煮詰まってイライラしているKさん。
「どうしたの?」 と聞いたら
「肉食する人を攻撃する人がいるんです」
ということで・・・
どういうことかと言うと
肉にするために飼われている
牛・豚・鳥に対する扱いが問題のようで。
しかも、そのことに世間は、見てみぬ振り。
さらには、殺して食うことも批判の対象らしい。
どこからひねり出したのか
「現実が幻・幻想なら、そういう状況が
あるように見えるだけで、実際は、ないんですか?」
と・・・こうなって。
(アレとコレの、問題点は別にあります)が
ゴチャゴチャになって、同じ土俵の上に載ってしまう。
ので、混乱しちゃったようです。
「見えている現象は、自分を投影しているのだから
家畜が可愛そうだ、という人は、自分を家畜に投影して
可愛そうだと思えるんですよね?」
ふむふむ。そうとも言える。よね。
「じゃあ、自分を投影しない人には、その実態はない。
ということになるんですか? 幻想も見ない。どこにもない?」
そんなこんなで、どうも煮詰まったようです。
う~ん。
まぁ、そういう現象を、その人が望んで選んで
見たくて見ている。
としか、言いようがないワケで。
どういう飼われかたをしているか。
どういう手段で食肉にされているか。
はたして肉食は肯定すべきことか。
などなど、別々の問題として、事実を検討し
改良していく方向を見出す。
ことは、大切なことでは、あります。
なんの情報もい入れず、見ざる聞かざる言わざる
ということで善いのか、も、別の問題。
「見ざる聞かざる言わざる」でいられる人がいるのは
簡単なことですね。
「自分には直接に関わりがない」という認識があればよい。
「自分には関係ない」と心を閉ざす。
これで、複雑な問題は回避されます。
そして、ただただ
「この肉、おいしいね」となる。
「おいしい肉を与えてくれる人に感謝しなきゃ~ね」
で・・・おしまいになりますね。
まっ。実態を知っても、同じく
「私には、なにも出来ない」と回避ですね。
「そんなことより、自分の生活が大事」と
これも、これで回避。
これが、この複雑な世の中を生き残るための
臨機応変に対応するための処世術・・・。
単なる、逃避・回避なのではあります。
で「この世界は幻想」でいいんですか?
幻想だから、無視していいの?
というのは、また別の観点ですね。
基本に戻りましょう。
現実に
なにが起きているか、といえば
「攻撃したいモノを、外に創る」状態が、ある。
どうして攻撃したいのか。
どうして、それを攻撃するのか。
その思いを持つ、自分を見る。
「外にあるものが不正だから」
というふうに、現象にとらわれたら
そこは迷路・出口が、どこにもない。
のではないかなぁ。