誰もが皆

生まれた環境を五感で捉えながら

慣れ親しんで安心感を覚え

いつしか愛着を持ち

比べるものなど何もなく

それしか知らずに育つものだから

必然的に愛するようになる


その必然の流れに

種がひとつ流れていたとして

たとえば川底の岩にでも衝突して

その拍子に水面から飛び出し

風に囚われて

必然から離れてしまう


やがてその種は行き着いた場所に根を張り

芽を出して枝葉を伸ばし心を宿す


必然の流れというのは

ひとつじゃない


いくつもの流れが交差し

海へと流れ込み

天空へと引き上げられて

また地上へと降り注ぐ

その繰り返しもまた

必然の流れのひとつでしかない


人の一生もまた

時の流れという必然のひとつであり

川の流れのような人生も

風を乗り熟すような人生もある

ただただ流され続けて

時には吹き飛ばされる事もあるだろう

おそらくこの人生はそんな流れに

巻き込まれてしまったくちだ


胎動出来るようになってから

物心がつくまでの間に起きた出来事の記憶は

おそらく保管出来ない

それでも存在し始めた瞬間からの

五感情報は身体に刻まれる


お腹の中にいる時に刻まれた

感覚を明確に表すのは困難だけれど

断片的なヴィジョンが

時折サブリミナル効果のように

気持ちを刺激する

それはもしかすると

常にその刺激を受け続けていて

何かの拍子に意識下へ

現れているのかもしれない


十月十日を過ごす場所が

初めての居場所であり

そこでは常に母体と繋がり

感覚を共有しているとしたら

先天的と呼ばれる

個人の特性はその期間に

身体に刻まれた五感情報も

含んでいるかもしれない


切り離されてからも

まだ心は宿らない

目を開き手足を動かして

這い回りつかまり立ちを経て

歩く事で移動という

自由を手に入れる


この成長という果実を

決して忘れてはならない

その甘美な体験がまたその喜びを

再び味わいたいという欲求を呼び起こし

後の人生をただ前へと進むみ続ける

原動力になるからだ


平等とは誰もが味わえる

この喜びを指し示している

多くの人々が自由や平等を求めるのは

おそらくこの希望の虹を

心が芽生えるその前に

誰もが心に描いていたからだろう