願い事は具体的に

願い事は具体的に

物書き趣味のひとりごと。
妖怪「その話本当に面白いの?」と「他にすることあるんじゃないの?」に襲われる毎日。ぼすけて。

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前回からの続きです。

 

2作品目『one day』

 

以下、ギャラリー主の下舘さんの解説です。

 

「全体的には山水調の絵のように見えますが、よく見ると3つの風景で構成されています。

左側はイランですね。イラン調の建築物が見られ、人物もイランを思わせます。

真ん中は下側を見ると貧しい農村の様子が描かれていて、これは北朝鮮のようですね。

右側には給水塔が多数描かれています。これは日本の都会の様子に見えます」

 

イランと聞いて寒野はにやりとしてしまったのですが、

柿沼氏がどうしてこの3風景を同時に1つの絵に収めようとしたのか、というところは

なにか意味があるのかもしれないし、ただ描きたかったからだけなのかもしれません。

 

好きなもの好きな構図で描く、というのは浮世絵の手法のようにも思えます。

ただ3つの全く違った風景を1つの絵にまとめて、かつまるで違和感を覚えさせないというところはやはり氏の手腕なのでしょうね。

 

個人的に気になったのは、どこかコミカルな人物描写。

氏の好きなコミックやゲームなどのサブカル系からの影響なのでしょうか。

 

以下、2作品を映した動画です。

 

 

ギャラリー主の下舘様の解説が楽しく、気づけば1時間近く滞在しておりました。

 

implexus art gallery様の

「写実絵画のさきがけ~光と静けさに関する考察Ⅱ~」は

6月19日まで開催されております。

 

ここでは柿沼さんの絵画だけを紹介しましたが、他にも実力ある画家さんの魅力ある絵画が展示されております。

ご興味のある方は是非。

※ブログ内の写真・動画は全てギャラリー様の許可を得て撮影しております。

 

 

先日、implexus art gallery様の「写実絵画のさきがけ~光と静けさに関する考察Ⅱ~」を拝見してきました。

目的はひょんなことから知己を得た柿沼宏樹氏の絵画。

近く盛岡で拝見できるとのことで足を運ばさせていただきました。

 

implexus art gallery 様

 

来訪者名簿に住所・名前を記載し、絵画を鑑賞していると、ギャラリー主の下館様が声をかけてくださいました。

 

以下、会話は正確に覚えていないのでニュアンスです。

「遠く福島からお越しいただきありがとうございます」

「こんなご時世に県外から来訪してすみません。柿沼さんの絵がこちらで拝見できると聞いて」

「あ、柿沼さんをご存知なんですか?」

「え、ええ。遠い知り合いと言いますか・・・」

「柿沼さんの絵面白いですよねー」

 

聞けば、下館さんは特に柿沼氏と知り合いという訳ではなく、

今回の企画にあたって「面白い絵を描かれる方だなと思いお声がけさせていただいた」そうです。

 

柿沼氏経歴

やはり会話に上がったのは「上野の森大賞展 優秀賞」の文字。

<パブリックコレクション>上野の森美術館 とあるのは氏の絵が上野の森美術館に収蔵されているということで、おそらくその大賞展の時の受賞作品が収蔵されているのでしょう。

上野の森美術館といえば純絵画?からエンタメ系まで幅広く取り扱う人気の美術館という印象。

どんな絵なのかなーと思っていたら、その時の受賞作がこちらで見れるようですね。

 

 

 

さておき、下館様が出展2作の解説をしてくれました。

 

「portrait」

 

「この絵はベラスケスの『教皇インノケンティウス10世』がモチーフとなっているんですよ」

 

と聞いて「あああああそういうことですかあああああ」と寒野は金田一耕介よろしく頭を掻きむしりました。

氏のベラスケスへに対する情熱は聞いていたのに全く気がつかなかった!

読書の世界では「読めてない」という言い方をしますが、絵の場合だとどう言うのでしょう。「観れてない」?

やっぱり専門家の解説は聞くべきですね。

 

フランシス・ベラスケス『教皇インノケンティウス10世』

左手に持つ手紙で明らかですね。

 

続けて下舘さんの解説です。

「背後の風景に描かれているのは、震災の時話題になった岩手陸前高田の『奇跡の一本松』なんです。柿沼さんは震災後東北を見て回られたそうで、その時の経験のものなのだと思います」

「他にも私が気づけていないモチーフがたくさん隠されている気がします。とても面白い絵だと思います」

 

寒野は、氏が「ベラスケスの『教皇インノケンティウス10世』の肖像画には彼の野心までもが描かれているんです」と熱く語っていたことを思い出します。となると、この絵にも柿沼氏の内心が描かれていると憶測してしまいます。「portrait」は肖像画の意。そしてヤギは氏が自らの肖像画として使用しているモチーフです。昏く空洞のようにみえる胴体は、柿沼氏が震災後の東北を見て感じた空虚なのかもしれません。想像に過ぎませんが。

 

ヤギのローブ(?)の青も美しいですね。

ツイッターで氏が使用している自画像(?)の背景の青も綺麗だなと思っていたのですが、氏の青は青好きの寒野の心を捕らえるものがあります。フェルメールのような青、と言ってしまうと陳腐な比喩になってしまいそうですが、決して大げさな表現ではないと思っています。

 

次は2点目の「one day」ですが、こちらもまた解説が面白く、長くなりそうなので「次回に続く」とさせていただきます。にんにん。

 

 

 

 

 

何年ぶりかにブログ動かします。

ツイッターでは文字数が足りないので。

 

ラストにたどり着くころにはもうオープニングを忘れているってのがMOTHERを理解できない最大の原因だと思います。

なのでまずオープニングを辿ります。

 

1900年代のはじめ
アメリカのいなか町に黒雲のような影がおち
一組の夫婦が行方不明になりました。

夫の名はジョージ。妻の名はマリア。

 
2年ほどしてジョージは家に戻りましたが
どこにいっていたのか 何をしていたのかについて
誰に話すこともなく 不思議な研究に没頭するようになりました。
妻のマリアはとうとう帰ってはきませんでした。

 

 →2人はギーグの星に連れ去られています。

 黒雲のような影はマザーシップの影なのかもしれません。

 キャトルミューティレーションアブダクション的なことでしょうか。

 謎の神隠し的行方不明が起こったときに、宇宙人が原因とされることが、このゲームが発表されたころのアメリカにはありました。

 2年後、ジョージは帰ってきましたが、妻のマリアは帰ってきませんでした。

 

 帰ってきたジョージは不思議な研究に没頭することになります。

 場所はあの湖の中にあった研究所です。研究の結果生み出されたのがイヴです。

 ジョージは結局マリアを助けることができずに、ジョージとマリアの子孫のためにイブを残しました。

 

 次はラスボス戦のギーグの台詞を辿ります。

 

「○○! あなたの一族には本当にお世話になっています」

 

 主人公の祖先であるマリアにお世話になったことを指しています。

 主人公とマリア=クイーンマリーに血のつながりがあることは地味に示唆されています。

 「おまえクイーンマリーに似てるなぁ」

「幼いわたしを育ててくれたジョージの妻…マリア」

 

 ギーグの星に誘拐さたマリアは何の因果か、ギーグの世話役のような役割を与えられたのかもしれません。

 もしくはマリアの「母性」が泣き叫ぶ幼いギーグを、種族は違うとはいえ、放ってはおけなかったのかもしれません。

 泣きやませるためにマリアはギーグに歌います。あの歌ですね。

 

 以下クイーンマリー=マリアの意識の台詞です。

 

  「そう。そう…この歌だった」
  「ああ…ギーグ…。本当の子供のようにかわいがったのに…
  しっぽをふってた赤ちゃんだった…子守り歌を…でも…」
 

 最後の「でも…」というのが気になります。

 推測になりますが、たぶんギーグは子守歌を嫌がったのでしょう。

 子守歌を(歌ってあげたのに)…でも(嫌がられてしまった)

 マリアはギーグがこの歌を嫌がることを知ってしまいました。

 

「わたしたちの星から大切な情報を盗み出して
 わたしたちにはむかおうとした…ジョージ」

 前述のとおり、夫のジョージは逃走に成功しています。

 でも妻のマリアは助けられなかったのでしょう。

 大切な情報というのは、恐らくギーグ達の星にしかない優れた科学技術です。

 そして地球侵略計画のようなものも知ってしまったのかもしれません。

 

 マザーシップを守っていた強力なロボットを覚えていますか?

 宇宙船をも作れるギーグ達の科学力は絶大です。

 ジョージは盗んだ技術を使い、ギーグ達の将来の侵略に備えて、彼らに対抗できるロボット・イヴを作り、子孫に託しました。

 

「私ノ名ハ、イヴ。 アナタヲ待ッテイタ。 私ノ父ハじょーじ。
 宇宙ノ果テニ連レテ行カレ戻ッテキタ人。アナタヲ守ル。私ノツトメ」

 

 ジョージはおそらくあなたの「そうそふ」です。

 何かそんな名前の道具がありましたよね。

 「そうそふのにっき」はジョージの日記です。

 使ったときに聞こえる合言葉

 

  「かみのしっぽはどこにある」

  「あまかけるふねのわすれもの」

 

 今ならなんとなく意味が分かるかもしれませんね。

 

「そしてその夫婦の子孫 またわたしたちの計画をジャマしようとしている… ○○!あなたのことだ」

 

 ギーグ達はイースターの大人たちをさらったりして、地球を侵略しようとする何かを企んでいます。 

 そしてその計画を邪魔しようとしているのが、夫婦の子孫である○○! あなたのことだ!
 

「もうお帰りなさい みにくい地球人たちと共に滅びてください」
「そのむしけらのような力ではどうすることもできない」
「○○…あなただけ、一人だけなら助けてあげてもよい。
わたしと共にマザーシップに乗りなさい」

 

 地球人であるマリアに育てられたことには、ギーグなりに恩を感じているのでしょうね。

 だから子孫であるあなただけはその恩に免じて助けてもいい。
 

「ならば…友達やみにくい地球人と一緒にここに眠りなさい」


 でもあなたはその誘いにはのらずに、大切な友達とともにギーグと戦うことを選びました。 

 

 

MOTHERについて、このゲームの総監督である糸井重里がこんなことを言っていたのを覚えています。

 

「男性的な攻撃性が勝利するゲームの世界において、女性の優しさが世界を救うようなゲームを作りたかった」

 

その結果できたゲームが「MOTHER」です。

 

だからこのゲームは「たたかう」ではクリアすることができません。

このゲームをクリアする鍵は母性であり、それを象徴するのがマリアがギーグを思い歌った子守歌です。

だからあなたはクイーンマリーにメロディを集めさせれらました。ギーグを改心させるために。

 

マリアの意識=クイーンマリーはその役割を果たすと、自分の戻るべきところに帰ります。

 

「ああ、ジョージ!あなたの妻のマリアです。
あなたの待つ天国に、私も今からむかいます」

クイーンマリーは○○に語り終わると風のなかに消えていった。
そしてマジカントの国もまた、あとかたもなく消え去った。
マジカントの国とは、マリーの意識が生み出した幻だったのだ。

 

 

このゲームの敵はみんな倒しても、正気にもどったり、おとなしくなったりするだけです。

決して死んだりはしません。

 

このゲーム内であなたの父親は電話でのやりとりがあるだけで、決して姿をみせることはありません。

このゲームがMOTHERだからです。

 

このゲームであなたを助けてくれるのは、いつもあなたの大好物を作って家で待っていてくれる母、MOTHERです。

MOTHERはとても優しいゲーム(難易度除く)です。

このゲームの優しさが少しでも伝わりますように。

 

 

・・・余談ですが、このゲーム内でちょっと気になる存在、フライングマンについて糸井重里はこんなことを言っています。

 

フライングマンてのが居るんですよ。役立つから連れて行く。でも、戦っていると死んでしまうからまた連れて行く。すると、町外れに墓がどんどん立っていく。嫌でしょ?でも、そういう嫌さが僕は好きなんですよ(笑)

 

あ、フライングマンは死ぬんだ。

 

□芥川賞候補者

古谷田奈月 『風下の朱(あか)』(早稲田文学初夏号)
高橋 弘希 『送り火』(文學界5月号)
北条 裕子 『美しい顔』(群像6月号)
町屋 良平 『しき』(文藝夏号)
松尾スズキ 『もう「はい」としか言えない』(文學界3月号)

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受賞者が必ず出るという前提で予想するならば、本命は高橋弘希さんの『送り火』。
今回で4回目の芥川賞候補ノミネートとなる氏が、賞をとりにきた印象。
元々描写には定評のあった作家さん。ラストの緊迫感はさすがだし、締めの文章で震えた。
順番でいいのではないかと。

単独授賞を予想するけれど、ダブルがあるなら古谷田奈月さんの『風下の朱(あか)』。
迫力のある文章を書く作家さん。三島賞もとっているので順番的に可能性は十分ある。
批評はしたくないので触れないけれど、気になった点はある。

表現盗用で騒がれている新人・北条裕子さんの『美しい顔』は、候補作のなかでは一番泣いた作品。
ただ盗用うんぬん以前に授賞は難しい気がする。次作で実力が問われるべき。次作が出されるべき。

授賞は絶対にないと思うけれど、個人的に一番好きだったのは、松尾スズキさんの『もう「はい」としか言えない』。
選考委員の中にコメディを評価する人がどれだけいるかという問題にもなるけど、。

表現の追求という意味では、町屋良平さんの『しき』。

初読み作家さんだったけど、特有の描写・表現が印象的だった。

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□直木賞候補者

上田早夕里 『破滅の王』(双葉社)
木下 昌輝 『宇喜多の楽土』(文藝春秋)
窪 美澄  『じっと手を見る』(幻冬舎)
島本 理生 『ファーストラヴ』(文藝春秋)
本城 雅人 『傍流の記者』(新潮社)
湊 かなえ 『未来』(双葉社)

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直木の方は相変わらず読んでいないけれど、名前だけ見ればえぐい好メンツ揃いの印象。
山周賞作家の湊かなえさんと窪美澄さん。
候補作の前作『宇喜多の捨て嫁』で好評価だった木下昌輝さん。
『華竜の宮』で日本SF大賞をとった上田早夕里さん。
芥川候補4回、直木候補1回、山周候補1回、本屋大賞候補1回etc…と、無冠の帝王と化してきた島本理生さん。

ネームヴァリューだけでは予想できないメンツ。

選考委員会は、7月18日(水)午後5時より。
ニコ生恒例の授賞発表会場実況は6時から。待ち時間のMC陣の講評が楽しい。

『第159回 芥川賞・直木賞発表&受賞者記者会見 生放送』
http://live.nicovideo.jp/gate/lv313918944

『芥川賞・直木賞候補作品試し読み』
http://ch.nicovideo.jp/akutagawa-naoki/blomaga

 ♂

 

 翌朝。
 メールを一斉送信し終えた紘太朗は、外の景色を眺めることにした。
 これから起こるだろう騒ぎに備えて、今だけは平穏でいたかった。
 景色をぼんやり眺めながら、紘太朗は現文の教科書にあった小説を思い出していた。
 それは主人公の男が、異国の踊り子との恋と己の立身出世との間で板挟みになり、苦悩する話だった。
 最後、男は立身出世を選び帰国する。
 見捨てられた踊り子の末路は狂人だった。
 小説が発表された当時、その結末を批判した批評家がいたと先生は話してくれた。
『薄志弱行で、精気なく、誠心もない感情健全ではない男をどうして主人公に据えたのだ』と、その批評家は作者を批判した。たとえ身の破滅に終わろうとも、恋愛に生き抜こうとする情熱の青年を描くべきだったのではないか――。
 けれど、主人公がもし功名を捨て、恋愛を選んで終わっていたとしたら、あの小説は予定調和の恋愛小説に成り下がった気がする。あれは愛した踊り子を捨て、己の保身を選んでしまった主人公が悶える姿にこそ価値があったし、だからこそ語り継がれる文学作品になり得たのではないだろうか――。

 

「文学をするのはむつかしい」

 

 紘太朗は流れる風景を眺めながら呟く。
 とは言え、官吏への道で悩んだその主人公と、中間テストをさぼってよいものか悩んだだけの自分を比べるのは大袈裟だろうか。少し格好をつけ過ぎた気がして、窓に映る紘太朗の頬が染まる。
  と、携帯が震えた。
 すぐに返信があるだろうと、予想はしていた。
(最初は誰だ)
 紘太朗は通話ができる場所に出ると、着信相手を確認する。
 亮の着信に、紘太朗が「もしもし」を言い切る時間はなかった。
「紘太朗、大阪に行ったらまず『キタ・ミュージック』ってストリップ劇場を訪ねろ。そこに結愛ってダンサーがいるはずだ。こないだまでウチで乗ってたヤツだ。そいつが絶対何か知ってる」
 紘太朗が一斉送信したメールに、亮は何か勘づいた口ぶりだった。

 

『スズメは大阪にいるみたいです。これから探しに行ってきます』

 それが紘太朗が一斉送信したメールだった。

 

「……アンタ、絶対連れ戻しなさいよ! そしてあのバカに伝えなさい。アタシ以外にダンス教わったら絶対許さないからって」
 亮が携帯をひったくられた気配がした後、電話の向こうで吠えたのは咲良だった。
 ――まだ朝の八時半なのに、二人はどうして一緒にいるんだろう。
 紘太朗はふと考えたけれど、それ以上詮索するのは無粋でしかなかった。
 ともあれ、亮の言う『キタ・ミュージック』という具体的な取っかかりは、紘太朗にとってありがたかった。大阪駅の近くにあるらしい公園周辺をしらみつぶしに探すくらいしか、方法を持っていなかったからだ。

 

 紘太朗がスズメの所在を大阪駅近くの公園に確認したのは、昨夜のことだった。
 紘太朗は夜の机で、ひとり考え続けていた。
 どうしてこんなバッドエンドじみた事態になってしまったのか。
  試験問題の誤答同様、紘太朗にとって失敗は検証すべき価値しかなかった。
 やはり自分の選んだ選択肢がどこかで間違っていたのだ。
 間違っているとしたら、やはり『スズメ鳥かご飼い馴らし作戦』なのだろう。
 だが何を間違っていたのかがわからない――。

 

 気が付くと紘太朗は山科家を漂流していた。

 

 ――俺は獣だ。スズメを探し彷徨う一匹の獣だ。

 

 紘太朗は冷蔵庫にあったいちごヨーグルトを舐めながら思った。そして渇いた動物が砂漠で泉を探し求めるように、紘太朗はスズメの面影を求めて深夜の山科家を漂った。獣は寂しかった。寂しくてたまらなかった。
 当然の帰結として、紘太朗が流れ着いたのはスズメの部屋だった。
 渇きの局地で紘太朗が思い出したのは、スズメが「踊ってみた」を動画サイトにアップしていたことだった。スズメのネットセキュリティ意識が随分ワイルドだったことも思い出した。
 紘太朗は動画にスズメの姿を求めパソコンを立ち上げる。履歴から動画サイトにアクセスすると、案の定、スズメのIDとパスのクッキーが保存されていた。以前もこの手でログインしたことがあった。
  ――前はここでスズメが部屋に入ってきて、慌ててパソコンを閉じたんだったな。
 あのときの俺の手は音速だった。紘太朗は懐かしむ。
 だが、紘太朗が期待した動画、『舞台で踊ってみた』はそこには無かった。
 ――あれはネットに上げるためのダンスじゃなかったんだろうか。
 確かに事情を知らない全世界に発信するには、あのダンスは前衛的(プログレッシヴ)過ぎた気もした。規定違反による削除も止むなしかもしれなかった。
 しかし、紘太朗は目当て以上のものをそこで発見した。

 

『さっそく大阪で踊ってみた』

 

 そう銘打たれた動画は、昨日――スズメが姿を消した日の日付でアップされている。
「大阪?」
 首を傾げながら再生ボタンをクリックすると、どこかの公園らしい場所でスズメが踊り始めた。
 背景に「可愛い」「天使がいた」「結婚してくれ」と、勝手なコメントが流れていく。
 一方で「BBA」「足が太い」「果てしない水平線」と、煽りコメントも流れていく。
「なんか踊り上手くなってない?」
 ずっとスズメを追っているらしい人間のコメントが、それなりにファンがいることを想像させる。
 紘太朗がキーボードに指を走らせたのは、あるコメントに閃きを得た瞬間だった。

 

『大阪ってこれウチの近所の公園やw』

 

『場所特定班はよ!』
 打ち込む紘太朗の手はついに神速を超えた。
 そして特定班もまた神速であった。

 

「連絡しておくから、劇場の受付で『モダンジャズの鴇田亮』の名前を出せ。対応が変わるはずだ」
 亮に礼を告げ電話を切ると、入れ替わるようにまた携帯が鳴った。
 ディスプレイに母の名が現れ、紘太朗は身構える。
「ちょっと早く電話にでなさい! スズメちゃんが大阪にいるってどういうことなの! あとあんた学校はどうしたの!」
「今日は休む。学校に連絡はした」
「アルバイトで怒られたばっかりなのに、今度はテストを勝手にさぼったりして――」
「だってテストとは天秤にかけられない」
「問題をすり替えないの! 一人で考えないでまず私に相談しなさいって言ってるでしょう。私が仕事を休んで探しに行けば済む話なんだから。まったくあんたはいつも一人でぐだぐだ考えて――」
 紘太朗は電話を電源ごと切り、デッキから座席に戻った。大事なことはもう伝えたから、それ以上通話の必要はなかった。
 
 ――自分で探しに行かなければ意味がない。

 そう考えたから、紘太朗は親に黙って新幹線に飛び乗った。
 母に相談すれば止められるのは目に見えていた。
 今まで自分は、作戦を亮に任せ、親に任せてきた。
 挙げ句の果て、いつの間にか野辻に問題を解決されていたりもした。
 ――もう人任せにはしない。
 そう考えたとき、紘太朗はついに自分の誤った選択肢に気が付いた。
 スズメを見つけたら、もう山科家の養子になれなどとは言わない。
 自分がスズメにしてやれる法律行為がある。
 一八歳と一六歳が家族になれる法律がある。
 今はまだその約束だけでも構わない。そもそもその提案をスズメが受け入れてくれるかもわからない。でももうぐだぐだとは考えない。
「まあなんとかなるさ」
 呟く。
 窓に映った富士山がやけに能天気に見えた。
 
(了)

 

□参考書籍

『舞姫』森鴎外/岩波文庫
『小沢昭一座談③ 本邦ストリップ考 まじめに』小沢昭一/晶文社
『湖の麗人』スコット作・入江直祐訳/岩波文庫
『近代文学論争・上』(石橋忍月の『舞姫』評)臼井吉見/筑摩叢書