決まり事を守るというと

当たり前のように聞こえるけれど

校則とか法律というと

堅苦しく感じてしまうのは

なぜなんだろう


未成年が飲酒や喫煙をするのは

法律で禁止されているけれど

実際に取り締まるのは

誰なのかと言えば

本人やその周りの人だろう


10代といっても

10歳と18歳とではまったく違う

同じ喫煙でも年齢によっては

度咎め方も変わるし

ましてや著名人となると

扱い方にも違いが出てしまう


人気子役の芸能人やら

スポーツ選手が代表例だろう


高校生や大学生なら

学校や事務所が

大会への出場を辞退するとか

本人が謹慎する事で反省すれば

それで解決

おそらく誰も不思議には思わない


ただそれが

オリンピック選手となれば

賛否が分かれるようで

オリンピックが運動会である以上

出場選手は若者が中心で

あらゆる技術や理論が

確立された現代においては

やはり若いほうが記録に現れやすいから

必然的に10代のオリンピック選手が多い


個人的には義務教育を終えた時点で

大人になると思っているから

飲酒や喫煙なんて本人の自由だと思う

だから隠れて飲んだり吸ったりする分には

問題ないとさえ思っている始末


ただ事が公になったら

処分はされるべきだと思う

たとえそれが

オリンピック選手だとしても

大会への出場

は辞退するのが当たり前


義務教育を終えれば

自分の立ち位置位は判断出来る筈で

ましてや周りの親や友人

教師やコーチなど関わる人が多ければ

なおさら判断しやすい

その環境で飲酒や喫煙が

暗黙にでも認められているのなら

本人やその仲間が

キチンと隠れてすれば良いだけ

でも違反はしている訳だから

公になれば

罰せられる覚悟は常に必要なだけ


犯罪者が犯罪を犯しているという

自覚があるから隠れて犯行に及ぶのと同じ

彼らは見つかれば逃げれば良いけれど

ほとんどの人はそうはいかない

だからルールは守るのが当たり前だと

幼い頃から教えられる

それがこの国の教育方針だから

どんな立場の人でも

罪が公になれば罰せられなければならない


19歳のオリンピック選手が

飲酒や喫煙をした事で

オリンピックへの出場を

断念させられたというニュースを見て

そんな事で若者の夢を奪って良いのかと

思っている人もたくさんいるようだけれど

私は奪ったほうが良いと思う


もしもここで

特別な存在だからと特例で

社会が許してしまうと

規律が曖昧になって

その時々の感情や状況によって

決まり事が変わるというのは

旧世界へ逆戻りしてしまう


もしも次のチャンスでも

オリンピックへ出場が出来なかったとしても

その処分を受けた選手は

この教訓を未来への糧とする事は出来るし

ここで許されてしまうと

その後の人生において

その成功体験が邪魔になる日が必ず来る


オリンピックに出場して

金メダルを取るよりも

この後の人生を

より良く過ごすことのほうが

本人にとっても遥かに重要で

この教訓は必ずどこかで活きるから

ここは機械的な判断が正しいと思う


そもそも決まり事は

機械的にポンと判断しないと意味がない

法律や校則や契約は

守るほうが便利で

いちいち揚げ足を取っていたら

面倒くさい