今”を季節感・天候含め室内で全て表現せよ。
徒らに美しく活けようとせず、その花のあるがままの佇まいであるように。
という意味です。
茶花の場合、野から室内に持ってきてしまう以上「あるがままに活ける」これほど難しい事は無いのですが(^^;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
Flanaを通してお伝えしたい事も同じです。
人間も自然界の一部です。
あるがままの様が一番美しい。
これを目指します!
美も真理も物質には依存しません。
そのものの真髄である魂に宿ります。

では、紅葉が美しい理由はなんでしょうか?
潤いなんてゼロ、生命力も無し、けれど、その色の艶やかさや存在感たるや、花に負けません。
もうわかりますね。
彼らに取っては枯れる事も朽ちる事も、発芽や開花と同じなのです。
ただ、ただ、今を精一杯生き、生へ感謝しているだけ。
その魂の完全なる輝きが美を作るのです。
う~~~ん、こう枯れたいものです。
藤池は毎年この時期になると紅葉から学ばせて頂きます。
老いも病も、嬉しい事も悲しい事も、ただ受け入れ、周囲と共生し、今を十分生きる事を。
そして、美を備えた魂は、枯れても尚、生に感謝し周囲を楽しませる力強さを持つという事を。
今月もお健やかにお過ごしください。
takanawa 藤池
