さわ姉です♩

初めましての方はこちら

 

連日、お知らせしている

今日は
アイガモの谷口の代表理事である
理事長の言葉ルンルン
いつも父親(社長)の言葉を信じ
真っ直ぐに真面目に取り組む
素敵な理事長です口笛

長くなりますが
どうぞ最後までお付き合い下さい♡
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〜自然循環農法を始めるきっかけ〜

家訓の1つに「あいよりはじめのもとにかえる」という言葉があります。難しい言葉でありますが、私たちは、自然界が師匠と考えています。すべてのものが、「もとにかえる」ことすなわち自然循環をし続けることが、大切であると教えていただいています。


 13代目の父は、米作りを営む中で、昭和60年頃より、生産効率をあげ、収量を目指す農業に疑問を感じていました。お米を取るために、たくさんの農薬を使うことが、いいのか自問自答していました。そんな頃、殺菌殺虫防除を行った際に体調を崩したのです。それは、農薬散布することで、薬品中毒になったのです。薬品の怖さは知っていたつもりでしたが、自分の体に影響があったことで、農薬の怖さを知ったのです。それから、何とか農薬を使わない米作りができないのか 模索しました。鯉を田んぼに放す農法や機械除草などいろんな農法を調べて、試験栽培をしていました。しかし、なかなかうまくいきませんでした。


 平成212月に父は、右腕を切断する大きな事故にあったのです。生死をさまようような大きな事故だったのです。その時運転していたのは、私なのです。私は、自分を責めました。すべて私のせいで父の大事な人生に申し訳ないことをしてしまった。しかし、父は、私を責めることなく、「わしで良かったんだ、お前でなくて」と言ってくれました。私は、一生をかけて父を支えていかなければいけない。父の右腕の代わりになるのだと決めたのです。父は、泣き言も言わず、リハビリを行い、義手を上手に操るまでになりました。以前にまして、農業に対して熱い思いを話してくれました。私は、どんなに救われたことか。父は、大きな障害を受けてもなお農業に対して大きな夢を描いたのです。またこの時より、以前に増して、健康について考えるようになっていきました。そんな姿に、父と一緒に父の夢の実現をしたいと思ったのです。

 

 平成3年にアイガモ農法に出会ったのです。家族で早速、鹿児島まで勉強に行きました。このアイガモ農法の考え方が、家訓である「あいよりはじめのもとにかえる」教えと合致したのです。これだ、この農法が、探し求めてきた農業のモデルであり、私たちが目指す農業の実現するためには、大切な農法であると感じたのです。

 

 平成4年から30aの田んぼから栽培しました。四苦八苦しながら、1年が経ちました。素晴らしいイネの姿に父は自信を深めました。

また平成5年の冷夏の年にもかかわらず、アイガモを放した稲は素晴らしいお米が出来たのです。


このころからお米を直接お客様に販売するようになり、口コミで、どんどんと広がっていきました。今でも食べ続けていただくお客様が私たちを支えてくれています。 手ごたえを感じた父は、家族みんなに、我が家の目指す農業の実現を一緒にしたいと話してくれました。片腕になって不自由になってもなお、失敗も恐れず前に進む父の姿に、家族も気持ちを一つになって頑張ろうと言ったのです。まだ農業のことがわからない自分でしたが、自然循環を生かした農業の実現こそが、私たちの進む道だと感じたのです。

 

 父や母、嫁や弟夫婦たちと手分けをしながら年々面積を増やし、多くのお客様にお米を届けるようになりました。目指す方向は一緒でも方法論で、父や弟とも言い合いになることもありました。誰もしたことのないことを自分たちでやろうとしたので、なかなか上手くいかない事もありました。思いは一つ、捨てるものはない、すべてを生かす 自然循環を生かした農業の実践と確立をすることだったのです。

 

 平成13年には、環境保全型農業コンクールにて優秀賞を受賞しました。目指すべき方向性の正しさを実感したのです。家族経営であった我が家も、将来に残すことのできる企業体になりたいとの思いと、子供たちが共同で経営できる会社づくりをめざし、農事組合法人 アイガモの谷口を設立いたしました。

 その年に毎日新聞農業コンクールにおいて、農林水産大臣賞を受賞いたしました。経営規模も小さく法人になったばかりでしたが、アイガモ農法を通じ、自然循環を生かした農業を目指した取り組みに対して評価をして頂きました。自信と誇りを持つ事が出来ました。父の指導の下、家族が中心の経営体ではありますが、法人として、出来ることから始める精神で何事にも取り組むようにしています。私たちの考えを理解し、お米を食べていただく方が年々増え、栽培面積も大きくしてきました。様々な問題にも苦しんだり、心が折れそうなときもありましたが、お客様からの温かいお言葉にどんなに救われ、勇気を頂いたことか。また子供たちも年々大きくなり、息子や娘、甥や姪もみんなが手伝ってくれました。特に外の作業は、弟の隆弘が、頑張ってくれていました。

 

 しかし、平成25年 弟、隆弘との別れが突然きたのです。朝になっても目を覚ますことなく、そのまま永遠の眠りについたのです。田植えの時期で、最も忙しい時期でした。家族も悲しむ間もないぐらい、何が何だかわからない状態でした。田植えをして、ネットを張って、鴨を放して。悲しい気持ちと何としなければとの思いでした。とても辛かった1年でした。でもお客様をはじめ多くの方々に支えられてお米を作る事が出来ました弟を亡くしましたが、

子供や甥っ子たちが一緒になり、この難局を乗り越える事が出来たのです。


両親も辛く苦しんだと思います。弟の嫁も辛かったと思います。でもみんな泣き言も言わずに

一緒に頑張りました。 

 この時もいろいろな苦難を私たちに与えたのも自然なんです。そんな苦難も必ず乗り越える事が出来る。それを受け入れる心の強さを私たちは、学んだのです。

 

 平成23311日 東日本大震災での原発問題発生。この時私も東京で被災しました。自然の猛威が、多くの人の命を奪うとんでもないことでした。経験したこともないような出来事にただただ、人間の力の無能さを感じたのです。

 この出来事は、われわれ人間に対して、自然界からの警笛ではないかと感じたのです。自然界からのメッセージではないかと。人間が、人間の都合で、自然界に負担をかけ続けた結果が、形を変えて我々に返ってきたのではないか

と思うのです。

私たちに出来ることは、自然循環を大切にした農業を、し続けるしかないと考えています。農業は永遠に大切な仕事です。農業は、一人ではできません。多くの方々に支えを頂きながら今があります。これからも多くの人に支えられながら、目指す農業の実践をこれからも頑張りたいと思います。


今回のプロジェクトは、そんなわが家の歴史の1ページに皆様のお力を頂き、多くの共感をしていただける農家になりたいと思っています