昨日はゆうさんの23回目の誕生でした。

時の経つのは早いものですね。

もう、大人3年生なのですね。

なんかいつも一緒にいるしでしょ。
だからかな?大人になってくれてるっていう気が、全然しないんです、母的にpp

発達障害レベルのコミュニケーションの問題点は、小さい頃より今の方が、問題視されてる状況です。


ここで、振り返りたいと思います。

まず・・・

分娩は普通分娩。3390gで問題なく生まれてきました。

成長もトントンと進み、母子手帳の記録を見ると、全てにおいて模範的に成長してます。乳幼児身体発育曲線(棒グラフですね)を見ても、平均的な成長でした。首がすわり、寝返り、ひとり座り、はいはい、つかまり立ち、断乳、一人歩き、どれも問題なかったです。

ただ・・・今思うと、変な行動がありました。

6ヶ月くらいの時。まだ自力では動けない時期ですが・・・
台所とか、ちょっと離れた場所で作業をしていると、ゆうちゃんがあーうーあーうー騒ぐことがありました。泣きはしないのです。あーうーあーうー 言ってるだけ。泣かないので、私は用をしながら声掛けはするんですね。

ゆ 「あーうーあーうー」
母 「なーにーなーに?」と。

今思うとね、作業はすぐの途中止みにして、そばに行ってやるべきでした。けど、その頃の新米ママにはそれがわからなくって・・・

すると、ゆーちゃんのあーうーあーうーはおしゃべりの域を超えて、「唸り? 唸ってる? 唸ってるよ、こりゃ!」 になり、慌てて手を拭いてるあいだに 「げぼっ!」って吐かれてました。

赤ちゃんの武器である「泣き」をせずに「唸り」で母を呼んでいたんですね・・・あれは・・・

今思うと、あれは、変な行動だわね、と思うのです。
この時から既に、コニュニケーションがユニークだったということでしょうか?

あと、お座り期に。埃のキラキラで遊ぶっていう動作もあったわね・・・

これも、あとで、こういうことするのは自閉っこちゃんだって知って、じぇじぇじぇ! でしたけどね。


そして、幼稚園期。

母子分離ができませんでした。
きっつい、登園しぶりwwww

初日は泣く子もいますけど・・・ずーーーっと、年長さんになっても恐怖心が取れないのは、うちの子だけでした、園児300人いてww

今思っても、あの時代が一番しんどかったですね。精神的に。

離れるのが怖くて行きたくない子を、毎日毎日毅然とした態度(そうしてたつもり)で、徒歩かあるいは自転車で連れてったのですから。

園長先生が「どんなことがあっても、お休みだけはさせないように。それが、登園拒否をなくす鍵です」と言われたので、私はその言葉を信じて従いました。

朝。登園前に決まってトイレに入って、出たんだか?出てないんだか? 40分ぐらい出てこないゆうちゃん。 

はじめの方は母も焦って「何してるの?早くしなさい!」 と、あおってましたが、(トイレに篭ることは、彼の精神統一なんだわ)・・・とある時思い、それからはじっと待ったものです(忍耐力ついたわ・・・)

『トイレは瞑想ルーム』でした。

行きたくないという理由ではお休みさせない。たとえ、途中吐いても、下痢をしても、知恵熱が出ても。

どうしても行きたくないときは、近所の市民の森に入り、雑木林を散策して、気を紛らわしたんだよな・・・。

毎日園長室登園だったから、「今日も園長先生にこれ渡してくれる?」って言って、チューリップの折り紙持たせたんだよなぁ・・・。 毎晩折り紙折って、お手紙書いて、それを届けてねって言って、ごまかしごまかしで、行かせたんだよなぁ・・・

運動会の日。40度の熱出して。多分それは緊張からの知恵熱で、多分、精神的なもんだからからって言って、ギリギリまで様子見て、最後の種目を見学だけでもさせようってなって、パパがおぶって園まで連れてったんだよな・・・。 これに何の意味があるのかさえわからず、ただ、頑張ってたわ・・・


小学校へ上がっても。
恐怖が抜けるわけじゃなく・・・。お友達と一緒に行けないときは、2年生の前半まで、送りしてたな。それが恥ずかしくなって?私が指示した?どっちか覚えてないけど、ひとりで通えるようになったのね。

玄関で送り出すでしょ。すぐにリビングに行って、窓から、歩いてるゆうさんをずっと見送るのね。畑にはさまれた一本道。まっすぐに伸びるその道の途中で、ゆうちゃん、立ち止まって、、「げーっ」 ってやってる。 「あ、、また吐いちゃった だいじょうぶ? 助け舟出したほうがいい?」なんて、心ざわざわしてさぁ。 窓越しに「頑張れっ!」って念じて・・・。 ゆうちゃんはまた歩き出すという・・・ そんな連続でした。


そして、3年生の秋。

豚の鳴き声のようなチックが発症。
あれよあれよと体調が崩れ、体には海老反りするチックも出てきて。抱いてないと危ないという状態でした。

「この子の体に、一体何が起きてるんだーー」と、もう、母もパニック!

自分の体の異変に心が付いて行けず・・・ゆうちゃんは
「ママ・・・もう辛い・・・死にたいよ・・・」って言ったんだよね・・・

9歳に死にたいと言われる母の気持ち・・・
無念さの何ものでもなかった。。。

本気で無理心中、考えたんだった・・・


そうこうして・・・
母、ウツで倒れた。頭も体も、シャットダウン。。。



4年生のゆうちゃんは、お薬の成果もあって落ち着いて、また学校へ通えるようになった。

チックのせいで、他学年の子に意地悪された。でも、クラスメイトには大事にもされた。

5年生で「これは病気です。みさなん、ゆうちゃんに優しくしてあげてね」って先生から、「病気としてカミングアウト」してもらった。 このことで、みんながゆうさんを大事にしてくれた。

そのおかげて、ゆうちゃんのクラスでの居心地は安泰になった。
カミングアウトは相乗効果で、ほかの子供たちにも「優しさを学ぶ機会になった。それでクラスが纏まっている」と、感謝もされた。

何をやっても鈍臭いゆうちゃんだったが、先生の勧めで水泳を習いだした。。すると・・・どんくさいけど、平泳ぎまでできるようになった。

卒業式には・・・いろいろありすぎたせいで、、、
母の方が号泣してしまった。(大勢の中であんなに泣いたことはない)

中学に入ったと同時の自己紹介で。
「自分はトゥレット症候群という発達障害があります」と、告知。オープンにした。

5年の時に「病気」として知られている人には知られていたので、これを機に「発達障害」ですと言う。(これは自分で選択した。が・・・、今思うと、母の誘導に乗っただけかもしれないpp)

でも、このおかげで、チックが出ててもいじられる事はなかった。
また、この頃になると、ゆうさん自身がチックをコントロールする技を発見したので、外では出さないことができた。

中学3年の時。
受験ストレスが災いしたのか?人生で一番体調が悪くなる。
秋から、がたがた・・・っときた。自律神経が壊れ、うつ症状も出てきて、その後約2年、療養生活に入る。寝たきり状態から始まり、だんだんと回復していったのだが、今度はボーちゃんが発症してしまい、同時に二人の介抱が、ウツの母には無理だったので、ゆうさんを1年、母の実家に預けた。

そこでゆうさんは自己を見つめ、1年間リハビリする。

16~17歳の思春期だった。
そこで、家族と離れて自己を見つめる時間ができたとこは、すごくよかったと、後にゆうさんは言っている。

ここで、アルバイトもしている。学校へ行く前準備として始めた。あと、コッティーが我が家に来たので、「飼い主の僕が餌代を稼がなきゃ!」という思いもあった。 コッティーさまさま、である。

そして・・・友達より2年遅れて、定時制高校に入る。

定時制はアバズレの掃き溜めでは?な~んて、不安がってたが、17歳のゆうちゃんは吐かずに通えた。 大進歩である!

みんなともそつなくやれた。グループの中に、クラス一やんちゃで、すぐ喧嘩売る友達もいて、一緒にいるので危なっかしい思いも多々あったようだが・・・

そういう危険は察知できたようで、やべっ となったら、すぐ逃げてたようだ。

定時は年齢層に幅がある。働きながらの人もいる。自分より若い子もいる。勉強出来る子も出来ない子も。おしゃべりだけしに来る子もいる。1年でやめる子もいる。いろんなカラーの人にもまれ、彼自身も肯定できたように思う。

心理検査を17歳でした。
凸凹の検査結果だった。。
でも、「今までこれといって、集団生活に支障が出てない(本人が自覚してない)ので、障害名を付けるほどではないと思う」とお医者様は言った。

可能性としては、学習障害、アスペ、ADHD くらいでしょうか・・・。

卒業あたりからまた、体調が不安定になる。寝込むこともしばしば。

二十歳を過ぎて、一段と、自己を客観視できるようになった来た。
ここ1年は、昔を振り返り、特にコミュニケーションの取り方を口にするようになった。

例えば

相手の話。真剣に聞こうと頑張るけど、全部は入らない とか
聴いたりふり、わかったふりしてると、「あれ?聞いてなかったの?」って言われちゃう とか
そういうことは、当たり前だと思っていた とか


学生生活で、これまで、まぁあいいかっで済ませていたことが、大人になったらそうもいかなくなった、、、ってとこなんだろうね・・・


この1年で、トゥレット以外の発達障害にも意識が行くようになってきた。
本も読み始めている。それで、また、客観視するという、現在。。。

今の段階では、学習障害、ADHD、自閉症スペクトラムなどが絡んでいそうだ。それと、トゥレットと身体表現性障害がある。 (彼の場合多動はない。その反対、遅動で集団からおいてけぼりだったけど)



いろ~~~んなこと、あったな・・・

まさか、我が子が障害児だったなんてね・・・
幼い時は誰もそんなこと言う人いなかったもんなぁ・・・

“神童”とは言われたけどねww



ゆうさんの自分探しは、まだまだ、これから。。。


・・・23歳って言えばさ、母の23歳は、海外で取材して、大勢の人使って本を作っていたのですよ。 バリバリの編集者してました。

それと比べちゃうとね・・・ なんて、経験値ひくいのかしら? って嘆きたくもなるのですか・・・


まぁ、しゃあない。

いつかは、ね。
感じのいい、大人に、なってください・・・

ね。。。