歴史の次は、EUの統治機構について。

EU27カ国で構成されており、扱う守備範囲も多岐にわたるため、その機構は極めて複雑なものとなっている。以下、EUの主な機構について簡単にまとめていく。

(1)欧州理事会(European Council

欧州理事会は、加盟国の首脳が集まるEUの最高意思決定機関である。半年に2回、定期会合が行われ、主にEUの進むべき大まかな方向性について決定されるが、各閣僚理事会における議論で決着しなかった案件について判断を下す役割もある。意思決定は原則として全会一致によっており、閣僚理事会で導入されている特定多数決制(後述)は採用されていないが、案件によっては議長の判断により多数決で決定されることもある。

従来はEUの正式な機関ではなかったが、アムステルダム条約により、EUの正式な意思決定機関となった。また、リスボン条約以前は、議長(President)は加盟国の持ち回り制で任期は半年間だったが、リスボン条約により各国から独立した任期2年半の常設議長制が導入された。新しい議長は各国のポジションとの兼任が認められていないため、連邦主義的な方向への推進力となり得るかどうか、注目されていた。このため、リスボン条約発効以降の初代議長が誰になるかで注目を集めたが、当初有力視されていた元英国首相で国際的な知名度も高いトニー・ブレア氏は選考から漏れ、元ベルギー首相のファン・ロンパウ氏が就任した。このことは、EUが各国の利害を超えてより連邦主義的な組織に脱皮していくための強いリーダーシップではなく、各国の利害を調整するための調整型リーダーシップを選択したと受け取られている。現に、昨年のソブリン危機の際に議論を主導したのはアンゲラ・メルケル独首相をはじめとする各国首脳であり、初代常任議長の影は薄かったと言える。欧州委員会委員長との関係など他にも課題は多いが、ますます複雑化するEUの中で、今後の議長のリーダーシップの行方が注目される。




このように、EUの成功は単なる幸運や偶然で片づけられるものではなく、非常に巧妙な仕掛けの上に成り立ってきたと言える。その意味で、EUの歴史は、今後の日本の進路を考える上でも非常に示唆に富んでいると言える。例えば、日本などが提唱した東アジア共同体構想は、EUの歴史から学ぶべきことが多いだろう。東アジア共同体構想は、経済的な利益の側面から語られることが多いが、今や世界有数の不安定地域となってしまった東アジアの安定化のためにも、非常に大きな意味を持ち得るものである。また、経済的な利害による結びつきは、関係国の利害が一致している際は強い関係が保てるが、一度利害に齟齬が生じた場合には意外にもろい。それに比べ、EUのアプローチは大きな目標(域内安全保障)に向けて小さなステップ(石炭・鉄鋼の共同管理)から始めることにより、統合初期の段階で各国が共通の方向性を見出しやすい(妥協のメリットを大きく、コストを小さくする)土壌ができたため、中立的かつ強力な権限を持つ超国家機関(High Authority、欧州委員会)への権限移譲が可能になったのではないかと考えられる。その後、統合の深化と拡大をStep by stepで繰り返すうちに、徐々に各国にとってEUが必要不可欠なものになり、その地位が確立していったのではないかというのが、私の考えである。

しかし、現在のEUは、同時に様々な問題も抱えている。その多くは、80年代後半からの急速な統合の加速に伴うひずみによるものと思われる。民主主義の赤字、利害対立の複雑化、透明性の欠如、経済格差の拡大など、問題は多岐にわたっているが、それぞれの問題についてはまた別途扱いたい。マスコミの論調などでは、現在のPIGSPortugalItalyGreeceSpain)諸国のソブリン危機をユーロの崩壊とEU解体の兆候であると悲観的に見る向きも多いが、EUの歴史を踏まえて考えると、現在の問題や停滞はEUの終わりの始まりではなく、一時的なものではないかと思われる。なぜなら、ドイツがギリシャの救済についてどんなに不満を言おうと現在のドイツの好景気はEUによるところが非常に大きく、ユーロやEUからの離脱は考えられないし、同じような事情はどこの国も抱えているからである。急成長のひずみを調整するために一定期間の停滞期があるかもしれないが、それは終わりの始まりではなく、統合の次の段階への準備期間ではないだろうか。

(EUの歴史・了)




第四の成功要因は、EUが持つ2つの柔軟性である。1つめの柔軟性は、EUの法令に関するものである。EU内の法令の中で法的拘束力のあるものは、「規則(Regulation)」と「指令(Directive)」の2種類が存在する。このうち、規則については各国法を飛び越えてEU域内に直接適用されるが、指令については各国法でその内容が担保されることが求められる。つまり、指令内容に基づいて必要に応じて各国で法改正などを行う必要があるのだが、ここでは各国の解釈の余地が残されるため、各国は法改正を必要最小限に止めることができる。これが1つめの柔軟性である。2つめの柔軟性は、統合の進め方に関するものである。第一・第二の要因で述べたように、EUは域内安全保障を究極の目的に据えたことで、政治的なプライオリティが高まり、経済的利益を多少犠牲にしてでも統合を推進するインセンティブが生まれ、同時に超国家的組織である欧州委員会や欧州議会に大胆な権限移譲を行うことも認められた。しかし、加盟国が増え、統合分野が拡大するにつれて、加盟国間の利害対立が多くなり、また戦後数十年が経つと域内安全保障と言う当初の目的も達成されたように見えるため、加盟国間の合意形成は益々難しくなっていった。そこで採られた方法がOpt-out方式、つまり各国に非常に重大な影響を与える場合には、一部の規定についてその国に限って例外を認める、というものである。これの最も顕著な例がユーロ(EU加盟国のうち17カ国が使用)であるが、これ以前にもOpt-outではないが、イギリスへの分担金の還付など、必要に応じて柔軟な措置が取られてきた。これらの柔軟性によって、特に80年代以降、EUは統合を継続できたと考えられる。


(続く)