御穂鹿嶋神社 | 千囃連のブログ

千囃連のブログ

神輿・祭りを主に日々の出来事を書き込んでいきます
 ☆☆神輿会員募集中☆☆一緒に担ぎましょう!!


テーマ:

三田駅脇に鎮座する
御穂鹿嶋神社へ行って来ました  6月の参拝でしたので茅の輪が設置されておりました

御穂鹿嶋神社はもともと2神社だったようで

御神祭
御穂神社
藤原藤房卿(ふじわらふささききょう)南北朝時代の公家、後醍醐天皇の側近
武甕槌神:雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神、武道・競技の必勝、事業の創始、旅行安全の神


鹿嶋神社
武御加豆智命/武甕槌神(たけみかづち)  となりますが神社は統合で一つ



御利益
勝利祈願、旅行安全、武芸上達、事業成功、出世開運 他


両社はもともと別の神社だが、本芝両社と呼ばれ、宮司は兼任で(江戸時代も別当は兼任)、祭礼も同日だった。
       御穂神社は藤原(万里小路)藤房を祀る。藤房は後醍醐天皇の側近で、元弘の変には笠置山に随従、後に捕らえられて常陸に流された。建武の中興がなると京へ 戻るが、論功行賞の不公平を後醍醐帝に諫言、それが入れられなかったために隠棲、そのまま行方不明となり、その後の足跡にはさまざまな説のある人物であ る。
      社伝によれば、後村上天皇の御代(1933~68)、芝浦に一人の気高い老翁が庵を結び、村人を教え導いた。翁の亡くなった後、村人たちはその徳を慕い、庵の跡に社を建て、尉殿の宮と崇めた。この老翁が藤原藤房であったという。
          また、駿河国三保(静岡市清水区)から当地に移り住んだ漁師たちが、故郷の氏神である御穂神社の分霊を勧請したものという説もある。
      鹿嶋神社は、寛永年間(1624~44)の創祀と伝えられる。ある時、一つの祠が流れ着いた。中を見ると一本の御幣があったが、海上を漂ってきたにもかかわらず、少しも濡れていなかった。そこで村人たちは、この祠を海辺に安置した。その後、その祠は鹿島神宮の境内に祀られていたものであることがわかり、元の場所へ祀られた。ところが、再び流れ出して同じ場所に流れ着き、「この浦に鎮まり坐すべし」と託宣があったため、この地に祀るようになったという。
      平成17年(2005)社殿の老朽化により、鹿嶋神社を御穂神社に合わせ祀った。さらに翌18年(2006)11月25日、旧鹿嶋神社の社地に建立された新しい社殿に遷座したそうです


鳥居と本殿



社号標




本殿



神社額も二つ掲げています



手水舎


全 景


獅子山



芝浜囃子の碑


街道入り口には勝海舟の・・・



御朱印



   ・・・写真集はこちら・・・





千囃連さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス