僕らは「知る」ことに対してあまりに無防備だ。
落ちついて身の回りを見回してみると様々な「知る」が溢れていることに気づく。テレビをつければニュースに情報番組にバラエティに、流れ出る洪水のように情報が溢れている。僕らはそれを視聴して「知る」ことができる。
コンビニに行けば山のように雑誌を売っている。それらから適当に1冊手にし、パラパラと流し読みしただけで余程の情報が詰まってることが分かる。数多くの「知る」が無造作に印刷されて綴られている。
インターネットにアクセスすればリアルタイムで数多くの「知る」が流れている。ゴミのような「知る」から高尚な「知る」まで様々、その中をマウスで泳いでいるようなもんだ。
現代社会はあまりにも「知る」が多すぎる。とめどなく溢れる情報は僕らが望む望まないを関係なく否応なく「知る」ことを強いる。その圧倒的な量の「知る」が僕らから「考える」を奪ってるのではないだろうか。
例えば、一人の囚人がいたとしよう。その囚人には情報を一切与えない。何日も何日もあらゆるメディア、人との接触を奪って完全なる無の中に置く。何もない真っ白い部屋に入れておくといい。そして1冊の文庫本を与えたらどうだろうか。
おそらく囚人はその本を貪り読むだろう。例えそれが死ぬほど退屈な本であろうとも、死ぬほどクソな本でも、何度も何度も繰り返し読む。その本に書かれている情報を「知る」ために深く深く読み込むだろう。
「知る」が終わると次は「考える」だろう。ほかに情報のインプットがない、与えられた「知る」はこれだけなのだから、その本の内容を「考える」だろう。この作品を通して著者は何を言いたかったのか。ここでの主人公の心情はどんなものだっただろう。こんな展開ではなくこういった展開のほうがいいのではないだろうか。「知る」の次に「考える」が現れるのだ。
しかしながら、現状の僕らのようにあまりにその「知る」が多すぎたらどうだろうか。次々と工場の生産ラインのように押し寄せる「知る」は僕らから「考える」を奪ってしまう。あまりにインプットが多すぎてそれを吟味する暇などない、結果、「知る」だけが僕らの中に蓄積されていく。そしてイカれる。
ああ、やばい
完全にイカれた
僕は心のどこかを埋める為なのか、失われた大切なものを探す為なのか、はたまたただの変態なのか、それが何かはわからないけれど無意識に、無邪気に、貪るように好きなアイドルのブログを毎日チェックしている。
これは欠く事など出来ない生理現象で言わば朝便所に行くのと同じ感覚、つまりは日課なのだ。ブックマークからスキージャンプの舟木の様に颯爽と飛んで行くのだ。着地失敗して骨折れば良いのに。
まあそんな与太話は置いておいて、先日よみうりランドで行われた国民的行事【ももいろクローバーZサマーダイブ2011~極楽門からこんにちは~】に行けず、体調も悪くて家で腐ってたんです。
そんな夜にライブレポートがアップされたんで、あー、行きたかった。もうイベント終わっちゃったけどももクロちゃん達が刈った芝に寝転がって夏と草と土の匂いを感じたい。もももクロちゃん達が刈った芝に寝転がって三日くらい野宿したい。芝食べたい。
とか、夢見る少女のような妄想をしながらレポートを開くーー—その瞬間、一枚の画像に目を奪われた。日本というコンクリートジャングルに天使は存在した!!と云った身体に電流が走るようなスクープを見た感覚に堕ちた。芝食べたい。
これが問題の画像である
どん!

こ、これは!?神…?いや…髪?
チャングン糞を見るオバちゃんが「あらヤダ、なにこのイケメソ」って言うのももう責めれない。完全にしおりんにイカれた。前の日まではこんな髪あったのに

なにこのギャップ。もうレッドカード100枚くらいあげたい。肩たたき券って書いたレッドカード100枚くらいあげたい。

朝の生理現象の波のように押し寄せる「知る」は僕らから「考える」を奪ってしまう。あまりにインプットが多すぎてそれを吟味する暇などない、結果、「知る」だけが僕らの中に蓄積されていく。そしてイカれる。もう考えてなんか居られない。「知る」ことよりも、しおりんの「尻」に今すぐ敷かれたい。
では永遠の妹系アイドル?ゆかりんの「fancy baby doll」でおわかれです。
最後の「世界一かわいいよ!」のあとの「どうもありがとうっ♡」が神がかってる。
こんなの書いて遅刻したらマジでシャレにならん、寝る