日頃から音楽は、ルックスじゃない!と大声で言っており、自分の中でしっかり鑑賞できるものじゃなきゃ聴かない主義でして。

と、言いながら日頃クラシックギターを聴かない自分が10年ほど前についついジャケ買いしてしまったのが村治佳織の「パストラル」



蓄電日記



えーえー確かにジャケには参りましたよ、否定はしません。しかし帯になんだかのコンクールで入賞した事書いてあったのも事実で、どんだけ凄い才能なんだと思い購入した記憶があります。

確かに凄い、テクニックも表現力も素晴らしいと思ってましたが、自分が音楽に求めている遊びの部分とか、力が抜けてる部分があったらいいのになと当時は感想もってたりしました。
当時はまだ10代か?そりゃ一生懸命演奏してたらそうなるわな。

カミサンがクラシック専門なのと、義父がクラシックギターやるので、何かにつけてCD聴く機会はあったんですが、この人歳を追う毎にいい具合に力が抜けてるんですねえ。

こういった常人のレベルを遙かに超えてる人って2タイプに分かれると思うんですが、一つは道を究めんとストイックにギリギリのところで次の領域を追い求めるタイプと、サラッと凄いことをこだわりなしでやってしまい楽しんでしまうタイプでして、村治嬢は後者のタイプに属するのかなと勝手に思いました。

去年に福島にこの人演奏に来てまして(自分は子守で行けなかった!)聴いた人はそんな感想持ったようです。

して、先日発売になった。「ポートレイツ」。


蓄電日記


険が抜けて10年経っていい顔になったねえ。

選曲からして肩肘張らずに、ギターの良さを知ってもらおうというような選曲で、坂本龍一の戦メリとかエナジーフロー、クラプトンやビートルズを超絶なテクニックで演奏していくわけです。(詳しいことは分からんけど)

素人でもこれが一本のギターから出てる音のかというのは驚くと思います。(素人の自分が驚いた)


それよりも何よりも、この人の演奏はもう人間じゃないですね。本人は意図してないところかもしれませんが音楽によるヒーリング効果はもう妖精の領域です。

その音楽スタンスも含めて素晴らしいなと言うことを先日バーで話していたところです。(バーのマスターもファンで演奏聴きに行ったりしてる)

最近あまりニュースで見なくなりましたが、ガザが空爆されただの、報復で自爆テロだの報道されていますが、イマイチピンとこないのが現状でして、中東の報道聞いているとハマスもタリバンもアフガンもパレスチナもごっちゃに報道されているような感じで、言ってる方もきちんと整理できてんのかね?というのが正直なところでして。

そんなことなので、中東問題に関してはパレスチナ、アフガンなどの本を読んだり、イスラムやユダヤの事を書いてある本を読みまして一応どういった経緯で問題が起こっているか位はある程度分かりました。

一つ大きな疑問だったのが、イスラエルとパレスチナがなんで、言い換えればユダヤとアラブがなんでそんなにケンカをするのかと言うのが大きな疑問でした。

ニュースなんか見ていてもきちんと説明する人がいないんですよ。もとを辿れば旧約聖書までいくんだということ言ってるくらいですかね。

本で調べると、迫害されていたユダヤの居場所がないので無理矢理居座ったのが始まりみたいですが、旧約聖書を読んでみると確かにケンカの原因が載っておりました。

知ってる人は知ってるでしょうが衝撃の事実を公開。

旧約聖書の創世時代、アラブはユダヤに対して恩を売ったために、その見返りとしてユダヤのムスメ達を嫁に寄越せと要求、それを渋ったユダヤが、

「包茎の連中なんかに嫁はやれるか!(正確には割礼儀式してないのはダメと言ったんですけど)」

と無茶な要求をしましたが、アラブ人達は素直に要求をのんで割礼儀式をしましたとさ、

しかし、それはユダヤ側の策略で、割礼を行った男子は何日か高熱でうなされるため、寝込んでしまうため、そこを狙って、皆殺しにしてしまい、ムスメを嫁にやらずに済んだとさ。

と、概略だけ述べるとそういうことらしいです。

つまりは、戦争の原因を旧約聖書に求めてしまうと、

「包茎に嫁なんかやれるか!!」

「唸って寝込んでいるところ襲ったろ!!!」


となり、このために数千年殺し合いが続いているのはシャレになりませんので、この説を持ち出すのはヤメにした方が良いと思います。

宗教がらみなので複雑という説もあるますがちょっと違うような気がしますね。

やはりここは近代説をとったほうがよろしいのではないでしょうかね?
あのコメントしていた人って誰だったろ?

国際情勢や世界史は専門じゃないので責任は全く持ちませーん。

と逃げておきます。
昨今設定に説得力のあるヒーローものの評価が高いですよね。(特に洋物。コスチューム系に限定せず。)

自分もダークナイトやダニエル版007は面白く鑑賞したんですが、考え方や自分の行動、私生活に至るまで人間的に描写されたヒーローとはどんなもんなんでしょと思ったわけです。

思えばこの2つのヒーロー、もともとは一般市民の憧れや羨望の的だったわけでして、そこに悩みや矛盾なんかは必要なく、荒唐無稽で楽しめて格好良ければ全て良しということだったんですが、90年代からリアルさが求められてくるようになったわけです。

007が女タラせばやれセクハラだとか、アメコミヒーローがタイツで深夜徘徊するのは変態だとか言われてしまい、挙げ句の果てには自分のアイデンティティに悩んでしまいながら、グレーゾーンでもがき苦しむ姿が評価されてますよね。

これって政治に対する矛盾とか企業に対するクレームと同じ目線でヒーローを見た結果、こうせざるを得なくなったのかなあと思ったりして。

で、そういった矛盾をことごとく打ち消して、造られた作品は当然リアルになり、誰も文句を言わなくなり評価されることになります。

結果として責任を取らされたヒーローってかなりスケールがかなり小さくなって夢がなくなっちゃったなあと思うんですよ。やたら自分の行動に理屈付けなくちゃいけないしね。

景気の良かった頃はそれでも良かったと思うんですが、今必要なのはそれこそ憧れとか羨望だと考えているんですがいかがなもんでしょうか。しかしながら一旦行動に責任取らされたヒーローが今更荒唐無稽な方向に転換するわけにもいかず、シリーズそのものというか分野そのものが縮小してしまうんじゃないかと懸念してしまいます。

全ては観客の嗜好から始まったことなんですけどね。

それに対して一つの回答見せてるのがバットマンなんですが、現在カートゥーンネットワークで放送中の「バットマン ブレイブ&ボールド」以前から何かにつけて話題にしているんですが、このゴールデンエイジへの原点回帰のタイミングが実にいいと思いましたね。ノーラン版バットマンはお子様にはもう見せられないレベルだけど、こっちは安心して観れるでしょ?という提案ですよね。



このジョーカーのアホさ加減と、バットマンのツッコミ、最高です。

実際このバットマン、最初から最後までマスクは基本的に被りっぱなし、話は荒唐無稽、だけど面白い。


自分が小学生なんかの時、土曜の早朝何かにやってた往年のカートゥーンの雰囲気が抜群に出ていて好感が持てました。

コロコロと、イメージ変えるのは難しいけど、時代による要求ってのを満たしていかないとヒーローはやっていけないのかもしれません。

007もアニメを別に製作するしかないか?