『 桜が咲いたね。 』
↑このあたりも、桜が咲き始めた。人生で、桜をみれるのは、ほんの何十回だろうか。今年の桜は、5才になった末っ子の娘とともに。
いよいよ
4人の子ども達も
春休み。
今年度も
出会ってくれた
お友達、先生へ
ありがとう。
桜の木と
それから
子どもたち
それぞれが作文に使う
日本の原稿用紙
をみていると
ふと
芳恵ママのなかで
思い出される
日本の物語がある。
日本にしかない
この、原稿用紙。
なぜ、日本は
この
原稿用紙のカタチなのか?
( そもそも、この原稿用紙の由来はなんなのか? )
日本に産まれた
子どもたちに
この春
伝えたい
この
日本の原稿用紙に
込められた
日本の宝である
私たちご先祖様の
深い愛の物語。
( 大正12年から昭和20年までの日本の尋常小学校の国語の教科書に、載っていた実話。)
今から
数百年前
京都の
宇治にある
黄檗宗大本山萬福寺
( おうばくしゅうだいほんざんまんぷくじ)
に、鉄眼和尚
( てつげんおしょう )
という僧がいた。
この寺へ
当時、支那から渡来した
高僧が持ち込んだ
お釈迦さまの
「 この世のすべてが書かれたお経 」
( 医学、薬学、農学、なにから何まですべて )
一切経
があった。
かつて
印刷技術が
まだなかった時代
これを
誰もが読むことができれば
みんなが助かり幸せになる!
一切経を
広く人々に行き渡らせたい
と決心した
鉄眼和尚は
支那の
印刷技術である
版木による
印刷の方法を
教わり
版木に
使う板( 木材 )など
印刷費用を
集めるため
( 日本初の出版事業。 )
全国行脚の
旅に出たのでした。
あるとき
馬に乗った
お奉行さまの
一行にあい
募金を願うも
バカにされたうえに
しつこい、と
頭に銭一文を
投げつけられ
ケガをする
鉄眼和尚。
そんなめに
あいながらも
鉄眼和尚の
心は固く
数年の
歳月をかけて
全国から集めた
募金を手に
寺へ戻り
一切経の
印刷事業に
とりかかろう、とするも
大阪に
大洪水が起き
多くの人々が
家を失い
食べるものもなく
路頭に迷っていた。
鉄眼和尚は
『 私が一切経を広めたいのは、人々の幸せのため 。
印刷のために集めたこのお金を、この人々の命を救うために使うほうが
もっと大切なことだ。』
と、募金を
してくださった方々に
同意を得て
資金を全て
救助のためにあて
多くの
大阪の人々の命を救う。
鉄眼和尚は再び
一切経の
出版事業の
資金集めのため
長い長い
2度目の旅に出る。
数年後
ようやく
集まった資金を持って
宝蔵院に戻ると
こんどは
近畿地方に
大飢饉が起きていた。
( ※飢饉(ききん):作物が全く育たずに、人々が食べるものがなくて飢えてしまうこと。)
幕府は
救助にあたるも
それだけでは
全く足りず。
鉄眼和尚は
再び人々を救うことに
資金の全てを捧げ
多くの人々を
飢饉から救った
のでした。
3度目の
資金集めの旅に
出ようとしたとき
あらゆる藩主
多くの人々から
自ら
鉄眼和尚のもとへ
募金が集まったのでした。
ただひとつ
困ったことが
あった。
印刷に使う
版木には
桜の木が
湿気に強く
しなやかで
もっとも適しているため
桜の木が
必要不可欠
だったのだけれど
桜というのは
当時、日本の国宝であり
幕府が管轄しているため
伐採ができない。
このとき
かつて
鉄眼和尚に
銭1文を
投げつけた奉行は
幕府の桜山を管理する
桜奉行になっていた。
( ※奉行(ぶぎょう):今でいう国のお仕事をする役人のトップのこと。)
桜奉行と
なった彼は
かつて
鉄眼和尚へ
自身のしたことを
長年悔やんでおり
彼は
『 私が桜奉行になったのも、何かの縁である。
いまこそ、彼の役に立つときだ! 』
と、自らの
責任のもと
大量の
桜の木の板を
鉄眼和尚へ
送ったのでした。
数百年の
ときをこえて
いまなお
いたむことなく
しなやかな
桜の木の版木は
黄檗山宝蔵院にて
一切経の版木となり
刷られつづけている。
この一切経の
版木こそが
原稿用紙の
あの枠線のカタチなのである。
日本の宝である
鉄眼和尚と
そして
黄檗山宝蔵院は
国に認められた
黄檗宗という
一大宗派であったが
戦後
正式な宗派として認められず
( 戦後、日本の本物(宝)はいつも、こうしてGHQによって無きものにされていく。)
また
鉄眼和尚の存在も
教科書から削除され
今に至る。
この
令和の時代にも
子どもたちの
日本にしかない
この原稿用紙を
見るたびに
そして
桜の季節が
くるたびに
私は
鉄眼和尚を
想う。
いつか
京都の宇治へ
行くときには
黄檗山宝蔵院へ
鉄眼和尚の面影に
手を合わせに行きたい。
↑3月1日の朔日詣りの芳恵ママ、子ども達と寒川神社をご参拝。
今日も
ここまで
命をつないでくださった
日本のご先祖様へ
心からの感謝とともに☆*・。
芳恵ママ
サロンメンバーさんのお声
本当に良かったです♡
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↑花粉や、黄砂や、ほこりっぽい春に、目がかゆくなったときには、柿渋スプレーを直接目にシュッシュッ。そのまま目を触らないでいれば、かゆみがひいてくれる。天然の抗菌、殺菌、抗ウイルススプレー、柿渋は、コロナウイルスを分解する成分として認められてもいるので、アルコール除菌の代わりに、赤ちゃんから安心して手足、口のなかも目にも、使えるので、いつもきらさず愛用中。人混みのなかにいたりして、のどが痛くなりかけたりするときにも、すぐにシュッとしてる◎
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