たとえば「私は何も知らない」のだ。
起きてくる現象に対して私自身が私のために
主体的にしなければならないことは、
なにもない。
なぜならば
「私は知らない」のだから。
何をしたらいいのか知らない。
知らなくても、しなければならないことは
あるんだよ!! と言われそう~な。
「知らない」とか「分からない」と
言うのは~能力が無い人みたいな感じで
ちょっとは見栄を張るべきところ
ではあるのでしょう。
え~っと。
直接は、ちょっと関係ない話に
なるんですけど。
なぜ人は人を困らせるような
犯罪・詐欺ができるか。
を考えていました。
たとえば、詐欺師は、
善悪の感覚がなんですか。とか。
自分のしていることが、
人を苦しませることだと
知らないから出来るのかな。
知っていても出来るのかな。
どうしてできるのかな。
ふつうに罪悪感を持つ素質があり、
なお、そのような詐欺行為が出来る。
葛藤がなく。たとえばオレオレ詐欺とか。
自分がした行為によって
自殺する人もいるでしょう。
相手を犯罪に追い込むことだってある。
こういうのも、完全な自己正当化が出来ていれば
なんなく出来てしまうのでしょう。
詐欺なんて自己欺瞞が出来る人なら簡単。
人を騙す以前に、自分も騙すわけで。
あるいは、困難な問題を、画期的な策略で
攻略することの面白さに置き換えると、
それによって相手がどう感じるかなど、
相手の痛みをシャットアウトしてしまえる。
人との関わりの中で起きる「自然な無為なること、
その瞬間の最善なること」が、いったい何なのか。
人は本当に、知っているのだろうかな。