(2) オキナワへの旅 10. 沖縄住民、総スパイ視 | 地 球 一 人 旅

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  10. 沖縄住民、総スパイ視 (潜在スパイ視)

 

 

 (1) 日本軍は、沖縄を占領地扱い 

  

 日本軍は、「沖縄人」を差別していたばかりか「総スパイ視 」 していた。

 

 だが、日本軍の住民「総スパイ視」は、決して、めずらしい事ではない。

 なぜなら、中国、台湾、朝鮮、東南アジア……等でも、そうだったので。

 

 「だって、他は外国だけど、沖縄は日本なのに、なぜ、スパイ視……?」

 

 繰り返しになるが、当時、台湾も朝鮮も、建前では「日本」だったのだ。

 だが、本音は台湾人・朝鮮人・「沖縄人」は「同じ日本人」ではなかった。

 

 当然、他国の住民は、日本軍が住民の命を守る軍隊だと思っていない。

 日本軍の住民「総スパイ視」に気づき、「濡れ衣」にも十分注意していた。

 

 が、沖縄住民は日本軍が沖縄を守りにきた「友軍」と信じ疑わなかった。

 「同じ日本人」の沖縄住民を、総スパイ視とは夢にも思わなかったのだ。

 それが、逆に、日本軍の住民虐殺の誘因にも、なってしまったのだが。

 

 ( 参照 『沖縄地域学レポジトリ』 沖縄戦における住民「スパイ視」概要・一覧 ココ クリック )

 

 

 (2) 沖縄日本軍のトップは、こんな人たち

 

 1944年8月、牛島満は日本軍「沖縄守備軍」(第32軍)司令官となった。

 牛島満は、着任時の訓示の最後を、次のような言葉で結んだ。

 

 「 防諜ニ厳ニ注意スヘシ 」 ( 戦史叢書 『沖縄方面陸軍作戦』 )

 

 訓示の最後に、「スパイを徹底的に取り締まれ」と、命令しているのだ。

 牛島司令官には「沖縄人 = 潜在的スパイ」の「予断と偏見」があった。

 (沖縄は移民経験者が多く、日本語より米語が上手な者等いた事も、被害妄想を生んだ一因 )

 

 

 

(沖縄戦が終戦後の9月7日まで続いたのは、牛島司令官が自決の際、こう命令したせいとも)

 

 

 牛島司令官は1937年の南京戦では、歩兵第36旅団長(少将)として参加。   同旅団が属す第6師団長・谷寿夫は、南京大虐殺の戦犯として死刑に。

 牛島個人が南京大虐殺にどう関与し、どんな責任があるかは、不明。

 が、牛島指揮の旅団のみ残虐行為に関与してないと考えるのは無理?

 

 

 また、参謀長・長勇も、南京攻略戦に指令部情報主任参謀として参加。

 彼の虐殺への関与に関しては明確な証言があると言われている。

 ( 参照 → 南京事件 無差別的虐殺の命令 長勇参謀 )

 

 (「南京大虐殺」は、2015年10月、国連教育科学文化機関の「世界記憶遺産」に登録された。

 日本政府も「南京事件」という表現ではあるが、そうした事実があった事は認めている。

 参照 外務省ホームページ 「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」。   

 教科書検定も、以前は完全削除、現在は「南京大虐殺」との表記・説明でも検定通過が可能。)

  

 

 

 

 長勇参謀長に関しては、「従軍慰安婦」問題の観点からの批判もある。

 1944年、沖縄県当局が32軍日本兵の沖縄女性強姦事件に抗議した時。

 長勇参謀長は、綱紀粛正はせず、「慰安所」設置を提案したのだった。

  ( 参照 → wikiwand )

 

 

 ( 32軍司令部壕には、「特殊軍属」つまりは「従軍慰安婦」が14名いたという。 → 琉球新報 

 『南風原町史第3巻』によれば、沖縄県では、「慰安所」130か所、「従軍慰安婦」は1000名以上。)

 

 参照  → 日本軍慰安所マップ   → 沖縄戦「慰安婦」と呼ばれた女性たち 

       → 沖縄戦の犠牲者をめぐる共感共苦の境界線 

 

 

 さらに、第32軍主力第62師団は、「三光作戦」の実行部隊を基に編成。

 

 ( 「三光作戦」は日本軍が中国解放区を「奪いつくし・殺しつくし・焼きつくした作戦」の中国呼称。

 1985年の中国政府発表では、戦争で日本軍が殺した中国人は総計2000万人以上との事だ。) 

 参照 → Wikipedia 

 

 (第62師団が沖縄で何をしてたかは、沖縄戦前1944年の 『石浜団会報 』の記述でわかる。

  「本島に於テモ強姦罪多クナリアリ 厳罰ニ処スルヲ以テ一兵ニ至迄指導教育ノコト」

  「家中ノ物品ヲ勝手ニ持出シ使用シアル部隊アリ 民間ニオイテハ 『占領地ニ非ズ』等ノ立て札ヲ掲ゲアリ」 )

 


 「沖縄守備軍」のトップは中国でスパイと闘い、虐殺体験まであるのだ。

 この事が日本軍の沖縄住民虐殺の背景・底流にあった事は、明白だ。

 (彼らの責任はもちろんの事、彼らを沖縄守備軍トップ等に選んだ日本軍幹部の責任でもある)

 

 

 (3) 沖縄戦開始と、「住民総スパイ視」のエスカレート

 

  沖縄守備軍の住民総スパイ視は沖縄戦開始と共にエスカレートした。

 

  「爾今、軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ

 沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシテ処分ス」(『球軍会報』1945.4.9 )

 

 つまり、「沖縄語」を話してる者はスパイとみなし殺害すると言うのだ。

 当時、「沖縄語」以外話せない住民も多かったのだから、無茶苦茶だ。

 ( 日本軍は、沖縄でも台湾・朝鮮と同様に、住民から生まれ育った土地の言葉を奪ったわけだ )

 

 日本軍の差別意識に基づく強権的姿勢こそ、住民虐殺の主因なのだ。

 

 

 (4) 沖縄戦後も「沖縄人」をスパイ扱い

 

 沖縄戦が終わった後も、「沖縄住民総スパイ視」は、終わらなかった。

 

 「沖縄戦で無敵皇軍が敗れたのは沖縄人がスパイ行為を働いたから」

 (さらに、「日本が太平洋戦争に負けたのは、沖縄戦で沖縄人が裏切ったせいだ」等も言われた)

 

 そんな、悪質な嘘が日本軍・日本兵により、「日本全土」で流布された。

 本土疎開の沖縄高齢者・女性・子供は非常に悲しい思いをしたという。

 元々、本土で差別されていたのに、いっそう、差別・迫害を受ける事に。

 

 自分達の敗北責任を差別を利用し差別されてる人たちの責任にする。

 卑怯としか言いようがなく、戦争自体も、全く反省していない事は明白。

 

 さらに問題なのは、今だに、沖縄差別をする人・させる人がいる事だ。

 

  ( 続き 「 11. 沖縄差別をする人・させる人 」 ココ クリック )