江戸時代、街道の整備が進みましたが、政策により大きな川には橋は架けず、船・徒歩で渡らなくてはなりませんでした。
大井川は、特に船も禁止されていました。
両岸では、川越しを支援する人々が現れ、元禄時代に料金や川越しの方法を統一するため、川越制度が確立されました。

大井川東岸の島田宿でも、川会所が設けられ川越しの運営を行っていました。
明治3年には、船が許可され廃止となりました。


島田宿大井川川越遺跡
川越しのための川会所や人足の詰所があった場所で整備されています。




川会所
川会所の役人は、毎日水深を測り川越銭を決めたり、利用者の割り振りや荷物の配分など行い
運営していました。
また、大雨などで渡れない場合、近隣の宿場町に連絡し調整していました。
現在の川会所は、1856年に建てられたもので、明治以降の川越制度廃止後、事務所や学校に利用され位置も転々としていましたが、1970年に現在の位置に移築されたものです。




輦台





川越銭は、大井川の水深や川越しの方法により定められていました。
利用者は、川会所で川札・台札を購入し川越人足に渡します。
一般的には、人足に肩車をしてもらい渡ります。
お金持ちは、輦台といった輿で渡ります。
参勤交代をする大名は、大掛かりな川越しとなり費用が嵩むことになります。





大井川東岸から対岸の金谷宿を臨む



札場
川越人足が、川札を現金に換金する所です。
その内2割は、川会所の運営費や役人の給金などに当てられます。




番宿
1~10番まであり、川越人足が普段詰めていた所です。

十番宿




三番宿




街道風景


場所は、JR島田駅より西へ2kmです。
バスは本数が少なく、徒歩・タクシー・自家用車で訪れて下さい。