大谷翔平:比較と差別 | 硝子の中年のブログ

大谷翔平:比較と差別

  松井秀喜が大谷の記録と比較されることを心よく思っていない。

当然と言える。

本人は「比較する必要もない」と間接的に、婉曲に語っているが。

大谷よりも自分の成績が劣ることを世間の有象無象が再認識して、大谷というスーパースターを持ち上げて、感情移入して自らの手柄のように満喫したい、高揚感を覚えたい、という想念。

それに付き合わされることは面倒で、煩わしい。

勿論、面白くないし、楽しくもない。

  だから、ピート・ローズのように皮肉を込めて揶揄するような、メジャーリーグのOBまでいる。

ローズの場合は永久追放で完全な悪役だから、今さらバッシングされても痛くも痒くもない、というところか。

比較することで、いわゆるマウントをとることが己の快楽・享楽に通じる、今どきの傾向がある。

その慰み者にされるのは勘弁してもらいたい、が本音のはず。

  要するに差別でもあるし、優越感を味わいたい、というある種の病理と言える。

多くの局面で見られる。

偏差値も典型的な例と言える。

ランク付けである。

残酷なほど数字で明白となる。

所得も同じであるが。

所得の延長線で住む街のマウントもある。

さらに愛車のナンバープレートのマウントもあった。

昔はサーファーは相模ナンバーが本物、横浜は偽物、品川は外道、足立は人間じゃない、というジョークまであった。

  まあ、所得はアップダウンがあるが、偏差値というか、知能程度は大きくは変わらない。

クイズバラエティのいわゆる、おバカ枠のタレントの中には信じられない奴もいる。

先日も今年大学を卒業した女子が「常任理事国って何?」という痴れ者もいた。

これまでの人生で一度も新聞は見ないし、ニュースも見たことがないのだろう。

再三指弾するが、超三流大学の粗製乱造は国益を激しく棄損する、癌と言える。

無駄な毎年数千億円の私学助成金は勿論、昨今のドライバーを筆頭とする、各種の人材不足の主因なので。

  一方で全く数値化されない、人に関する究極の事象もある。

いわゆる美形である。

男女を問わず。

最近は男女という括りも御法度?禁忌?なのかもしれないが。

私はそのような志向はナンセンスだと捉えているが、それについては以前にも記しているし、極めて長尺になるので今回は割愛する。

  近年はイケメンが最も使われる用語だろう。

かつてはハンサムだったり、美男子もあったが。

反対語としてはブスだったり、不細工だったり。

キツいシャレとしては「1円玉みたいだね」という文言もあった。

これ以上崩しようがない、というジョークだが。

これもキャッシュレス時代になってからは全く通用しないフレーズと言える。

「常にタバコを吸っていたほうがいいよ。そうしないと、顔の表か裏か分からないから」という、昭和でギリギリ通用した、ブラックなギャグもあったが。

  話がだいぶ逸走したが、人間は常に自己満足に浸りたい動物である。

全否定はしないが、節度が求められる。

自分の中だけで満足している分には人畜無害だが、他人を貶めて己の快感に繋げることは品性の卑しい奴のやること。

これはイジメにも完全に通底する。

ウエルマナードピープルがすることではない。

  容姿差別は顔だけではない。

頭髪というか、禿イジリも典型的である。

快感になると、それが自分の自然体でありルーティンのような、毎日顔を洗って歯を磨くような、日常の行為になり、常習性となる。

ストッパーもリミッターも利かなくなる。

他人と比較することは殆ど意味がない。

我々はロボットではない。

能力も適性も感性も全ての遺伝子が違う、人間という生命体なのだから。