リストラくそくらえ!(前編) by ザラおやじ | 宅配のめがねやさん「今日のひとこと」

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今さらですが・・・「宅配のめがねやさん」代表の重宗忠明(ザラおやじ)です。

サラリーマン経験もありますが、今からちょうど20年前リストラされました(笑)

不幸な過去を面白おかしく書いた自虐コラム、「リストラくそくらえ!」アメブロ版をお楽しみくださいませ~!


今から20年前、1997年のことです。

霞ヶ浦でバスがパラダイスの頃でした。

平日に釣りがしたくて平日休みの眼鏡店に転職したのですが、翌日に釣行予定があると残業はパス。

店長として売り場の予算は達成していましたが、会社でそんな身勝手がいつまでも許されるはずもなく、

反感を買ったんでしょうね。ある日、社長に呼び出されました。


「お前、うちの会社の何が気に入らないんだ?無理にいてもらわなくてもいいんだぞ。」 


???


社長の言葉が続きます。

「おまえは人の使い方が下手だ・・・なんでも自分でやろうとする。それでは、若い奴が育たない。

お前は会社にとってマイナスだ。」


なんだいきなり? いてもらわなくていい? マイナス? 


社長は自分の過去のミス?を並びたて、それに対する責任をという形で突然、辞職をせまってきました。

もちろん・・・辞めることは断りましたよ。職場は居心地良かったし。



何より心の準備が出来てない!


しかし・・・いくら辞める気はないと言っても話が終わらない。謝っても済まない流れです。


なんか・・・・・やばいな(汗)


何言われても、黙っていたのですが、身に覚えがないことが多くなると黙ってられず、つい口を開く。

しゃべると言い返され・・・否定される。その繰り返し。

話の最後は辞めて責任を取れ!ということ。

無言のまま座っていました。怒り、不安、そして・・・屈辱。

黙ってると認めたことになるけど、言い返しても否定される。辞職を求める結論が変わらない。



面倒くせ~~!


この日は、辞めますとは言わなかった。言えないよね。普通。

長い沈黙の後・・・1週間の休職を命じられた。


「頭を真っ白にして、今までの態度を悔い改めた反省文を書いてこい!!」


反省文?・・・俺、何か悪いことしたのか?

突然の1週間の休み。本来なら反省文書いて過ごす1週間。


ところが・・・釣りに行っちゃいました。霞ヶ浦に!(笑)


3月第1週目だったから、ウェーディングしても水がまだ冷たくて、全然釣れませんでした。

「これが5月だったらな~」なんて考えながら1週間過ごしました。危機感はなかったです。

悪いことしてないしね。反省文なんか書きようがないですよ。



とりあえず謝れば済むだろうぐらいに思っていました。

そして1週間の休職後、再び事務所に呼び出されました。


「反省文は?」


・・・・・・・・。


いや~、1週間、釣りばっかしてましたからね。「反省文は書いてません。」としか言えない。

何とか職場復帰させたいとがんばってくれてた役員が隣で思わず頭を抱え込んだ。

しばしの沈黙。空気が次第に重くなります。事態の深刻さをようやく理解しましたが、


すでに手遅れっぽいです。


失業?…このオレが?


今、ここで「辞めます!」と言えば確実に職を失うこの瞬間。一生のうち、そうそうないよね。

辞めるつもりは一切なかったけど、過去何年にもさかのぼって自分の欠点を並べまくり、

何とか辞めさせようと必死な社長の顔を見て考えました。


怒るか? それとも・・・許しを請うか? 

どうしようかな? あれ? なんだろう?  今日の俺、すごく落ち着いてる。

先週のような不安とか・・焦りとか・・落胆とか・・怒りとかの感情がない。


なんかどこか・・・他人ごと。


とにかく自分の存在がいかにマイナスかを、何度も説明しまくる社長の顔を見ながら考えた。


さぁて・・どうしようかな?


いきなりの失業は困るな。生活があるし・・・世間体もある。

今回の事は自分にとってはただの言いがかり。 ただ、社長に嫌われただけだよな?

身に覚えがあることも確かにあった・・・でも、クビにされるほどの事ではない気がする。

よくぞ、そこまでこじつけてくるもんだな。すごいな!

社長は俺を辞めさせたいがために、こんなにも一生懸命なんだな。


腹が決まりつつあった。もう・・・・面倒くさい。


小さな会社で社長に嫌われるというのは・・こういうこと。憎しみに満ちた社長の顔を見ながら考えた。

何が一番、自分にとって得だろう?社長に罵倒されてる間に考えた。 選択肢は・・・ないよな? 


辞めるしか・・。


まったく予定外でした。口元を震わせ、絞り出すような声で言いました。




「せめて・・・せめて、家族のためにリストラによる退職扱いにしてもらえませんか?」


失業手当を少しでも早くもらうこと。自分にとって得なことなんて、それぐらいしか思い浮かばなかった。

辞めたくなかったけど、もうこの会社に自分の居場所はありません。これ以上、社長の話を聞くのが嫌でした。

逃げ道は閉ざされていたし、この場から早く逃げ出したくて仕方ありませんでした。


何の相談もなく会社を辞めてきたけど、妻は大して驚きませんでした。

翌月から失業手当。6ヶ月間の支給がせめてもの救いです。


「ついにオレも職安に行くのか~。楽しみだな~」


強がりついでに3才の娘にもこう言った。


「お前のパパはプータローになったんだよ。」


意味がわかろうはずもない娘はニコニコ笑ってた。

無邪気に笑う娘の笑顔を見て、はじめて涙が滲んできました。


1

家族のありがたさと今後への不安、くやしさと怒りがこみ上げて・・・

釣りが好きで好きで・・・調子に乗りすぎて・・・自らが招いた悲劇というか、自業自得?

小さな会社で社長に嫌われた哀れな末路でした。


翌日から予定がなくなるって・・・・自由ではなく遭難。翌朝、目覚めはすこぶる悪かった。


「夢じゃなかったんだ。」


辞めるしかなかったのですが、気持ちの整理は全くついていなかったんです。

眠くなると寝て、起きたくなったら起きる。腹が減ればメシを食うという動物のような生活が始まりました。

一見、夢のような生活だったけど、先の見えない毎日の繰り返しは大変、苦痛。

独立か?再就職か?を決めかねて3ヵ月経った頃、元女性スタッフから連絡がありました。


「自分も辞めたよ。何やるの?手伝えることはない?」


元スタッフとは家族ぐるみの付き合いをしており、彼女の両親からは「早く自分でやれ!」と、

脱サラを勧められており、辞めた以上、自分は起業すると思い込んでたみたいです。

就職活動か、起業か、まだ決めてなかったのですが、つい・・・勢いで





「独立するので手伝って欲しい!」


前職場を辞めた彼女を受け入れることは・・前の会社にちょっとした仕返しができる気がして痛快でした。

人間小さいね~(笑) きっかけはともあれ「起業する」ことがこの日決まりました。


問題は何をするか?・・・である。

 

手持ち資金は100万円。


100万では何もできない。銀行に相談に行ったけど、担保がないから借りれない。

お金がないから借りに来たんだけど、自己資金が少ない起業は、真剣さが足りないということらしい。

融資担当者は、言葉こそ丁寧だったものの・・何しに来たの?てな感じ。


100万で出来ることって・・・・何もない!


いくら考えてもアイデアが浮かばず、起業をあきらめかけた頃、スタッフが言いました。


「100万で検査機械とフレームを買おう!それを車に積んで、メガネ作りたい人探してまわろうよ!
お客さんもわざわざお店に行くより、来てもらった方がきっと楽でしょ?」


「フレーム仕入れだけで最低100万かかるよ。検査機はどうすんだ?」


スタッフはたちまち答えに困ってしまった。


・・・・・・。


しばし沈黙の後、彼女は言いました。


「それを何とかするのが、社長の仕事でしょ?」 さらにこう言った。


「じゃあ、どうすんのよ。何ができるの?他に方法があるの?」


逆ギレである。やるしかなかった。


この無謀なアイデアを形にするしか起業への道は残っていませんでした。

何をするかわからない不安な毎日を過ごすより、やる事があることが嬉しかった。

100万はフレームの仕入れで、一瞬で消えました。

さて・・・視力検査機をどうしよう?検査機がないと仕事になりません。検査機を買うお金がないならば・・・・


誰かにゆずってもらおう!


知り合いのメガネ屋仲間に電話をかけまくり、中古で使ってない検査機を譲ってもらえないか?

それこそ、恥も外聞もなく電話しまくりました。

ところが、あるとこにはあるもので・・・

見た目は悪くても、使用に耐えうるもの、検査に必要なものは全て無料で手に入れることができました。

検査機器にフレーム。準備完了です。


あとは・・・お客さんを探すこと。


ところが・・・・・世の中、甘くない。

当初1ヶ月は自分とスタッフのコネで知人にポツポツ売れたけど、2ヶ月目からあてがまったくなくなりました。

メガネが欲しかった人には「メガネの宅配サービス」は非常に好評でした。

ただ・・・店舗がないから、一般のお客さんと知り合う機会がないんです。

無店舗が災いして、チラシをまいても会社をまわっても、怪しまれるだけ。

行くとこなくて、することなくて・・・・喫茶店で2人してダベる毎日が続きました。


「今日どうする、どこ行く?」 「○○でも行ってみる?」 「でも○○は‥‥だし」


「‥‥‥‥‥‥」


こんな会話のくり返し。売上がなくても、スタッフに給料は払わないといけない。

サラリーマン時代に貯めた預金を、次々に解約する羽目になりました。釣具も売りました。

それでも足りなくて、親に頼み込んで300万借りました。

が・・・・・それすら使い果たし、残り90万になった頃、忘れもしない事件が起きました。


それは11月中頃(1997年)のこと。今でもはっきりと覚えています。


スタッフの友人から電話がありました。

「友達がメガネこわしてすぐ作りたいと言ってるんだけど、今夜来れる?」

もちろん行きましたよ。相模原から小田原まで遠かったけど、苦じゃなかった。

採算に合うか合わないかは二の次。仕事ができるだけで嬉しかった。

日帰りできる距離なら・・どこへでも行くつもりでした。約束の時間に到着!満面の笑顔であいさつしました。

すると・・・家の奥から少々バツの悪そうな顔してご主人が、言いました。


「あのさ~急いでたから、もう作って来ちゃったんだよね。会社の帰りに・・・近くのメガネ屋さんで。」


「えっ?・・・・・・・。さ、さきほど、お電話で約束させていただいたばかりですよね?

おっしゃってることが、よくわからないんですけど。」


「いや、だからね、もう作っちゃったからさぁ。

せっかく来てもらって悪いんだけど、メガネはもう要らないんだよ。」


「・・・・・・・。」


次の瞬間、とまらない。やばい!と思いつつも止まらない。







「どういうことだ~!!こんな遠くまで呼び出しといて!
もう作っちゃったで、すまされるか~!!こっち来てあやまれ~!」


あわてたそいつは、家の奥に引っこんで、「そっ、損害賠償でもおこせばいいだろ!」と、怒鳴り返してきました。


「帰ろう。」


がっくり肩を落として・・・スタッフに消え入るような小さな声で伝えて、車に乗り込みました。

違う。怒鳴ったのは・・・本当に腹がたったのは、その人にじゃなく・・・自分達の仕事スタイル。


店がないから・・こんなことになる。


無理です。車でお客さんを探してまわるなんて、どだい無理ですよ。

こんな仕事しかできないことが・・悔しくて悔しくて・・・

とてもみじめで・・・帰りは車中で泣きました。泣きながら、スタッフに向かって言いました。








「もうやめたいよ。こんな仕事。無理だよ。続かないよ。」


さらに・・無言の彼女に追い打ちのひとこと。


「こんな思いまでして売れなくても、こっちは給料払わなきゃなんねぇんだからよぉ~たまんねえよな!」


スタッフは悲しそうな顔をして、下を向いていました。



終わったな。



せっかく前の会社を辞めて、手伝いにきてくれたスタッフが・・・自分から離れていく。

金がなきゃ、しょせん脱サラなんて夢のまた夢。裸一貫で財を成す?無理。

独立ごっこはもう終わり。どこか雇ってもらえるとこ探さなきゃ。

この日は最悪の結末を覚悟した・・最低の夜の出来事でした。


翌朝、憂鬱だった。昨夜、スタッフに言ったあの一言を・・・たまらなく後悔してた。

おそらく、いや・・絶対!待ち合わせの場所に迎えにいってもいないだろう。


来るわけがない。でも・・行くだけは行かなきゃ。こなけりゃ、家まで行って謝ろう。

ここでスタッフを失うことは、独立の失敗に等しいし、前勤務先の社長が喜ぶのは間違いない。

それだけは嫌だ。もう少し頑張ってみたい。でも・・・昨夜のひとことは・・・取り返しがつかないよな。

そんな不安な気持ちで、待ち合わせ場所に向かいました。予想に反し・・・・スタッフは、すでに待っていてくれた。


「おはようございます!」


と言って車に乗り込んで来たが、とても気まずい。

そーっと彼女の顔を見てみると、すごいクマが出来ている。顔色も悪いし、肌もガサガサだ。

きっと一睡もしてないのだろう。何かしゃべらなきゃ!と、焦る。スタッフが口を開いた。


「今から奥多摩へ行きましょう!」


「えっ?」


「私の友達がミシンの営業やってて・・奥多摩は売れるんだって!

買ってくれなくても話はちゃんと聞いてくれるし、お茶やご飯までごちそうしてくれるとこもあるんだって!

売れなくても親切な人ばかりだから、気が滅入らないって!

近くにメガネ屋さんがないから喜ばれるんじゃない?って言われたよ。

私の友達は住宅地図買って、一軒一軒売り歩いてるんだってよ。朝まで話こんじゃった!!」


と、笑うスタッフを見て、胸が痛んだ。昨夜、あんなひどい事言ったのに・・・・。


「ゴメン、本当にゴメンな。昨日は本当にゴメン!」


「いいってことよ。それよりたくさん売って儲けようよ!」


今となって、自分の運の強さを一番強く意識するのはこのスタッフがそばに居てくれること。

これ以外、ありません。


人間一人で出来ることなんて・・たかがしれてます。


奥多摩への道のりは片道、約2時間。でも・・苦ではなかった。

土地柄か、優しい人がほとんどで、お茶ばかりか食事もよくごちそうになりました。

住宅地図を片手に、山のふもとからてっぺんまで、2手にわかれて一軒一軒訪ねてまわるんです。

ちょうど、携帯電話が普及し始めた頃でした。

圏外が多かったのですが、どちらかが有望なお客さんを見つけると、携帯で連絡を取り合い合流です。

どちらかにコネのない新規のお客さんは、ここ奥多摩が最初でした。ご自宅に検査機械を持ち込んで、視力検査。


「じゃ、せっかくだからお願いしようかな。」


レンズだけの交換でしたが、このひとことで飛び上がって喜んだものです。

奥多摩ではゲートボールやってる人達、柿をとるため木に登ってる人、畑仕事してる人、

日なたぼっこしてる人・・・・

それこそ、かたっぱしから声をかけまくり、朝から暗くなるまで山から谷へと登り歩いたんです。

社名の「宅配のめがねやさん」はここ、奥多摩の営業形態から生まれました。


奥多摩での仕事は・・・売れたり売れなかったり、の繰り返し。

やっと売れても1,000円の既製老眼鏡・・・毎日、畑や山を見てるせいか、目の悪い人が少ない(泣)

新聞もテレビも見ない人もいて、メガネを必要としてる人は非常に少なかったです。

それでも、訪ねていけば必ず話を聞いてくれて、お茶をご馳走になったり世間話をしたりして・・・

心は救われましたが、交通費やガソリン代が回収できません(泣)


仕事としては・・・赤字がかさむだけ。


12月、道路が凍結してくる頃を迎え、奥多摩への営業は春までしばらくお休みすることになりました。


万事休すか?


・・・と思いきや、小田原の夜以来、運気が少し変わったようで、

以前から交渉してた某大手の保険会社や、某大手のガス屋さんの営業所に出入りできるようになったんです。

この頃から、毎日、企業中心の営業訪問が可能となり、仕事がなくて困るというレベルから、

ようやく解消されつつありました。

ノリというか、成り行きで起業してから、ちょうど6ヵ月後のことです。

担当者を紹介されたり、ご挨拶のアポ取り等で、少しずつ忙しくなってきました。


企業への訪問販売初日のことです。ドアをノックして入った瞬間、大勢の視線を浴びます。

これだけ人がいれば、誰か買ってくれるんじゃないかな?

などと淡い期待を抱きつつ、会議室にフレームや検査機器を運びます。

セッティングが終わる頃、手の空いた人が1人、2人、それから大勢の方がのぞきに来てくれました。

見るだけの人、視力検査だけの人、見積もりだけの人、結局その日(初日)は1本も売れませんでしたが・・・

企業訪問は今後、商売になりそうな手応えがありました。


数日後、別の営業所を訪問した時のことです。搬入中に、


「おう、ちょっと目ぇ測ってくれよ」


少々言葉は乱暴で、ちょっと強面。でも・・どこか愛嬌のある人でした。


「オラぁよ、目ぇだけは昔っから いーんだよ!」


(じゃあ、何しに来たんだよ?)などと思いつつも・・営業スマイル!


「では、測ってみましょう」


と座らせ、検査開始。視力は左右ともに0.9でやや乱視気味。メガネが必要なほど・・悪くない。

それでは老眼鏡を!と思うこちらの気持ちを見透かしたのか・・・


「老眼鏡はもってんだよ。」


「ちっ!」(心の中でね)


次の検査の人に期待しつつも・・・


「乱視入れるとよく見えるでしょ?雨の日の夜の運転とか、楽ですよ~」


と言いながらも気持ちは次の人へ。

検査レンズを片付けながら、早くどいてくれないかな?・・なんて思っていたら、そのおじさんが一言。


「じゃあ、作ってもらおうかな」


一生忘れられない一言です。今もはっきり覚えています。


「えっ?不自由されてないんでしょ?」


「イヤー、確かに夜、運転しづらいと思ってたんだよ。
そうかー、乱視だったのかー、さっきの見え方・・すっきりして気持ち良かったよ!」


あまりの幸運な事態に、あわてふためいていると・・・すかさずスタッフが、


「ありがとうございます(*^▽^*)

どんなフレームがお好みですか?もしよろしければ、私に選ばせてもらえませんか?」


おじさん曰く、
「おう、きれいなネーちゃんに選んでもらえるなんて嬉しいーねぇ。あんまり高いの買えねーけどな。ワッハッハ」


と盛り上がってます。よくできたスタッフだこと・・・(苦笑)


スタッフとおじさんがフレーム選びに盛り上がってる姿、そして交わした一連の会話、はっきり覚えてます。



嬉しくて嬉しくて、足が震えていました。 実はこの会社、どなたもご存知の超大手でして・・・

知人が本部にかけあってくれたのですが、出入りの許可はもらえなかったそうです。

その知人が言うには・・・


「とりあえず、お客さんを先に作っちゃえ!既成事実作っちゃえば、認めざるをえなくなるから。
顔のきく営業所長がいるから、まわっちゃえ。大丈夫だから!後はおまえら次第だからな!」


今思えば、無茶なことしてたものです。自分の運の強さに感謝です。

前述した会社や、某保険会社をはじめとして、紹介の紹介、そのまたその紹介・・と、

営業先が次々と増えて、スケジュールはたちまち真っ黒になりました。

生活のため、スタッフの給料のため・・・そしてもちろん


自分のプライドのため。


リストラされた恨みは・・独立を成功させることでしか晴らせません。

都内はもちろん千葉、埼玉、山梨まで、どんなに遠くても喜んで行きました。


仕事がある喜びに浸っていた頃です。

メガネのお届けや集金、メンテに伺うと、そこでまたご注文をいただけることが増えてきました。

こうした需要にすぐに対応できるよう、義父にお金を借りて、ハイエースのロングを購入しました。

視力検査車が高くて買えなかったので、ハイエースロングの後部座席をすべて取って畳を敷き、

そこで視力の検査をおこなえるようにしたんです。

すると「和風」移動検査車のメガネ屋があるという口コミで、地元新聞や雑誌の取材が増え、

記事を見たお客さんからまた注文が・・・・(嬉)


店舗がないことで仕事がなく、辛い思いをしましたが、この頃は店舗がないことが逆に注目を浴びて追い風となり、

ついには月の売り上げが150万円~200万円までいくようになりました。


こうなれば勢いです!以前からやりたくて仕方なかった偏光サングラスの販売を始めることにしました。

当時、釣り人のほとんが知らなかったタレックス。特別大きな需要を見込んだわけでもありません。

販売のためというよりは、自分で使うため。ちょっと本格的な偏光を買って贅沢してみようかな?

TALEXレンズとの出会いはその程度のものでした。

この頃はバスのトップしかやらなかったので、朝&夕マヅメ、雨天&曇天のローライト狙い。

当時、偏光レンズといえば濃いグレーとブラウンしかなく、暗くて使えないものばかり。

よくよく調べてみると、TALEX社の偏光レンズはカラーバリエーションが豊富で、色が薄めのレンズも多い。


欲しい!ものすごく欲しい!


早速、TALEX社に取引き申し込みの電話をかけました。ところが・・・


「取扱店様は弊社が、エリア毎に選ばせていただいてるんですよ。」


「えっ?取引先は御社が選ぶんですか?」


「はい。弊社はTALEXブランドと品質をご理解いただけるお店様に限らせていただいております。」


「・・・・・・・・。」


けっ!お高くとまりやがって!TALEX社に対する第一印象は、すこぶる悪いものでした。

後日、申込用紙が送られてきたのですが、お高くとまった態度が気に入らず、しばらく放置してました。

もし、紛失していたら・・・申し込むつもりはなかったですよ。

メーカーが取引先を選ぶなんて・・・当時は考えられないことでしたから。

しばらく、放置してたとはいえ、強気なTALEX社に少し惹かれたのも事実。

簡単に手に入らないと、どうしても欲しくなる性分でして。


それに、なにより・・・自分が使いたくて・・・自分の釣りのために・・取引を申込みました。


タレックス社の電話面接では、「店舗がないのがネックだ」と何度も言われましたが、

熱意ある演技が運よくバレず指定店(プロショップ)になることができました。


ところが・・・困ったことに、取引条件にレンズの在庫を数十セット買いとらなければなりません。


これはきつい!


自分の分だけ注文して、あとは売れた時だけ注文すればいいや!と思っていましたから。

メガネが少し売れるようになったとはいえ、偏光レンズの在庫を抱える余裕はありません。


自分が使いたいだけなのに・・・


支払期限までわずか1ヶ月。悩みました。真剣にキャンセルを考えました。

売れる見込みはなかったけど、なんとか思いとどまり、支払いを済ませました。

もし、あの時、弱気になってキャンセルしてたら・・・


皆さんと知り合うことは出来なかったことでしょう。


本当に、本当に・・ちょっとしたことで、人生はまったく別物になるんでしょうね。


それから半年が・・・そして1年が過ぎました。メガネの企業訪問はそれなりに順調でした。

ただ・・・いつまでたっても偏光レンズの買い取り在庫は減りません。見るたびに苦痛で、苦痛で・・・・(泣)


脱サラしてから3年が経過した頃です。

個人事業で3年微増収&微増益を続けていたので、銀行から700万ぐらいなら借りれることがわかりました。

ちょうどこの頃、スタッフに結婚話が持ちあがりました。

今後、2人であちこち回るのは難しいけど、ご主人の職場の近くであれば、仕事は続けたいとのこと。

しばらく子供は我慢して共働きしよう!という話になってるので、店舗出す気はないのか?と。

自分にとって、スタッフはかけがえのない存在でした。

この仕事スタイルを発案したのも、ここまで頑張れたのも、スタッフのおかげ。手放したくなかったです。

ご主人の職場近くで働ける仕事といったら・・・店舗しかありません。

訪問販売が好調といっても、無店舗のメガネ屋を怪しむお客さんは少なくなかったです。

よし!そうとなれば・・・


店を出そう!融資額700万で店を探そう!


その頃、淵野辺駅前の商店街に4坪のテナント募集が出ました。

4坪?スタッフ1人に任せるなら、ちょうど良い!ここならご主人が働く居酒屋さんも、すぐ近くです。

店はスタッフに任せて、自分は今まで通り外商を!

融資額700万で仕入れ、改装、保証金、全てまかなえるお店探しは予想以上に簡単でした。


選べる程ありませんからね!(笑)


こうしてスタッフを手放したくない一心で、店を出すことが決まりました。

普通は売上の見込みとか色々、考えますよね?


考えませんでした。


スタッフ1人の人件費と家賃さえ稼げればいい。

自分の生活費は、自分が回る外商で稼げばいい!店舗があれば、信用が増す分プラスだな。

そんな考えでの出店です。


嘘みたいでしょ?  本当なんです。


スタッフが、結婚しても仕事を続けてくれること。

子供は店が落ち着くまでの2~3年は作らず、店長としてやってくれること。


これらをしっかり約束して 平成12年、5月25日・・・


JR横浜線、淵野辺駅北口、徒歩30秒の寂しい商店街に念願?のお店をOPENしました。



さすが人通りが途絶えた商店街!

オープンして2日間はまぁまぁ売れたものの、3日目からすごく暇!

4日目からは売上げゼロの日が、延々と続きました。お先真っ暗なスタートでしたが、意外に平気でした。

1人での外商は寂しかったけど、あちこちまわれば売れましたからね。

この頃、返済が増えてやりくりが大変でしたが、スタッフがそばに居てくれることが、心強かったです。


店をオープンして2ヶ月後のことです。

スタッフから電話があり、話があるので、外商の帰りにでも家に寄って欲しいとのこと。

ちょっと気になったので、外商帰りに寄らせてもらいました。


「ダンナに怒られちゃうんじゃないの?」


「大丈夫ですよ。それよりカレー作ったんだけど、食べませんか?」


「えっ?何か企んでない?あっ、さては夏のボーナスだろ?


お店出すのに借金いっぱいしたから、たいして出せないぞ。」


「そうじゃないですよ。カレーちょっと作りすぎちゃって。」


「あー、処分ね、はいはい。って、あー何だよ!
ごはんはサトウのごはんかよー。あー、カレーは冷凍ものかよ!」


「うるさいなー、サトウのごはんはおいしいのよ!食べたことないの?」


「いや、おいしいとかじゃなくて‥‥ まぁいいや、話って何?」


「・・・・・・・・・。」    


「あの~、とても言いにくいんだけど・・・・・。」


「結婚式のスピーチ? だからやるって。
レトルトみたいなカレーをごちそうしてくれなくても、そのくらいやったげるよ。」


「そうじゃなくて。お店オープンして・・まだ2ヶ月・・・ですよね?」


「あ~売り上げの事?売り上げは気にしなくていいって!
君は未来につながる接客だけしてくれれば・・・って、これも違うの?」


「うん・・・ちがう」


「じゃあ、何?」


「あのね、怒らないで欲しいんだけど・・・」












「子供が出来たみたいなの。」












「えっ?」





アメブロ版、リストラくそくらえ!(後編)へと続きます。


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