先日書いた内容に合わせてミクに書いた記事をそのまま移転しておきます。後半部分はカットして、客観的な部分だけを残しました。


SW世界と古代ローマに関する共通項ははっきりと分かる部分が結構ありますよね。

元老院、共和制(リパブリカ)なんて言葉はSWで教えてもらい、後でローマの政治形態だって知りましたから。多分ルーカスの考えている理想の政治形態がローマの共和国元老院制なんだろうなということは推測できます。

実は今、塩野七生「ローマ人の物語」を読んでまして(エライ冊数でまだまだ読み始めですが)想像以上に、というかSWのストーリーって共和制ローマから帝政ローマ崩壊までのまんまパクリじゃんということに気付きました。

ADDICTO先生に確認したところ、はっきり類似性を言及した文章は無いようなのでまとめてみることにしました。

ここでまず、SW6作のストーリー、枝葉を全部省いてどんな話だったか見てみると、

共和制の腐敗→戦争の勃発→緊急事態による指導者の任命(任期限定)→指導者の任期無期限に→独裁制の確立→帝政の誕生→皇帝の暗殺

と、いうことになるわけですよね。

ここでローマの政治形態に話を戻すと、ローマは選挙権のあるものが立候補し選ばれる元老院議員、市民集会から選出される執政官2人(王のような業務、独裁にならないよう2人)ということで運営されており、貴族、市民それぞれの意向が通るような政治システムになっており、かつ独裁制になりにくいシステムとも言えますよね。

しかし、ここに一つ、戦争時の非常措置として任命される独裁官(ディクタトール)なる職がありまして、戦時中は全ての権限を執政官によって指名された1名が握るというシステムになってるんですよ。非常事態の折りの措置なので任期は6ヶ月。

緊急の際に円滑に軍や作戦を運用できるためのシステムであり、独裁を防ぐための任期6ヶ月なワケです。

しかし、共和制ローマも末期になり、戦時の折りに6ヶ月だった任期を終身制にしてしまう輩も出てくるわけです。

ガーイウス・ユーリウス・カエサルです。

最終的に彼は独裁者という形でローマに君臨していくわけですが、最期は腹心の部下であるブルータスらに元老院で暗殺されるわけです。

もう分かりましたよね。

共和制から独裁権を握る人間が帝政を敷き、最終的に部下に暗殺されるってそもままSW6作で繋がるわけですよ。

当然腹心の部下はベイダーになり、カエサルはパルパティーンって事です。

ADDICTO先生によると、EP2のコメンタリーでルーカスは確かに独裁者はヒットラーにしろムッソリーニにせよ、カエサルにせよ熱狂的に国民に迎えられるとは言ってます。その辺は全体に対する謎解きなのかな?

ということで、ここからは自分の考察になりますが、結局ルーカスはSWで何を描きたかったのかというと、ローマ崩壊のパロディ(語弊があるか?)をやりたかったんじゃないかと。

本人が「これはアナキンの物語」とか言ってるので、視点をソッチにしてしまいがちですが、実は実はストーリーの主軸はパルパティーンにあるとして考えると自分的にはかなり納得なんです。

つまり、パルパティーンと共和制の崩壊、帝政の誕生、部下による皇帝の最後って軸に乗っかってれば他に無頓着なのも合点がいきます。

さらにルーカスはオペラやシェークスピアに自身の作品をなぞらえてますが、まさしくカエサルの物語はシェークスピアで有名なんですよね。
そう考えるとSF版シェークスピア史劇がやりたかったのかもしれません。

つまるところ他の事に関しては、ファンがガタガタ騒いでるだけで、アナキンがどうダークサイドに堕ちようが、トルーパーがクローンだろうが、オビワンがどうなろうが大した問題じゃないとしてルーカスが捉えていることも合点がいきます。その辺は商業的なファンサービス以外の何ものでもないんでしょう。(大多数はソコに魅力感じてますが)

先日ミクにてSWとローマの関連について書いたりしてましたが(これはそのうちコピペして載せやす)、2年前にこれってガンダムのシャアじゃんと思った記述がありましてね。




その本ってのが吉川英治の「三國志」




物語の序盤になりますが、漢王朝が衰退し、黄巾の乱が勃発していた頃、各地の豪族達が鎮圧に向かって悪戦苦闘している様子が描かれるんですが、玄徳達の所へ颯爽と現れたのが全身赤の鎧で武装した曹操というくだりがありまして、読んで思わず「これって赤い彗星じゃん」と突っ込んでました。




当然吉川三國志の方が先に書かれているわけで、参考にされたのはGの方になるのは当たり前ですけどね。


と、考えると人物も似かよってんなあと言う部分が多く見あたります。




曹操は地方豪族の養子で漢王朝を受け継いだ形で魏を建国しますが、赤い彗星はと申しますとサイド3(地方豪族)の息子で、自分のオヤジが仕切ってた国を復興するために奮闘(?)するワケっすよね。




さらにはアムロとの関係も玄徳と曹操の関係に照らし合わすこともできるんですよ。




あの優柔不断でイライラする人物って劉備の姿を重ねることが出来るし、天才肌のイケイケ野郎の前に立ちはだかるガキにいつもしてやられるってのも当てはまるわなあと思いました。




SWの件に関してGに尋ねることはできないし、当然否定すると思いますけど、信憑性はかなりありとみてます。




一方、Gのシャーと三國志の関連についてはかなり客観的に論破するほどの証拠もなく、かなり当て推量なところはありますが、T野さんはGよりも訊ける可能性はあるかなあと思いますけど。




もしかしたら何かのインタビューで既に話してる内容だったりしてね。


いろいろと、名前変えたり、活動の場変えたりとしてきましたが、多重人格的な生活に終止符を打つべく(あくまでも希望的観測ですが)アメブロ始めました。


とにかく、やたら飽きっぽいのと、嫌気がさしたらやめるという性癖の持ち主なのでどこまで続くやらわかりませんが日記書いていきます。


ここでの初日記はといいますと、政権交代というカタイ話題ということでして、現在かの民主党は育児出産の準備金だか出資金を42万円捻出とか、高速代金無料かとか拡げた風呂敷をたたむべく奔走中ですが、予算確保のためにしている措置が”事業の見直し”ってことみたいですね。


ダムを造るなとか、既に決まっていた内容に関して無駄な事業だとかというものを各大臣が判断して削り、捻出した予算が2兆円、さらに1兆円足りないから削るんだとか。


結果、出産金やら高速無料化とかに向けて行くんでしょうが、果たして巡り巡って恩恵や如何にと言った感じなんですね。


事業を任されている企業も、これからの収入がまるごと減るわけでして、末端で働いているのもまた一般の人たちというわけです。こういった人たちの食いぶち削って周りにお金を渡すわけですよねえ。


つまりは、子供を産むためにもらう金をダンナの仕事削って、支払うという図式が成り立つわけでして、それが生活の補助に実際なっているのかという素朴な疑問が湧きました。


じゃあどうすれば良いのかということですが、この人達、森見て木を見てないんですね。この事業はまるごといらないと単純に割り切って金を捻出しようとするからひずみが生じるわけで、さらに詳細見て、どこまで削れるのかギリギリの検討をしていない。


車の軽量化なんかを例に取れば、それぞれの部品からコンマ何ミリグラムまで削れるかしのぎを削って、全体の何十パーセント軽量化と相成るわけです。イスの皮がまるごといらないとか、エンジンの部品がまるごといらないという理屈は成り立たないですよね。


そういった各事業の見直しを1円単位で削っていき、結果どこまで捻出できるかというのが先のような気がするんですが。


エラく綿密に事を進めるような事を言っておいて具体的な動きをする段になっておおざっぱなことしかできないのなら結局は同じ事ですよ。


アッチ立てればコッチ立たないのは必然です。ギリギリの妥協(という言い方は不適当ですが)を模索してこそ大衆の政治だと思うんですけどね。