「疲れた」と言わない生き方 | 哲史の部屋

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たった一度きりの人生なので、後悔なく、おもいっきり楽しく生きたいもの。そのために、こんな考え方、あんな考え方もあるってことをたくさん語っていきたいって思っている。

人間は、口に出した通りになる生き物であると俺は思っている。

仕事をやり始めた頃は、そんなことは知らず、俺は、日々疲れていても、疲れていなくても、「疲れた」という言葉をとにかく連発していた。

当然ながら、まわりからの反応は悪かったはずだが、その時は全く気づかなかった。

同期からは、俺があまりにも、その言葉ばかり言うので、注意されることもあったが、俺はどうすることもできなかった。

あの当時は、言葉のボキャブラリーが乏しく、自分の中では、「疲れた」という言葉を口から出していれば、その場の空気を埋め合わせできるもんだと思っていたにちがいない。

まず、ここで言いたい。

「疲れた」という言葉を口から出せば、人は皆、疲れてしまうのだ。

そして、もし疲れていなくても、口癖のように「疲れた」という言葉を口から出してしまうと、人は言葉の通りに、本当に疲れてしまうのだ。

こう断言できるようになるまでには、仕事をし始めてから、25年もの月日を要した。

「疲れた」という言葉を言わなくなってから、俺は、本当に疲れなくなった。

決して「疲れていない」という言葉を多く言うわけではないけど、いつでもどこでもどんなときでも、全く疲れないようになった。

そうなったとしても、スーパーマンではない。

ただ、俺は「疲れた」という言葉を使わない人なのである。

疲れていないと、何がいいかと言うと、いつでも、仕事に対して、やる気に満ち溢れているのだ。

これは、仕事面だけではなく、家庭面でも、プライベート面でも、良い影響が出ている。

もし、まわりに「疲れた」という言葉を口に出している人がいれば、積極的にサポートし、疲れている人を、おもいっきり休ませてあげられるのだ。

それと、いつも疲れていては、せっかくのプライベートが、全力投球できないはず。

そして、休日とは、仕事は疲れるものだから、体を休ませる日ではなく、ただ単に、仕事をやらなくていい日なのである。

そう考えてしまうと、休日でも休日以外でも、いつだって疲れている場合ではなく、常に元気いっぱいで、やる気マンマンでいないといけないって思っている。

俺のように、「疲れた」という言葉を、よく使っている人がいれば、できる限り、使わないようにするといいと思う。

そうすることで、日々の生活が変わると思うし、まわりからの目も変わると思う。

最後に、もう一言。

「疲れた」という言葉だけでなく、人間は、発する言葉の通りに導かれるので、是非とも、「人生は楽しい」「いつも幸せ」のような言葉も、たくさん使って欲しいと思っている。