海上自衛隊2012観鑑式行って来た。その1
10月14日午前3時10分横須賀に向けて出発![]()
少し早すぎたが途中トラブルがあると
嫌なので、そこは念のため![]()
しかし、早すぎた(笑)
5時30分横須賀に到着![]()
今日これから乗船する「護衛艦 いせ」
遠くから見てもでかい![]()
そこには観閲部隊の先導艦、103護衛艦「ゆうだち」
観閲艦 144護衛艦「くらま」 総理大臣が乗船する艦
177護衛艦「あたご」
受閲艦艇部隊の旗艦 115護衛艦「あきづき」
受閲艦艇部隊の第3群 182護衛艦「いせ」
そしてこいつが今日、乗船する ヘリコプター搭載護衛艦
の「いせ」 でかい、事実上の空母である。
午前7時00分いよいよ乗船
まずは館内の格納庫に!
さすがに空母、中はやたらと広い
これも広い、搭載へりSH-60Jが
プロペラ広げたままでも乗降できるんです。
馬鹿でかい艦、港を出るまでは目視で安全確認
観閲式海域に向けて浦賀水道を航行中
彼らヘリコプター部隊は長崎の所属
ちなみに「いせ」は広島の呉が母港です。
これは今年の観閲式のパッチ
いつもは所属部隊のこのパッチだそうです
長崎だけに龍をデザインしたパッチ
カッコよかった。
こちらは「いせ」のパッチ一般用
いよいよ、観閲部隊と受閲艦艇部隊がすれ違います。
総理大臣を乗せた護衛艦「くらま」
上空を受閲航空部隊のSH-60JとUH-60J
指揮官機のUP-3C
そしていよいよ訓練展示でヘリコプター発艦
「いせ」から2機、後方の132護衛艦「あさゆき」から
1機が飛び立ちます。
画像が多すぎてPCが調子悪いので
今日はここまで。
ギックリ腰
FBにも書きましたが
昨日の朝一番の仕事で、段ボールの荷物を引っ張りだそうと
中腰になり力を入れた瞬間腰に ピリピリと電気が走り
思わず「う~」。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
前の日から何か腰がおかしかった。
すぐに近くの梯子にぶら下がり腰を
伸ばすが、時すでに遅し!!
1歳半の孫よりもつたない歩き方
腰を曲げ手は後ろ
まるで志村けんのばあさんです。(古い)(;^_^A
普段は椎間板ヘルニアの腰痛ですが
ギックリ腰は別物
仕事はもとより、生活が・・・・
昨夜も早めにベッドに入ったけど、こんな時にかぎり
夜中にトイレに行きたくなる
ベットから身体を起こすのも一苦労
数分後やっとの思いで立ち上がり
壁に伝わりながらトイレに(iДi)
そうも言っていられない今朝はシップとコルセットをして
仕事です。
ヘルニアも方も悪化しそう(((( ;°Д°))))
* ぶら下がると10分位は楽になりますよ!
やんもの花火大会
昨夜はやんもの花火大会の補導パトロールに我々少年警察協助員2名と
市補導センター3名、(内2名は中学教諭)に行きました。
中学生はおとなしくて無事に帰りましたが
市内の16~20代のいわゆる悪グループが歩きまわって
いました。
注意して観察していましたが、目を離したすきに
東京から来たと言う3人の若者(これもまた不良)と
ついに喧嘩に発展
駆けつけると地元のグループは現場から
離れ、東京の不良は顔面血だらけでした
地元の不良曰く「奴らが先に因縁をつけてきて
タイマンでやっただけ」
とにかく警察に連絡、
やられた子も「仕返しをするんだ」と言って
その場を立ち去ろうとするので
説得し、一緒にいた子にも「彼を止めるんだよ」
と言っても、聞く耳を持たないし、押さえつけるわけにもいかず
警察を待つことに。
しばらくして警察が到着、我々は状況説明をして後は
警察の手に!
花火が終わって1時間半補導員の教諭(ほぼ悪がき対策してきた方)
をみて話しかけてきた高校3年生の男女のグループも
海岸でたむろしていたので注意して補導終了しました。
夏の花火大会、こんなことが何時でも起きる状況なのに
警察の警備や配置がなされてないのも一考する余地が!
箱根の親不知
箱根の親不知
二週間ほど前に仕事で箱根峠の信号で、前のタクシーが
急に右の空き地に止まりびっくり!観光客を乗せているので
何かのお話が書いてある看板を見せていたのだと思い
現場に向かいました。
そんな事は忘れていた今日、箱根の現場の帰り道
ふと思い出して車を止めて
その看板を見に行きました。
詳しくは下記の記事で読んでみてください。
親知らず地蔵(じぞう)

箱根峠近くに、1基の地蔵尊碑(じぞうそんひ)(石柱)が立っています。土地の人はそれを「親知らず地蔵」と呼んでいます。そこには次のような物語があるからです。
むかし、大阪京橋の呉服商の堺屋十郎兵衛が、家出して行方不明の息子、喜六を捜すために旅に出たのは、安永(あんえい)年間のことでした。たまたま、大津の宿で、それらしい男が箱根で雲助(くもすけ)をしているという噂(うわさ)を聞き、まず三島を訪れ、雲助の立ち回り先や、問屋場など捜(さが)してみましたが、息子を見つけることはできませんでした。
そこで、次の目当ての箱根宿に向って街道筋の立場(たてば)(注1)や、往来の雲助の顔をのぞきながら、ようやく箱根峠近くまでたどり着くと、もう日も暮れかけていました。
ちょうどそのとき、運悪く持病の脚気(かっけ)(注2)に襲われたのです。持っていた薬を口にする間もなくそこに倒れ、息も絶えるほど苦しんでいました。すると、たまたまそこを通りかかったのが息子の喜六でした。しかし、まさかこの息も絶え絶えに苦しんでいる老人が、自分の父親だとは夢にも思いませんでした。思わず駆け寄って抱き起こしてみましたが、もはや手の施(ほどこ)しようもない状態でした。仕方なく石畳の上に寝かせたとき、老人の懐(ふところ)からずしりと重い財布が抜け落ちました。
辺りはもう既に薄暗くなり、どこにも人影は見えませんでした。それで、つい魔が差した喜六は老人の腰の道中差(どうちゅうざし)を抜いて、一気に老人の息の根を止め、金を奪って一目散に坂を駆け降りました。
革財布の中の7両2分の大金(注3)に、一度は喜んだ喜六でしたが、財布の底にあった名札からその老人が自分の父親であったことが分かり、びっくり仰天しました。彼は一目散に引き返して、死骸に取りすがり、泣いて詫びましたが、すべては後の祭りでした。
哀れな喜六が、この事実を書き置きとし、山中新田の宋閑寺((そう)かんじ)で、同じ刃(やいば)で自害したのはその翌朝のことでした。
現在あるこの地蔵尊碑は、土地の人々が、この親子のこの上ない不幸な巡り合わせに同情し、2人の冥福(めいふく)を祈って建てたものです。
(注1) 街道などで人夫(雲助など)が駕籠(かご)などをとめて休息する所
(注2) ビタミンB1の欠乏症。末梢神経をおかして足がだるくなるとか、ひどくなると心不全などを起こす。
(注3) 現在の価額に換算すると約56万円と思われます。
→ 雲助
出典 『三島の





























