敢えて言うまでもないが、わたしのことである。
自分より立場が上の人間にほどキツいのは、いわゆる <姐御肌> とは一線を画す。
わたしの場合、それは <末っ子気質> からくるものだ。
末っ子はどうしたって立場が弱く、何事に対しても分が悪い。
自分の主張は自分の力で通すほかないのである。
東京での勤めを経て、ちょっと外国で遊んだあと、次の居住地にわたしが選んだのは大阪だった。
勤めたのは小さな広告代理店であったが、業務内容は大手代理店に上手く食い込んで業績は上々。
折しも <大阪花博> の準備段階の頃だったので、景気自体もウハウハである。
わたしの適性も広告業界には向いていたのだろう、大手代理店の有力者の覚えめでたく出向という形で参入させられ、自社で過ごす時間よりそちらで働く時間の割合がどんどん増えていった。
稼ぎ頭のような形になってしまったため、自社での出世も秒刻み。
入社後一年も経たない間に、デザイン部門を含む企画課16人の長となってしまったのだった。
二年目の夏、田舎で父が倒れた。
会社に迷惑をかけるからと辞職を申し出たが、様子を見てから結論を出しても遅くはないだろうと言われ、一ヶ月間の長期休暇をいただけることに。
そのとき、わたしは社長にこう言って田舎に帰った。
「わたしが不在した途端、製版のS主任と課員たちは、おそらく衝突すると思います。 社長、もう目を瞑って誤魔化せる状態ではないんですよ。 すべては社長がS主任を甘やかしてきたツケなんです」
社長は唸って考え込み
「わかった。おまえが帰ってくるまでには、Sのことは俺がちゃんと処分しておく」
と答えた。
果たして一ヵ月後、自体は懸念以上の結果を招いていた。
S主任は処分されるどころか、意に沿わないすべての課員のクビを切ってしまっていたのだ。
どういうわけかと社長を問い詰めると、その答えはこうだった。
「タイタンがいない間に、いろいろあったんや。 もう何も言うな、俺はどこまでもSの味方に着くことに決めたんや」
どだい、社員の生活を担っているという認識を持たない経営者とはこんなものだ。
景気の良い時期だったとはいえ、会社をクビになることが人生に影響を与えないわけがないことには気が廻らない。
頭が悪い、と、わたしは表現する。
実際、そのときもそう言った。
「・・・社長、あなたは頭が悪すぎる。 S主任は、社長が受けている印象ほど扱いやすくはありませんよ。 社長がS主任から聞いている課員に対する讒言なんて、猫なで声でしかないんです」
S主任という女性の強かさを、この男は知らない。
いや、知らされていないというのが本当のところかもしれないが・・・。
社長室は、広い事務室の中をパーテーションで仕切っているだけだったから、わたしたちのやりとりは周辺にいる社員みんなに筒抜けだった。
もちろん、辞職を申し出たことも。
「わたしはタイタンには辞めてほしくないんやけど」
夕方、S主任が言った。
「タイタンはわたしにとって必要な人材やし、タイタンがいないと企画課はD社から外されるんやないかなあ。 あんた、会社つぶす気ぃなん?」
「会社は特定の誰かによって存在するのではない。 特定の力を持つ働き手が何人かあるとしても、それを支える多くの働き手があって初めて保たれるのが組織なんだと思います。 あなたは自分を特定の力を持つ働き手だと誤解しているのかもしれませんが、誰も自慢しないだけで皆あなたより価値のある実力を持っていますよ。 会社をつぶすのは、S主任、あなただ」
6歳も年上の先輩社員に投げつける言葉でないのは判っていたが、この会社でこんなことがやりたいと、明るいビジョンを持っていた社員がことごとく辞めさせられることに、わたしは心から憤怒していた。
現在でも、そのことについてはまったく反省していない
え? その会社ですか?
約一年後に、倒産したそうです(--)