怒らないでください。

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先日、面白いことがありました。

私のこのブログの閲覧数が、ある日を境に

ものすごい数に上がっているのです。

 

こういうことは以前にもいちどあったのですが、

そのときは、ある方がFacebookで私のブログ記事を

紹介してくださったことが原因でした。

 

だから、今回もきっとそうなのだろうと思ったのです。

 

けれど、アメブロの仕様で、

SNSに何件のシェアがあったのかはわかるのですが、

誰がどんなふうにシェアしたのかまではわかりません。

 

ところが、それを調べる方法を思いついたのです。

単純なことで、SNS内でそのブログタイトルで検索する、

ということをしただけなのですが・・・

 

今まで、思いつかなかったものですから。

 

 

検索してみると、そこに私のブログ記事をシェアしてくださっている人を

三人ほど見つけることができました。

 

驚いたのは、そこでのイイネなどの反応の数と、コメントの数です。

一方は、イイネが167、コメントが22件、シェアが35件。

もうお一方は、イイネが116、コメントが15件、シェアが99件あったのです。

 

それぞれのシェアからさらにシェアがあり、

そこにもコメントが寄せられていました。

 

そこに寄せられたイイネやコメントは、

私ではなく、そのシェアしてくださった方の人徳によるものです。

逆に言えば、それを読み、コメントしてくださった方々は、

私が書いたものであることも、私が誰なのかも知らないわけです。

 

そういう皆さんの言葉というものに、私は初めて接したました。

 

 

私は、ブログではコメントを受け付けていません。

理由は二つあって、ひとつは、私は「視点を変える試み」を提供したいのと、

そこからくる「新しい気づきのきっかけ」になればと思って書いているので、

誰かと議論したくて書いているわけではないのです。

 

私が書いていることの真偽ではなく、それを読んで

何かの反応をしていただきたい。

 

そのためにはまず、最初から最後まで、読んでいただきたいのです。

私の文章はいつも長文ですが、長いことが不利にならないように、

内容だけでなく、言葉のリズムや、全体の展開を意識しています。

とちゅうに「※」を入れるのも、適度に休憩をとったり、

「あそこまで読もう」と思ってもらうために入れています。

 

そして、「また読んでみよう」と思ってもらえるように。

それを心がけています。

 

いちばんの狙いは、読んだ後、そんな見方もあるのか、とか、

ネット上でもリアルでもいいのですが、

誰かに「こういう意見もあるらしいよ」と話したくなったりすることです。

 

そうして、少しずつ「考えることの面白さ」が伝わっていけば、

世の中が変わって行くと信じているのです。

 

世の中って、「人」の集合体ですから。

人が変化しないと、世の中は変わりません。

どんなに小さな変化でも、それが何億という単位に広がれば、

やがては何かが変わるはずなのです。

 

私には、世界をガラリと変える力はありません。

なので、私ができることとして、誰かの心の中に、

小さな火を灯すということをできれば、と思っています。

 

 

さて、寄せていただいたコメントには、

少数の内容に対する反対意見と、

大多数の「書き方への評価」を頂いていました。

 

「わかりやすい」とか、「読みやすい」ということです。

 

その評価は、本当にうれしいことでした。

なぜなら、私自身が自分に課している大きな課題があるからです。

 

それは「怒らないこと」です。

 

私は物事を真剣に考えてしまうタイプなので、

性質的にすぐに怒ってしまいやすいのです。

それで若い頃はだいぶ失敗しました。

 

そのことでいちばん苦しんだのは、誰あろう、私自身でした。

 

ですので、「怒り」というものについて、

真剣に向き合い、調べたのです。

 

そうすると、「怒り」という感情が、

人間にとってものすごく大きな課題なのだ、ということがわかりました。

これは一生をかけて取り組むべき課題なのだ、ということも。

 

私は、結構、いろんなことに怒っています。

このブログでも、怒った口調で書いてしまったものもあります。

しかし、そういう書き方をされた文章が、

議論の相手の心に届くことは絶対にありません。

 

単なる自己満足です。

 

しかし、私が望んでいるのは、「自己満足」ではありません。

あくまでも、本当の効果です。

 

だから、自分と向き合いながら、

自分とはちがう考えの人や、まだ考えていなかったという人が

これを読んだらどう思うだろうか、

いや、最後まで読んでくれるだろうか、ということを意識しているので、

「読みやすい」「このブログなら読みたい」という感想をいただけたことは

自分の発信の方向性に自信をいただける材料となりました。

 

 

さて、いい話ばかりではなく、マイナスな意見ももちろんありました。

 

そこで、コメントをくださった方から辿って行って、

自分とはまったくちがう考えを情報発信されている方を見つけました。

 

日本は神である天皇の国で、

日本は戦前に戻るべきだと本気で思っていらっしゃる方です。

 

本気ですから、その人の意見というものの重さは非常に重いわけです。

その人はカリスマ性もあるのか、多くの方が投稿をシェアし

イイネやコメントの数も、私など比べ物になりません。

 

その人のタイムラインに書いてあることをたくさん読みました。

 

私は、とにかく「怒る」ということから離れたいので、

そういう意見からは距離を置いていたのですが、

勇気を持って、落ち着いて、読んでみたのです。

 

読むときにとにかく気をつけたのは、

「はぁ?」みたいな感情を持たないことです。

逆に私の文章を彼が読んだときに、「はぁ?」で片付けられたくないので、

まずは私がちゃんと読む。

 

そうすると、ちょっと意外なことがわかりました。

 

日本は神の国であり、国防のためにもっと軍備を増強すべきだ、

韓国も中国も敵だ、という彼らは、同時に、

人の愛や平和についても熱く語っているのです。

メディアへの批判も、我々と同様にしています。

 

とても興味深かったです。

 

私はむしろ、そういう方々と、どっちが正しいのかなどという

意見をぶつけあう論争ではなく、

どうしてちがう考えを持っているはずなのに、

ゴールは同じなのでしょうね?というテーマについて

一緒に分析してみたいな、と思ってしまいました。

 

興味深くないですか?

 

でも、そのときにどうしても必要なことがあって、

それが、「怒らないこと」なのです。

 

 

彼らの文章を読んでいて、とにかく感じるのが、

「怒っている」ということです。

 

ん?待てよ?

私も含めて、私と同じようなことを考えている方々も、

よく「怒ってる」んじゃないか?

 

「安倍政権はとんでもない!」私もいつも言っています。

「国民は、目を覚ませ!」と。

 

そして、関心度の低い人たちが、どうしても嫌悪してしまうのは、

この「怒っている」というムードがあるからじゃないか?

そう思うのです。

 

 

どうして怒ると良くないのか。

 

前回「論破」でも書いたように、

人は強硬な議論で論破されるということは、ありません。

議論のゴールは納得や共有であり、

それができなかったのなら、その議論は失敗です。

 

そして、「怒り」という要素は、

つねにその「納得」や「共有」の邪魔をしてしまうからです。

 

では、「怒り」という現象についてみていきましょう。

 

人間は、交感神経と副交感神経というもので制御されています。

交感神経は「興奮」で、副交感神経は「抑制」だとでも思ってください。

 

で、交感神経優位、つまり興奮状態優位にしてしまうと、

それはなかなか鎮静しないようになってしまう性質があるのです。

具体的に言うと、いちど交感神経優位になると、3時間は戻らないそうです。

 

それって体験的に理解できませんか?

 

何かで腹が立った時に、口に出して怒ってしまうと、

余計に怒りが増長してしまう。

で、その気持ちが収まらないために、3時間くらい不機嫌なままでいる。

 

そんな経験です。

恥ずかしながら、私はあります。

 

謝ったのに、喧嘩が終わらない理由もそれです。

一言で言えば、「気が済まない」ということですね。

そうなってしまうと、もう建設的なものが生まれる可能性はなくなります。

 

そう。「怒り」は人類の明るい未来を壊す、

万人に共通の敵なのです。

 

だから、心の中に小さな「怒りの炎」が灯った時、

それが小さな間に吹き消してしまうことが重要なのですね。

 

吹き消し方にはいろんなやり方があるのですが、

私は、「5分後の未来を想像する」というやり方を心がけています。

 

「この一言、言ったらどうなるかな?」と考えてみる。

そうすると、きっと向こう3時間を台無しにすることになるな、

と想像できるわけです。

 

だったら、ここは飲み込んでしまおう、と。

 

もちろん、毎回そうできるわけではなく、

ときどき人に迷惑をかけてしまうときもありますが、

そうしてしまうときの自分の心理に向き合うと、

それは相手に対して「甘えてる」ということなんですね。

 

許してほしいとか、認めてほしい、という。

 

そんな自分に打ち勝つ必要があるわけです。

 

自分を認めてもらうには、まず相手を認めること。

これです。

 

 

話が逸れてしまいましたが、

 

「大東亜戦争は間違っていなかった!」というときも、

「原発の再稼働をするな!」というときも、

「韓国は慰安婦問題を持ち出すな!」というときも、

「憲法9条を守れ!」というときも、

「南京大虐殺なんてなかった!」というときも、

 

互いにもっと穏やかな口調になってみたらどうかな?と思うのです。

 

なぜなら、語気を荒げると交感神経優位になるわけですが、

この状態は麻薬のような一時的な快感をもたらすので、

なかなか冷静な気持ちに戻れなくなってしまうからなのです。

 

だから、最近私は、怒っている人をみると、

「もったいないなぁ」と思うのです。

 

なにがもったいないか、というと、「生きている時間が」です。

怒っている状態で本当に物事が前に進むことはないからです。

 

先ほど副交感神経は「抑制」だと書きましたが、

「知性」と言ってもいいと思うんです。

 

自分が大声出して言いたいだけなら、それでもいいのですが、

周りの人にも本気でそう思って欲しいなら、

怒らない方が絶対にいいんですよね。

 

どうでしょうか。

 

また例のごとく長文でしたが、怒らないでくださいね!