それは、人間社会という隔離された枠組みの中で、もがき苦しむのであって自然と調和してないからである。
草を見よ、花を見よ、木を見よ。これら大自然に存在するものは、何も教えられることなく、芽を出すではないか。
そんなに肩に力を入れず、もっと自然に己を見つめよ。
そこにはすばらしいものがあるではないか。
ダイヤモンドの原石のように、磨けば磨くほど、光り輝くものが備わっているではないか。
思い、悩み、苦しむということは、逆を言えば、その原石をより一層輝かしいものにすると思えばよいのである。
空を見よ、あんなに広大ではないか。
太陽を見よ、あんなに輝かしいではないか。
宇宙から地球を見よ、どこに己の存在があるというのだ。いやみの声など聞こえやしない。憎しみの表情など見えやしない。
そこには、海の青と雲の白、大地の輝きしかないのだ。
己を知り、己を磨き、そして自然と一体となり輝け。
輝いて、宇宙と一体となるのだ。