生きることと死ぬること | カメロンのブログ

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今回は、ちょっと思うところもあり、
真剣に思いを書き綴ろうと思っております。
どよーーんと暗くなったり、
どどーーんと重くなったりすると思いますので、
テンション下げたくない方は、読まないほうがいいかも・・・。
こんだけ前振りしたら大丈夫か。


最近、硫化水素自殺が後を絶たない。
混ぜると危険と書かれているのを、
あえて混ぜて、命を絶っていく人たち。
その遺体は、緑に変色すると聞く。
きっと簡単に死を選んだわけじゃないと思うけど、
絶対ダメ。私がゆるさん。


そんなニュースを見ながら、ふと思い出したことがある。
私は、高校3年生の時、ブドウ膜炎という眼の病気にかかった。
夏だった。
いきなり光がまぶしく感じて、ささるように痛くて、
目が開けていられなくなった。
瞳孔の調整機能が効かなくなっていたようで、
病院に行ったら、「ブドウ膜炎」だと診断がくだった。
そこから毎日、病院通い。
眼科の先生が、受験生の私を気遣ってくれて、
いつも1番に見てくれていた。
毎日ありがたいと思いながら、
目薬で麻酔をして、
眼球の白目の部分に注射をするという日課をこなして、
学校には2時間目から通っていた。
貴重な経験を、心底面白がってもいた。
学校でも「目に注射してるねん」と自慢すらしていた。

でもある日、薬の受付で待っている時、
ふいに涙が出てきた。
というより、号泣した。
毎日、1時間目の授業が受けられない受験生の自分を思い、
情けなくなったのか。
自分を哀れんだのか。
病気は快方に向かっていたのに。
1ヶ月の通院期間のうち、その時だけだったけど、
世界で自分ひとりになったような心細い気分だったことを思い出す。

その後、病気の原因を追究するために、精密検査を受けた。
脳波も調べた。
でも、原因なんてどこにも見つからず、
結局は、「ストレス」のせいになった。
受験生だったから。
その当時の私は、全然ピンと来なかった。
受験生というプレッシャーを感じたこともなかったから。

でも、15年たって、私はやっと気付いた。
そういえば、当時の私は、授業中、
ことあるごとに、「死にたい」と思っていた。
いや、死にたいというよりは、
「この世からいなくなりたい」という気持ちの方が強かった。
頭の上の蛍光灯が落ちてきたらいいのに・・・って思うことが多かった。
なんて他力本願。
授業終わりのチャイムが鳴ると、
ハッとして我にかえり、へらへらした自分に戻っていた。
授業中の自分のことは、すっかり忘れていた。
だから、誰にも気付かれていなかったと思う。
別にいじめられてたわけでも、勉強が嫌いだったわけでもない。
変に潔癖で、自分の一言一句を悔やんで、
自分のことが嫌いで嫌いで仕方がなかったのだ。
それでいて、自信満々。
すごくアンバランスで、
でも鈍感さゆえに、そのことにちっとも気付いていなかった。

今だから分かる。
それが「ストレス」の正体だと・・・。
受験生といういい口実があったに過ぎなかったのだ。
毎日が、自己嫌悪の繰り返し。
しんどかったな。
周りには、そうは見えなかったかと思うけど。

「いなくなりたい」とずっと考えていた私が、
「ここにいよう」と踏みとどまっていた理由がある。
それは、周りの人の存在が、ずっと自分の中にあったから。
これが一番、大きなこと。
ぼんやりしながらも、私は気付いてたから、
チャイムが鳴るたび、我に返ったんだろうなぁ。

社会人になってからも、辛いことがたくさんあって、
授業中の私状態になったことも何度かある。
「ヤバイぞ、私」と、何度も思った。
綱渡りの自分の限界点を決めて、
これ以上、耐えられなくなったら、
全てを放棄すると決めていた。
それが、社会人の私のチャイムになった。
苦悩を繰り返して、私は最近、やっと気付いた。
自分のことを、それほど他の人は気にしていないということに。
くよくよ考えても仕方がないということに。
自分のことを好きになるために、
人に嫌われないようにと努力してきたけど、
方向性を間違っていた。
周りの人が喜ぶために何をするかを考えることが大事。
なかなかできないけれども。
言いたいことは言う。
ゴメンと思ったら、謝る。
声を出して笑う。
それだけで、実は幸せになれる。

「コスモスのように生きる」。
小6の時、卒業詩集に自分が書いていた一節。
風でなぎ倒されても、コスモスは、自分の葉を根にして、
そこからまた花を咲かす。
なんて臨機応変で強いのか。
やっと、そんな風に生きる自信ができてきた。
私の命は、先祖代々生き抜いてきたからこそのもの。
戦国時代の混乱にも負けず、
江戸時代も武士に切られることもなく、(多分、先祖はお百姓さん)
世界大戦もくぐり抜けて、
ここまでつないできたリレーを、途中で投げ出すことはできない。
次につなぐことはできないかもしれないけど。
せめて、ゴールはしてみせよう。


私は、もうすぐ35になるけど、
思いがけず、独身だけど、
仕事も思うように行かないけれど、
子供の時に想像していた自分ではないけれど、
こんな自分、嫌いじゃない。
生きてれば、こんな風に思える日もくるんだね。
生きるって幸せだね。
ほんまやで。