前回から読み始めている福井静夫著作集第七巻「日本空母物語」は、その名のとおり一つの巻に複数の著作を集めたものなので、航空母艦「大鳳」に関する記述は、飛び飛びで何か所かに出て来る。

 

しかもこれから取り上げようとしている三つのテーマはそれぞれ、損害の教訓、沈没の原因、建造時の回想。編集時に意図したものではなかろうが時間的な順序が逆になっている。逆順も一興なり。科学でも因果関係は、結果をみて原因を求める。なぜリンゴは木から落ちるのか。リンゴも地球を引っ張っているのだとニュートンは言う。

 

 

今回は同書の「不沈空母化への成功と失敗」という著作にある、「『あ』号作戦における個鑑別教訓」という項を参照する。マリアナ沖海戦において各艦(沈没していなくとも損傷があったものも含む)が残した教訓が列挙されている。

 

これらは著者個人の見解ではなく、「この戦闘におけるわが空母の教訓として、機動艦隊司令部にまとめた軍機書類より、私が軍極秘程度に抜粋したものをつぎにかかげる」と記されている。その前に同海戦における「まことに悲惨」だった結果が要約されているので、そこから引用する。

 

 

わが方は、有力空母三隻をいっきょに失い、敵の空母にほとんど損害をあたえず、しかも膨大な飛行機を失った。大鳳、翔鶴、飛鷹の三艦の沈没は、これをもって、実質的にわが方の空母機動作戦の終焉となった。すでに多くの戦訓により、つくすべきをつくしたつもりだったが、まだまだ不十分であったことが確認された。

 

 

  

二月中旬にヒキガエルとは...

 

 

新たに確認された欠点や不足などにつき、海軍が研究した結果のうち、本稿では「大鳳」の教訓をみる。足掛け3頁にわたるので要略するが、全部で一から六まである大項目のうち、一と六は私も聞いておったので、そのまま転記する。ただし、項目一にはその下に12個もの小項目があるので後述する。

 

一、被害により軽質油が漏洩する場合は、大なる危険がともなうから、次の対策を要する。 (引用者中:以下12小項目)

 

六、浸水のため、昇降機の動力装置が動かなくなった。昇降機の使用不能は致命的であるから、浸水に対して安全な場所に設ける必要がある。

 

 

油が足りないというボトルネックに悩んでいた日本海軍の最新兵器が、載せていた油の漏洩が原因で大爆発、大火災を起こすというのも因果な話だ。以下12項目は長大な文章なので、私の文責で整理する。教訓として残すということは、実際これらの不首尾により漏洩ほかの事故が起き、それに対処できなかったということになる。

 

軽質油とは経済産業省・資源エネルギー庁のサイトによると、「原料油(ナフサなど)、ガソリン、ジェット燃料油、灯油、軽油」など比重の小さなもの。旧海軍の定義も同じかどうか知らないが、ともあれ別の資料ではしばしば「ガソリン」と示されている。航空燃料という表現もある。

 

 

大項目一の12小項目に示されている教訓を羅列する。この軽質油タンクは防衛を強化し漏洩を防ぐ。タンクの位置を格納庫から遠ざける。軽質油の搭載量を見直して減量する。タンクの附近を小区画にわかち、区画ごとに強力な換気装置を設ける。

 

一方で艦内に充満する場合に備え、大排気装置、急速放出装置を設ける。各所に軽質油ガスの検知器を設ける。軽質油ガスや炭酸ガス(消火用)に対して「普通の防御面は効果がない」。めまいがして呼吸困難になる。酸素防毒面または防煙具を多数必用とする。

 

 

軽質油は短靴や半長靴に浸透し「じりじりと痛む」ので。ゴム長靴を使用しなくてはならない(今度、ガソリンスタンドで確認しよう)。軽質油の火災はきわめて多数の火傷者が出るので、装面するなどして露出部を少なくすべし。軽質油は軽いから上方にあるので、注水すると浮揚し蒸発する。泡沫で表面を覆うのが得策。

 

戦史叢書や通史には、ここまで細かい事例集はないと思うし、逆に個人の回想録などには、その著者が見聞した範囲の記載にとどまる。海軍が総括したおかげで、おおむね「大鳳」に何が起き、何ができず、沈没・水死の他にも、どのような被害があったかを大掴みすることができるように思う。

 

 

上記の大項目六点のうち、まだ触れていない教訓二から五は、概要以下のとおり。項目二は格納庫・弾薬庫・タンク注水要員などは専任とし、飛行機の発着要員を兼務させない。項目三は、弁の開閉軸が銑鉄で錆びやすいので、日常の手入れのほか、入渠して修理すべき場合は真鍮製とする必要あり。

 

項目四が私の手に余る技術的な事項で、「前方の泡沫消防ジーゼル・ポンプが使用不能になったので、泡沫主管の隔壁弁を閉鎖した。中間弁を必要とする」。全線通行止めのような事態を招いたものか。項目五は各区に移動灯、移動電動ポンプなど可動式の設備を置くべし。

 

 

仮にこれら全てが事前に措置されていたならば、爆発炎上、乗員のガス中毒、そして沈没も避けられたかもしれないということか。科学技術も医学も「失敗は成功のもと」。後世、化学消防車や労災防止策などに、役立ったものもあるのだろう。

 

しかし当時の日本には、この教訓を活かし更に高性能の航空母艦を開発する国力も時間もなかった。せっかくの研究も日の目をみることなく、「実質的にわが方の空母機動作戦の終焉となった」。これらの教訓も、福井氏が軍機から抜粋しなければ世に出なかったかもしれない。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

アトリ  (2024年2月19日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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