最近、長年のモヤモヤが

やっと言語化出来たのです。

 

 

それは

みんな「感謝が大切だ」

「感謝の気持ちがない人は大成しない」

と同じことを言っているのに

すっとその言葉が入ってくる人と

違和感がある人の違い。

 

 

ここもね、やっぱり在り方なんですよね。

そして土台がちゃんとあるかないか。

やっぱり全ては土台だな〜と思ったんです。

 

 

 

何を隠そう私の母が

「感謝は魔法の言葉」

座右の銘のような人間なのですが😅

 

そんな母から私は

「感謝の気持ちが弱い(薄い)子」

「どこで教育を間違ったのか」

とよく言われていました。

 

 

その度に

『感謝してるんだけど...』

と思っていたのですが

 

感謝は伝わって始めて意味がある

という最もらしい理論?理屈?を持ち出して

『私は何かが欠落しているのか...』

と悩んでいた時期もありました。

 

 

 

確かに、ないベースだった時期は

感謝しているつもりで

感謝出来ていなかったこともたくさんあり

それに氣付けたことは人生の転機の1つだし

母にはとっても感謝しています。

 

 

そして大前提として

在るを見る、感謝して生きるというのは

豊かな人生を送るには不可欠です。

人類万人に当てはまることです。

(ここで言う豊かさとはお金とか名声ではなくね)

 

 

 

が!笑

 

同じ言葉を言っていても

スッと入ってくる人と

なんだか引っかかる人、いませんか?

 

この言葉に限らずですけど。

 

 

その違いは何なのだろう?っとずっと思っていて

目上の人には『私が未熟だからかなぁ』とか

母には『個人的な感情が邪魔しているのかなぁ』とか

ぐるぐるしていたのですが

 

ゆうみさんから在り方と辻褄の一致を学び

先日同志と話す中で、謎が解けたんです!

 

 

 

何か引っかかるな、と言う人はみんな

「感謝が大事」と言いながら

自分に返って来る感謝をカウントしているんです。

 

自分がやってあげたことに対して

感謝が返ってこないと怒るんです。

寂しさから怒りになるという感じ。

そして感謝できない人を攻撃する。

 

 

何度も言いますが

感謝することが大切なのは大前提で

しなくても良い!と言う訳ではなく

私は感謝を大切にして

在るを見る在り方をしたいと思っています。

 

 

でも、だからと言って

「私に感謝しろ!」とはならないんですよね。

そもそも何かをして"あげた"とならない。

 

感謝されるためにやってる訳じゃないし

自分がやってること、全部自分のため。

だから誰かのためにした行動も

結局は自分のための行動なんですよね。

 

だから感謝が返って来るかどうかって

どうでも良い。笑

 

相手が返す返さないに関係なく

自分のためになってるから

自分で自分を満たせているから

感謝を見張らなくて良いんですよね。

(自分が感謝を伝える時は、ちゃんと伝えたいなと思うから、伝わるように努力しますけどね!そこはまた別!)

 

「感謝は大切」と言いながら
感謝を見張るこの在り方って

自分で自分を満たせていない

めちゃくちゃ土台がない状態ですよね。

 

自分で自分を満たせないから

人から感謝を返して欲しくなる。

 

 

これ、結局ないベースだから

感謝してるつもりで出来てない

自分が1番感謝出来てない在り方

になってるんですよね。

 

 

この言葉に限らずだけど

辻褄不一致!

やっぱり違和感になる訳です。

 

 

 

在り方と行動の辻褄合わせって

本当に大切だなと改めて感じました。

 

私もまだまだたくさん不一致があるので

氣付いた所から実践していきます!

 

 

 

MIKU