今年もあと2週間と少しで期末テストです。中3生にとっては連絡進学ができるかどうかが決まる大切なテストですから、体調に気をつけて、準備万端で臨んでもらいたいところです。
 さて、今回のテストでは、1年生の国語のテスト範囲に「河童と蛙」(作:草野心平)が入るそうです。この作品、書かれたのは1938年。結構古い作品なんですね。教育出版の教科書(附中の国語教科書の出版社です)の出典は『げんげと蛙』(教育出版センター・1984年)で、教科書に採用されてからでも30年以上経っているそうですから、「ああ、あの『るんるん るるんぶ』か」なんて、思い出される方も多いと思います。ご存じ無い方のために紹介しておくと、

るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん

河童の皿を月すべり。
じゃぶじゃぶ水をじゃぶつかせ。
かおだけ出して。
踊ってる。

という、沼で河童が唄って踊る詩です。周囲の景色もこんな風に擬人化されて、ユーモラスに表現されています。

大河童沼のぐるりの山は。
ぐるりの山は息をのみ。
あしだの手だのふりまはし。
月もじゃぼじゃぼ沸いてゐる。

 最後は踊り終わった河童たちが沼の底に沈んで行って、

もうその唄もきこえない。
沼の底から泡がいくつかあがってきた。
兎と杵の休火山などもはっきり映し。
月だけひとり。
動かない。
 
ぐぶうと一声。
蛙がないた。

シーンと静まり返った沼の様子を描写して、おしまい。
 テストで詩が扱われる場合、定番なのは形式とか表現技法の問題ですね。形式だと、「口語自由詩」。使われている表現技法なら擬人法とか、擬音語・擬態語なんかが指摘できれば良いわけです(もし中1生が読んでくれていたら、どこか指摘できますよね)。
 まあ、これは別に難しくないでしょう……、といいたいところですが、意外と問題もあるのです。
 詩を引用したところで、「擬人化」と書きましたが、この詩、「登場人物」といいますか、出で来るものがみんな、「擬人化」されているのです。先の引用からも分かりますよね。「登場人物」を挙げておくと、

①河童
②大河童沼のぐるりの山
③月
④蛙

となります。②・③の擬人化は問題ないと思いますが、①と④は、あるいは異論があるかも。河童はそもそも想像上の生きもの(現在なら「妖怪」)ですし、伝説などでは人間と同様に言葉を話したりしますから、もともと「人間」枠で、あえて人のように扱っているということではない、との解釈もできるかもしれませんね。難しいところですが、一応河童は「人間」とは思われていない、爬虫類(あるいは両生類)的な生物と考えられていると思いますので、ここでも「擬人化」と解釈したいところです。また、④の、この詩での蛙の扱いですが、蛙については、

ぐぶうと一声。
蛙がないた。

とあるだけなので、ここからは擬人化かどうか、断言しにくいのも確かです。でも、この詩では①から③まで、つまり、河童と、山や月といった周囲の環境までが擬人化されたものとして表現されていて、この詩は、その擬人化された「登場人物」たちの静と動が時間軸に沿って変化して行く構成になっているのですから、最後の締めで「活躍」する蛙も擬人化されている、と考えるべきだと思います。
 とまあ、これは私の解釈なのですが、今回こんなことを書いたのは、このあたり、読む人によって解釈が分かれるところだと思うからです。解釈が分かれるのは当然なのですが、それがテストの出題にからんできたら……、結構怖いこともあります。
 というのも、テストも近づいていますので、過去問をチェックしていたところ、ある年度で、こんな問題が出ていました。「ぐるりの山は息をのみ」に傍線が引いてあって、この部分について、
 
 ・ここで使われている表現技法の名称を漢字で書きなさい。
 ・この部分以外で数えると、この技法は何か所で使われていますか。

という問題が設定されています。一つ目は問題ありませんね。二つ目です。「この部分以外で数える」も何も、全部擬人法ではありませんか! つまり、この年度では、おそらく擬人化について、上に書いたのとは違う説明がされていたのですね。もちろん、それが間違っていると言いたいわけではありません。同じ教材でも、先生によって、少しずつ違った説明がなされることがあり、それがテストの答えにも関わってくるということなんです。学校の授業をきちんと聞いていないと駄目なんですね。
 また、授業でどんなことをやったのか、生徒に確認するのは大切。今年は別の先生なので、特に。でないと、塾生にテストで×になるような説明をにしてしまうことだってあるのですから。でも、塾生に確かめても、返ってくるのは、

「知らん。」
「そんなん、何も聞いてない。」

なんですよね……。