花七美月(旧グリーンハート)高山紅二子です🌸     

 

 

たくさんのブログの中からお読み頂き  

ありがとうございます😊    

エステティシャンとして35年、自己犠牲

を手放し、自己受容により、ゆるやかに

自分を生きることを決め、今までの人生

を書いています。🌺

 

 

幼少期の体験は、知らずにトラウマに 

なっていたと気付きました。😱   

 

そのときのお話をまとめました。 第1章幼少期 です

 

 

中学時代以降は、出来ない自分や、弱い 

自分を隠しながら、周りが求める人に 

なっていこうともがいていた時代でした。 

けれど何かが、おかしくなっていたのです。

 🤗💖     

 

 
 
 

前回のお話はこちらです。→#55 どんなに否定や、抵抗をしても基本は親の教えでしたです。

 
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
 
前回のお話は、大手のエステサロンで、
働き、役職を頂きスタッフ育成にあたり、
親からのいい面も、自分で否定している
部分も、全ては!身体が覚えて自然と
出来てしまう事だと気づいた話しでした。
 
20歳から大手エステサロンさんに就職し、
前橋店、高崎店、桐生店、本庄店と動き
役職も、主任、チーフ、店長などを、
経験させて頂き、日々、あっという間に
毎日が過ぎていきました。
 
このあたりの事は、細かい日々の事で、
書いていくと、サロン内での毎日の業務
内容の事ばかりになるのではしょります。
 
 
25歳からは、主人になる人と暮らし始めました
彼は、今までの仕事を全て手放し、今までの
お金は、別れた奥様に全て渡し、ほぼ無一文の
状態になりました。
 
本来ならこの段階で、結婚相手としては、どう
なんでしょう?ですが。
当時の私はそんな事全然気にしないで、一緒
にいました。
 
妊娠しても、5ヶ月以上育たなくて、流れる
事が続き、自分を責めている時もありまし
たね。妊娠出来るのに育てられない私の身体
が何がいけないのか?
 
お金が無かったわりには、気持ちがすさむ
事もなく、穏やかな日々を過ごしていました。
 
 
20代は、実家から、離れたくて、仕事や一緒に
居る人と出逢い、親に始めて思いっきり、反発
して、勘当同然で、実家を飛び出して自分で、
生きる事を選んだ時でもあります。
 
この10年で、多少私は、自分が頑張って、自分
を認めて、生きていけるようになってきていま
した。
 
そんな日々も、私が、30歳の
ある夏の日から、思いっきり
変わりました。
 
 
 
今日もお付き合い頂きありがとうございます😊
 
 
私は、今までの人生でここまで、がむしゃら
に生きていた時は無かったかもしれません。