平原(ひらばる)遺跡
弥生時代後期の遺跡です。
墳丘墓は、1~5号まで確認されています。
墳丘は崩れていて、1号墓のみ復元されています。
この遺跡の特筆するところは、銅鏡が40枚出土した事で、一つの墳丘墓から出土した枚数としては最大級です。
また、大型内行花文鏡が5面あり直径46.5cmで、伊勢神宮の八咫鏡(三種神器)と同等で最大級です。
全て国宝です。
副葬品は、勾玉や耳飾りが多く武具類が無いので、埋葬されていたのは女性であったと考えられています。
埋葬品から推察すると、魏志倭人伝に登場する邪馬台国の卑弥呼ではないかとの本を読んだ事があります。








この辺りは、弥生時代から古墳時代までの墳丘墓がたくさん点在しています。



築山古墳
1600年前(古墳時代)の前方後円墳です。
現在の墳丘は、前・後とも部分的に削られています。
未発掘のため、詳しい事は判明していませんが、伊都国王に代わって、この地を治めた豪族の墓であっと考えられています。


端山古墳
築山古墳と同じ前方後円墳ですが、前部は消滅しています。
築山古墳と同様で、豪族の墓であったようです。


三雲南小路遺跡
弥生時代後期の遺跡です。
伊都国王の墓であり、弥生時代最大級の王墓です。
墳丘は無くなっていますが、1号甕棺・2号甕棺が発見されていて、近くにある伊都国歴史博物館に展示されています。
銅鏡(前漢鏡)が1号甕棺で35枚、2号甕棺で22枚の他に武具・ガラス壁・勾玉・管玉などが発見されています。


甕棺


井原鑓溝遺跡
江戸時代、福岡藩の国学者の記録で、農民がたまたま甕を発見したとの記録があります。
壷がたの甕棺であったと推測しています。
最近の道路拡張に伴う発掘調査で、1~9号までの石棺・木棺・甕棺の墓が発見されており、銅鏡・ガラス玉が副葬品として発見されています。
王に次ぐ上位階層者の墓ではないかと考えられています。


銭瓶塚古墳
古墳時代の前方後円墳です。
現在は、前方部と後円部の一部が壊されています。
周りからは、埴輪が出土していますが、埋葬施設については発掘調査ができていません。
怡土(いと)平野の首長の墓と考えられています。


狐塚古墳
古墳時代の円墳です。
横穴式石室と小型の竪穴式石室が発見されています。
怡土平野の首長の墓と考えられています。


ワレ塚古墳
古墳時代の前方後円墳です。
一部が壊されています。
周りからは、埴輪が出土していますが、埋葬施設については発掘調査ができていません。