わたしのストーリー11~鶴澤悠美から田中悠美子へ

につづいて

第12話です。

 

 

 

女流義太夫の世界から

完全にフェードアウトしたそのころ、、

 

 

芸大楽理科の先輩で、

上越教育大学で教鞭を取っておられた

茂手木潔子さんから

1本の電話が入りました。

 

 

 

「兵庫県にある教育大学の芸術系で

いま教員の募集をしているの。

和楽器の実技もできて

日本音楽史も教えることができる人を探しているそうで、

あなたが適任と思って電話してみたの。

 

学習指導要領が変わって、

中学校の音楽の時間に

和楽器を取り入れる動きがあるので、

ちょうどいいタイミングと思うわ。

 

兵庫なら、義太夫節の本拠地

大阪にも近いし、

国立の教育大学だし、

応募してみない?

 

あなたは東京で演奏活動しているから

無理かもしれないけれど、

一考の価値があると思う。」

 

 

兵庫県はてなマーク

教育大学??

(´・ω・`)

 

なんだか場違いだなあ、、

 

 

 

とはいえ、

古典の場から完全に去ることで

音楽活動の両輪のうち片方が失われ、

かといって

義太夫三味線を使った新しい音楽は

そう簡単にはみつからないし、

 

アパート引っ越して家賃払うのがきつくなってきたし

(。>0<。)、、、

 

 

 

考えに考えた結果、

「ダメ元」で応募してみることにしました。

 

 

 

楽理科を出て、

縁故採用で大学の非常勤講師になることは

そう難しくはないのですが、

「音楽学」の常勤講師の採用は全国的に数少なく、

専任として就職するのは至難のわざ、、、

 

 

よし!チャレンジしてみて、

もし受かったら人生を仕切り直してみようビックリマーク

と決意しましたビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

 

今まで書いたこともなかったような

正式な書式による業績表を書いたり、

山のような演奏資料や録音物を

かき集めて整理したり、

応募資料を作成するのに1か月、、、

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

それはそれは手間ひまかかりましたが、

なんとか提出完了!!

 

 

 

そして

ななんと

採用が決まったのです!

 

 

 

 

東京を離れる寂しさと、

新天地で生まれ変わるワクワク感、

両方の気持ちが複雑に交錯しました。

 

 

 

母は大喜び!!

「国立大学の先生になるなんて、

三味線弾きになることを心配していたおばあちゃまも、

喜んでいるわ~(●^o^●)!!

 

 

(;^ω^)、、、

 

 

直接の上司となる

民族音楽学の水野信男先生

芸大楽理科の先輩)に、

「うちの大学はものすごい田舎にあるので

びっくりしないでくださいね!」

とさんざん脅かされていましたが、

 

 

たしかにあせる

 

 

 

兵庫教育大学は、

周囲を田畑に囲まれた山間部にありました。

 

 

 

 

町の大きな施設はジャスコくらい。

 

 

東京から向かうと、

新大阪から高速バスに1時間ちょっと乗って

そこからタクシーか路線バス。

片道5時間はかかります。

 

 

近県のみならず

全国からやってくる学生さんたちは

学生寮に入り、

教員も職員も宿舎に入る人がほとんどでした。

 

 

 

 

初年度の98年は

3月に、ローレンスDブッチ・モリスの「コンダクション

指揮によってコントロールされる集団即興演奏

アメリカツアーがあったので

赴任が5月からとなり、

さいわい前期の担当授業はありませんでした。

 

 

週に2日~3日

大学の研究室に詰めていればよいという

夢のような生活で、

車の免許がなかったので、

片道30分かけて歩いて郵便局に行ったり、

1時間に1・2本しかないバスで

ジャスコに買い物に行ったりして

田舎暮らしをおもいきり満喫!!

 

 

ただし、

家賃月1万8千円(゜o゜)の宿舎の部屋が古くて、

キッチンやお風呂場を使いやすいように工夫したり、

虫が入ってこないように隙間を塞いだり、

住環境を整えるのに

ひと苦労しました。

 

 

生まれてはじめて対面した

ゲジゲジちゃんと大格闘あせるし、

吸い込んだ掃除機を

おそろしさのあまり3か月放置していた(;^ω^)のも

今ではよい思い出です。

 

 

 

1か月も経つと、

さすがに車がないとどうにもならなくなって、

近くにあった自動車教習所に通い始め、

30代後半ではじめて免許を取得しました。

 

 

 

後期から始まった授業は

「日本音楽史」と、

三味線・箏初心者の学生のための

「器楽演習」(実技レッスン)

などを担当。

他コースの音楽経験0の学生に

まったく弾けない状態からピアノを教える

「初等音楽」という授業もありました。

(その後徐々に和太鼓合奏や

卒業論文の指導なども加わっていきました。)

 

 

水野先生や芸術系コースの同僚の先生方には

親切に接していただき、

学生たちも、

(さすがに音楽レベルは決して高くはありませんでしたが、)

小学校の教員をめざす

こども好きの明るい子ばかりチューリップ!

 

 

 

現職教員がモラトリアムで派遣されてくる

大学院生(とくに芸術系以外)は

理屈っぽいおじさんやおばさんが多くて閉口しましたが、

三味線や箏の実技レッスンでしか

お付き合いがなかったので、

実害はありませんでした(;^ω^)。

 

 

 

「理屈が服を着て歩いているような」教授の先生方や

事務職員さん方(しかも男性だらけ)に囲まれる

「会議」以外は、

楽しいことばかりだったといっても

過言ではありません。

 

 

 

なにしろ

大学での仕事がまだまだユルかったので、

間宮芳生先生や高橋悠治さん関係の

東京での演奏活動もありましたが、

就職を機に引っ越した新横浜の実家に週一で帰れば

問題なかったし、

 

「日本音楽集団」の中近東公演や、

グラーツにおける日墺合作の新作演劇参加など、

国際交流基金関係の

海外ツアーも、

余裕で行くことができました。

 

 

 

ところが、、、

 

 

 

次の記事はこちら

わたしのストーリー13~大学勤務と海外公演

 

 

 

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