大人になって 

 

 

自分の親を

 

あんまりにも 

褒めすぎたり 

尊敬しすぎていたり

美化しすぎるというのは 

 

 

 

 

そこには

無意識に

 

親を超えたくない

というブロックがある。  

 

 

↑先日、中学生になった13才の長女と芳恵ママとで、ふたりで温泉へ。4人の子ども達と、それぞれひとりづつとふたりきりになれるひとときも、大切にしたい。

 

 

 

 

 

その場合 

無意識に 

 

大人になっても

母親よりも 

幸せにならないようにしたり

 ( 幸せになれないようなパートナーを選んだり、母親が専業主婦なら自分も専業主婦で在ろうとしたり。母親が車の免許を持たずに夫に頼っているようなら、自分も車の免許を持たずに夫に頼るような存在であったり。母親とべったり仲が良い、関係なほどに、母親の価値観や生きる姿勢そのものまで、似やすい。)

 

 

 

父親よりも 

稼がないようにしたり 

( 父親と同じ金銭感覚になったり。または、一般的な給料水準が、自分の潜在的な金銭感覚になっていたり。)

 

 

いつまでも 

自分にとっての 

「 あこがれ」(られる)ポジションに 

 

 

親を

置き続けるような 

現実を創造しやすい。

 

 

 

 

育った環境の世界観 

育った環境の価値観の枠から

 

抜けられない現実を

いつまでも無意識に

創造しつづける。

 

 

 

 

 

 

大人になる 

ということは 

 

親も、自分とは違う 

ひとりの人間なんだと

客観的に見れるようになる 

 

という

ことでもあり 

 

 

 

 

そのうえで 

親の欠点も分かっていて 

 

対等でいられる人間力が

備わった器になるということ。

 

 

 

大人になり

親になった

自分の立場から 

 

 

当時の

親の立場や

気持ちを分かれて 

 

 

 

自分を

産み育ててくれたことに 

感謝ができる器になること。 

 

 

 

すべての親には

毒親の側面もある。

 

★↑芳恵ママラジオ⇒『 毒親?そう言っているうちはまだ未熟。その解毒剤をつくるのが、社会的な自立。』★

 

 

 

 

親を、毒親と呼び 

反抗しているうちは 

( 自分のあらゆる部分を『 親のせい!』と言っているうちは。)

 

 

 

まだまだ 

親離れが

できておらず 

 

 

 

親を

 

神格化させるように 

褒め称え

美化しすぎているのも 

 

また、 親離れができていない。 

 

 

 

 

そういう意味で 

どちらも同じ。

 

 

 

 

 

親からの枠を超え 

 

ひとりの自分として 

自律したとき 

 

 

初めて

自分の決めた 

自分の生き方が

 

はじまりだす。

 

 

 

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