元は大森氏が治めていました。
1495年に、伊勢新九郎盛時(北条早雲)が小田原城を奪いました。
早雲は韮山城を拠点としていて、2代氏綱が小田原城番として守備する事になりました。
1518年、氏綱が家督相続後小田原城を本拠地としました。
1523年、鎌倉幕府執権であった北条姓に改名し、この地を領有することを正当化しました。
その後、度重なる上杉・武田の侵攻を防ぎ、小田原城は鉄壁な城郭になっていきます。
豊臣秀吉の天下統一の仕上げである小田原城攻めで、圧倒的な物資と戦力に対して降伏、氏政は切腹、氏直は高野山に流され北条氏は滅び、戦国時代の幕が引かれる事になります。
小田原城は、徳川家康に与えられ大久保氏が城代として入ります。
その後、大久保氏→阿部氏→稲葉氏→大久保氏と城主が替わり明治を迎えます。

氏直の死後、高野山に流されていた氏政の弟の氏規が、豊臣秀吉より許され下野国に4千石を与えられます。
その後、氏規の子である氏盛が、徳川家康から河内国狭山藩に1万石を賜り、北条氏の血筋は明治まで続きました。

1870年、廃城令によりほとんどの建造物が取り壊されました。
現在の天守閣は、1960年に再建されたもので、2016年に耐震工事と修復が行われています。

大手門跡



天守閣





本丸跡



二の丸跡


二の丸隅櫓



馬出門



内冠木門



銅門



常磐木門
本丸に続く重要な門です。


住吉橋



学橋


内堀

本丸東堀跡