

なぜエスプレッソを伝えるのか。イタリアのバールスタイルを伝えるのか。
それは、イタリアでその魅力に取り憑かれてしまった人たちがいるからだ。カフェブームが過ぎ去り、今デザインカプチーノが新たに流行の兆しを見せ始めている。エスプレッソを伝えて行く人たちが、デザインを書くという事実。コアなイタリア好きの方には、そんな子供だましのものではなく王道であるエスプレッソを発信しろという、ご指摘も頂くことも。またエスプレッソ好きの各方面のバリスタは、そんなデザインに走る姿勢を頭から非難したりもする。
『何をやっているんだ』と。
しかしながら、そう非難するイタリア好きの方の友人でエスプレッソを飲んだことがない方に、飲んでもらうために自ら勧めて価格と価値を理解されたことがあるだろうか?
また、そう非難するバリスタのお店で何杯のエスプレッソが提供されているのだろうか?イタリアのように1日3000杯も売っているのだろうか??
少なくとも自分の経験上、エスプレッソで1日50杯、カプチーノ300杯、カフェラッテ300杯などと、フレッド系とパニーノ、ドルチェなどなどで1000組のお客様50万の売り上げが精一杯だった。客単価は500円前後といったところか。エスプレッソは250円。会社の方針とは言え高いと自分でも思う。
しかしながら、カプチーノからカフェマッキァートへ、そしてエスプレッソへとお客様に飲んでいただくこともあり、着実に道は続いていると感じていた。
しかし今年から店舗内を指導していくマネージャー職を辞めて、本格的に専門学校という教育の場へと舞台を移すことにした。それはお店の中からの発信だけではなく、本物の味や抽出手順、最も大切な『心、気持ち』を持った作り手を育てることが重要であると思ったからだ。
先日も名古屋でのイタリアフェアの催事に、ロスパッツィオの野崎バリスタと参加させていただいたが驚くことがあった。それは一週間の催事の中で野崎バリスタに常連のお客様が出来てしまうのだ。そしてカプチーノからカフェマッキァートへ最後はエスプレッソを飲まれていた。お客様にとって入り口はデザインカプチーノであったかもしれないが、こうして苦いだけではなく甘みや香りのある、本当に美味しいエスプレッソは確実に伝わっていっている。何がデザインカプチーノを作らせるかと言えば、それは自分も含めてエスプレッソで一度は勝負し、エスプレッソだけで文化を根付かせようとチャレンジしたことがあるからだ。今の現状を見ればわかるが、そのチャレンジを成功させた人はいない。その苦悩の中でデザインカプチーノを認知してもらい、エスプレッソの味を知っていただければという気持ちが今の形になっている。
エスプレッソは急行という意味の他に『あなたのためにお作りするもの』という意味があると以前にも書いたが、間違いなくカプチーノにもカフェラッテにもエスプレッソは使われており、それが1杯1杯ていねいに温められたミルクと混ざり合うのである。そして昨日も書いたが、人の手から人の手へとカフェが行ったり来たりするのである。
自分が今出来ることは、気持ちを伝えること、エスプレッソを多くの方に知っていただくこと。何より、技術先行で評価されて行く人材を育てることではなく、気持ちがあるバリスタを育てること。技術は何年もやれば上達するが、気持ちは最初に教わらないと曲がってしまう。それは結果として売り上げにつながらない。リストランテなどのカメリエーレがしっかりサービスしていればいいのとは違い、自らがバンコに立ってサービスし調理し、皿を洗うのだ。気持ちが無ければ続く職業ではない。何のための技術なのかを忘れてしまっているバリスタが多くはないか??自己満足と自己顕示のためだけのバリスタが多くないか??たまにふらっとカフェに入ると自慢げな顔で笑顔も無く、形のいびつなハートのカフェラッテを出してくる人がいるが何がしたいのだろうか??あなたの技術を見に来たのではなく、飲みたいタイミングで適温で作られたカフェラッテが飲みたいのだ。まったくお客様の気持ちを理解していないバリスタはバリスタと呼ぶべきではない。以前働いていたお店のスタッフに良く言っていた言葉がある。
『俺たちは芸術作品を作ってるんじゃない、飲み物作ってるんだ』
赴任したての店で目にしたのは、お客様を待たせてもハートで出すことにこだわるスタッフだった。作ることだけに集中して、まるで機械のようだった。もしそれがやりたいなら、今の10倍のスピードで作ってくれとも話した。5倍のスピードで作り、残りの5倍のゆとりで笑顔でサービスしろと。作るだけなら機械がやればいい。何で人が作ってるのか考えろと。このまままなら、セミオートマチックのマシンを捨てて、フルオート入れてもらうぞと話したこともあった。機械なら朝から晩まで休まず働いて文句を言うことも無い。
ここで僕が本当に言いたかったことは、その先に何があるのかと言うことだ。彼がひたすら無愛想にハートを作り続けた先には『バリスタってつまらない』という一言だろう。バリスタの醍醐味はお客様とのコミュニケーションそれしかない。それは洗浄機の前にいるスタッフよりもお客様と触れる機会が多いからだ。スタッフには『コーヒーは最強のコミュニケーションツール』と言っていた。お客様との話すきっかけは洗浄機のスタッフよりもはるかに多い、そのポジションが機械のように働いていたのでは意味が無い。そして彼はエスプレッソを嫌いになるであろう。このようなことが続く限りバリスタの認知度やエスプレッソの認知度が上がるはずがない。理由は簡単だ、売り上げが上がらずにつぶれるからだ。お客様を見ないで技術や価格にあぐらをかいて生き残った企業があるだろうか。そして、スタッフが生き生きと働いていないお店で利益が伸びているお店はあるだろうか。
これからも様々な場所で、エスプレッソを伝えて行きたい。飲み方、飲める場所だけでなく、バリスタの気持ちのトレーニングをしっかりと伝えて行きたい。
今週の土曜の講義では、このような話を織りまぜたいと思う。



