言われなければ知る由もないことではありますが、「ご自分で精一杯のことをする」とか「人間としての最善を尽くしていればそれでよい」とか、霊訓に限らず言われたり教わったりしますが、それは究極的には何をそんなに頑張るのか。

「霊の道具として励んでいる者は、物的生活の必需品に事欠くことには決してなりません。こちらから用意してあげます。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにはなりません。きっと何とか切り抜けられるものです。」

 人間はもともと霊の道具として創造されたから、その役割を果たす。たしかに大霊の視点に立つとそうなるでしょう。

 ところで、家の外に出たら7人の敵に囲まれている、とよく言われ、つい文字通りに近い意味にとってしまいがちかもしれませんが、喧嘩もしたことのない自分は、そんなときオロオロするばかりで抜かりなく対応できる人はすごいと思います。ただ、霊の道具としてはそういう敵にもただ敵対するのではなく、その敵をも愛するということかなと思います。

(「シルバーバーチの霊訓11」2章)