第1回「日本民族にとっての沖縄」青年弁論大会を見学してきました | カウンセラーが伝える、自信を持つ方法とコミュニケーション法

カウンセラーが伝える、自信を持つ方法とコミュニケーション法

小さい頃から引込み思案で怖がり。自分に自信を持つことが出来なかった私。
”何時までもこのままじゃ嫌だ”
そう思い自信を持つために一念発起。勉強を通して得たもの。
それは自分に自信を持つためのシンプルな方法。
そして意識を変える多くの気付きと出会いでした。

47年前の1972年5月15日は沖縄県が日本に復帰した日。その日を記念して靖国神社で行われた青年弁論大会が開かれ友人が大会運営されるということで、聴衆として見学してきました。
 
今回は、保守系の方々の大会ですね。普段見に行く大会よりもカッチリとした演題、内容の大会でした。
 
 
<沖縄県祖国復帰47周年記念青年弁論大会>
沖縄県祖国復帰47周年靖国集会実行委員会が主催する弁論大会。40歳までの成人による、「日本民族にとっての沖縄」をテーマとした大会。演説時間は8分。原稿審査を通った8名による熱弁が振るわれる。

1.「母校から見る民族の精神」 高里 智佳さん
 日本を護るためには、日本人の民族としての精神統一が大切。それは、国を大切に想う気持ちであり、同時に故郷を想うことでもある。高里さんの出身校、沖縄県首里高校は沖縄戦当時学生も戦いに参加し、戦後の米軍統治下では甲子園に出場。沖縄県民を沸かせ甲子園の土を持って帰ろうとしたが、当時の米法律により希望敵わず涙を飲んだ歴史がある。沖縄史研究家の伊波氏によると、沖縄の書物「おもろ草紙」には日本の神話に繋がる記述があり日本と沖縄は元々同じ祖先をもつのだという。そうした文化や歴史は民族の記録であり記憶。このことを後世に伝えていく必要が有るのだ。
 
 出身母校から紐解く沖縄の歩みは、本人に繋がっている言葉としての説得力が有ります。母校の歴史から沖縄全体に関する考え方に広げていくところも矛盾が無く○。
 声がやや聴きとりにくいところがありました。一番手という場の空気を作る役目も有り、2番手以降であればもっと評価されいた内容だったと思えます。またタイトルが「母校から見た」なので、後半の伊波氏の話が母校との関係性が無いため一貫性のあるタイトルを検討する必要はあったかもしれません。
 是非ご自身の感じたことを後世に伝えて欲しい、そう思える内容でした。
 
2.「今の沖縄について、私が感じたこと」 青山 泰大さん
 修学旅行先として、1番の人気を誇る沖縄。でもその理由は「平和学習」という名の自虐史観刷り込みのためのものであった。2度沖縄に行ったことのある青山さん、1度目には地元の人しか知らなかった沖縄戦の慰霊塔「しらうめの塔」には、2度目には観光バスがその「平和学習」のために来ていた。この教育は、特定の思想に捉われることで発想力や表現の自由を制限するものではないか、そう危険を感じた。ひめゆり学徒隊最後の場となった荒崎海岸にも足を運び、自分たちが中高生の時は何をしていたか、今こうして過ごせているのはそうした苦難を引き受けた先人たちが居たからではないか。そうした歴史を直接確かめることが大切なのだ
 
 自虐史観に対する提言として、大所高所ではなく自分の素朴な疑問から感じ取った無理のない話の展開は、聴き手に納得を与えておりました。
 それだけに、気持ちの込め方をひとつ考えてもらえるとなお良いです。響く言葉とは語気の強い主張ではなく、静かでも心の芯からでた感情が備えた語りかけです。これは青山さんのみならず多くの弁論大会で話し手が勘違いし、その結果聴衆に届かない伝え方でもあります。また、「これではいけない」以上に「こうしていきたい」という内容が入るとよりこの弁論が聴衆に伝わってきます。
 ご自身の実感からくる主張であるからこそ、そこをどう活かすか。そしてその主張をどう掘り下げていくかを見るとより良いと思いました。
 
3.「沖縄を守る日本人が忘れてはいけないこと」 小西 沙紀さん
 以前アラビア語を学ぶ親友を訪ねてパレスチナに滞在したことが有る。ある日の昼、ドーンという音と共に銃声、怒号が聞こえた。戦争と隣り合わせの日々、日本では街中を歩いていて銃を突きつけられることはない。イスラエルとパレスチナを分ける壁の絵からはこの地が死と隣り合わせであることが分かる。そんなパレスチナ人は、「基地が有るから戦争が起きる」とは言わない。我々が立つべきなのは、空理空論ではなく、かつてそうした状態であった沖縄で戦った先人、活躍してくれた人々への感謝なのだ。自分は沖縄出身でもなく、沖縄に詳しいわけでもない。だが、こうしたことを後に続く人達に伝えていきたい。
 
 異なる視点から沖縄の現状を考えるという意味で、他の弁論とは線引きされていました。印象にも残りますし、客観的な比較としても秀逸な展開です。
 主張の語気の強さが目立つことに注意、そしてパレスチナと戦時沖縄の類似性や違いについてより紐解くこと、そして後進に伝えていきたいものをより掘り下げていくことができれば、なお聴衆に深い理解と納得を促すことができた弁論であったと思います。
 
4.「日本人として育ったことに対する感謝」 仲村 隆次さん
 「日本人としての矜持を持つ沖縄県民がどうして異民族の統治下で満足でいられることがあろうか」祖国復帰を果たした際の沖縄県知事、屋良氏のこの言葉に、それまで彼を革新系の政治家と思っていた自分は、感銘を受けた。それは占領下で日本地図から消え、国旗も立てられず日本人として子供たちに教えることができない中での教育者としての屋良氏の使命感からの言葉である。だが現状は、国連から沖縄の人々は先住民として保護せよとの勧告が続き、我々が日本人であるとの感覚が薄れていっているのではないか。「自分は日本人である」そう沖縄の子供たちに誇りを持って言ってもらえる様に、民族のアイデンティティを守っていく必要が有るのだ。
 
 姿勢の良さと、静かな語り口は仲村さんがじっくりと考え、伝えたいことであるという雰囲気に繋がっております。気持ちが先走る弁士が多い中で、むしろ聴衆がその気持ちを拾いに行きたくなる意味でも、価値のある弁論です。
 それだけに、本題のテーマとしての何故琉球人ではなく日本人であるか、の部分はより多くの人にこの話を伝えるうえでの大きなカギになります。今回は聴衆が沖縄の日本復帰への想いが前提となっておりますが、より多くの人に語り掛けるのであれば、この部分を言葉で伝えられると、より良いものになると感じました。
 
5.「日本の誇りをかけて実現させた沖縄返還」 佐久川 眞さん
 1972年5月12日、沖縄の祖国復帰。この功績に貢献した人物が当時の首相、佐藤栄作である。戦後米軍統治下にあった日本において、武力を使わず27年間という短期間で奪われた領土の回復を成し遂げたことは、世界史でも類を見ない。かつての沖縄は日本本土が高度経済成長を続ける中でも貧しく、またベトナム戦争でも、アメリカ本土からベトナムへの絶好の経由地であり返還されるかどうかは難しい状況であった。そんな中で佐藤首相も、吉田茂、山中定則といった先人の遺志を継ぎ、「沖縄の復帰がされない限り”戦後”は終わらない」との想いを胸に沖縄の復帰を実現させたのだ。そうした人達の偉業を語り継いでいきたい。
 
 問題提起ではなく、偉人の顕彰というかたちの弁論は、聴衆に思索を促します。その意味では”自分がこうしていきたい”と言うことで間接的に聴衆に問いかけており、素晴らしい展開の仕方であると感じました。力の込めどころと抜きどころも上手いです。
 受け取る人によっては、主張が弱いと受け取られてしまう場合も有ります。他の弁士が語気強い伝え方でしたので、その辺が目立ってしまいましたが本来の伝え方としては一段深く残るものでした。
 
6.「日本民族にとっての沖縄」 池澤 盛之さん
 沖縄は日本の縮図である。今こそ日本民族一丸となって解決をしなくてはならない。帰属意識が軽薄化しつつある今。非常な現実を前に我々は真剣さが足りないのではないか、危機を想定し準備することが大切なのだ。自分は歴史が好きであったこと、そして父が自衛官であったことも有り、出身地の沖縄について学んだが、芯の有る愛国の精神は無かった。しかし、心の病を患い苦しさの中で生きる力を与えてくれたのは、日本を支えた偉人たちであり、日本民族としての誇りであった。人一人を救える力が、日本の神話には有ることを実感したからこそ、多くの人にそうした精神を持って欲しい。 
 
 議論よりも、行動をする時期であるということを前面に押し出すことで、自分の決意が言葉に力強く表れていました。自分が立ち直る切っ掛けにもなったからこそ、強く訴えたいという想いが伝わってきます。
 熱の入るあまり、右腕を振り回す癖には注意すると良いでしょう。また自分が立ち直る切っ掛けとなったことと、国を愛することとの繋がりはもうひとつ言葉が要ります。自己を偉人に投影している様にも受け取れてしまうことへの留意、偉人ではなく国を対象とした理由を内容に盛り込んでいくとより深い話になると思えました。
 
7.「沖縄と本土が紡いだ歴史」 斎藤 仁貴さん
 沖縄と本土の間には、危機感が広がっている。お互いに心が離れていってしまっているのだ。でも本当にそれで良いのだろうか?本土と沖縄の人には、DNAを調べた結果同じ縄文人の血が流れていることが空かった。日本神話と琉球神話の類似点、そして石垣島や久米島から和銅年間に朝貢の記録もあり、元々日本本土と沖縄は深い関係の中にあった。沖縄戦で18万人が犠牲になり、必死で守ろうとした人々の力及ばず切り離された沖縄に心を痛めた昭和天皇は、沖縄に行くことができず和歌を託し、その意思を継がれた現上皇が訪問された経緯を持つ。日本復帰時、沖縄の復帰への支持は80%以上だった。だがその繋がりが今薄れている。国が分裂するとき、どこがその糸を引いているのか。我々若い世代が理解し団結していかなくてはならない。
 
 通る声に、よく調査されたということが分かる内容でもあり。そうだったのか、と勉強になる内容でした。大枠としての展開の仕方も飛躍は無く見事でした。
 若い世代が団結することを力強く発信しているので、今の人々全てではなく敢えて若者同志でという意義をより盛り込めると、内容がより活きてきます。若者同士が創る未来の日本と沖縄のかたちをより伝えていってみると良いでしょう。

8.「国民動訪韓と祖国防衛の精神の恢復を目指して」神谷 龍さん
 自分は日本人か沖縄人か?沖縄戦の被害、そして基地問題を知ったことから始まった自分への問い。かつて言われていた「沖縄は捨て石」との話と真実は真逆だった。国のために戦った国民、そして沖縄県民の日本への帰属意識。沖縄は日本にとって何であるか。戦後遺族への支援を続けた金城先生は、県内に多くの慰霊塔を建てた。それは御霊を祖国に帰してあげたい一心であった。その想いに感銘した自分は、学生時代41都道府県を周り各地の大学生に啓蒙を行った。日本にせまる危機に対して必要なのは人権よりも国家主権ではないか。国民の精神を立て直すことが大切なのだ。そう思い自分は出版社に入社した。そうした想いをこれから発信していきたい。
 
 行動力に裏打ちされた、強い気持ちが言葉に現れています。過去から未来への提言へと繋がっている点では、話に軸がしっかりと出ていますね。本大会の聴衆は、元より考え自体に賛同している方が多いのでその方々に向けた伝え方がしっかりできておりました。
 折角ですので、より考え方の異なる人に聴いてもらうためには、主張の強さとどう興味を持ってもらうかを両立させることを見てみると良いかと思います。
 

 以上、8名の弁論でした。大会として”沖縄の祖国復帰に貢献してきた偉人を顕彰する”か、”沖縄の現状への警鐘”とするかが大きく分かれました。前者の場合は自分たちが後に続いて活動することを促すこと、後者の場合は特に危機感の内容をよりフォーカスすることが大切です。
 
 また、主張の一貫性が薄くそこを言葉の勢いで押し切るところもやや見受けられました。日本語は想像、推察の言語なので繋がりの部分は聴衆が感じて補強してくれるのですが、一貫性については出来る限りブレない様に、鮮明になる様にしましょう。
 実は審査員の講評に関しては、個人的な感想や順位決めの内訳よりもそうしたことへの取り組み方の評価点、改善点を伝えていくことが、本大会の発展に役立つものと感じました。
 
結果の方は、下記と相成りました。入賞された皆様、おめでとうございます。
優 勝:神谷 龍さん
準優勝:小西 沙紀さん
第三位:池澤 盛之さん
 
 何方が賞をとってもおかしくない大会でしたが、入賞の明暗を分けたのは自分が主張に対してどれだけ行動した来たかが伝えられていたかどうかポイントでした。
 弁士の皆さんに置かれましては、是非ここで述べられたことを今後の行動の礎として頂きたいと思います。