例えば、心臓病の人が
 
鼻にチューブを固定して、
 
酸素のカートを引いてるのを見たときに
 
「荷物が多くて大変なら、
 
そのカートを引くのやめたら?」
 
って言う人は 絶対にいないでしょ?
 
 
それがその人にとっての
 
ライフラインだってわかるからだよね。
 
 
 
エネルギーの動きとか
 
邪気が及ぼしている影響とかもさ、
 
そういうのを受信しやすい人にとったら
 
心臓病の人が
 
鼻から高濃度の酸素を摂取すると
 
身体が楽になるのと同じで
 
環境波動を高波動に保つことが
 
一種のライフラインなんだよね。
 
 
趣味で浄化をしてるわけじゃなくて、
 
生きる術として、
 
やるべきこととして。
 
 
 
お顔に酸素のチューブを固定するのだってさ、
 
ものすごくたくさん神経があるお顔なんだもん
 
煩わしいなって思う場面が
 
私が想像する以上に
 
たくさんあると思う。
 
 
顔に、何も付けることなく
 
スポーツが楽しめたり、
 
自由に寝返りがうてたり・・・とか
 
普通の人が普通にやれてるところに制限がある自分と、
 
その制限がない人の差を痛感するたびに
 
これ無しで生きられるなら
 
本当にそうしたいよ!!って心から思いながら。
 
 
こういうことと常に戦うことが
 
「生活」だったり「生きる」だったりしてる人が
 
たくさんいるんだよね。
 
 
 
 
私は、人よりも少し
 
他人の感情や、
 
心の奥底に抱えているものに気がつきやすい。
 
本人に言葉にされるよりも先に、とか
 
本人がごまかしてるような言葉の裏の本当とか
 
そういうものが知りたくなくても
 
わかってしまうときがあって。
 
 
それを能力として使うことで
 
クライアントさんの
 
魂と、頭の橋渡しをすることも
 
私のひとつの仕事だとも思ってるんだけど。
 
 
 
ただ、本人が言葉にする前に
 
私が働きかけることで
 
コミュニケーションが成立してしまうということを
 
日常的に、継続的に行ってきたゆえに
 
その人から
 
想像力と言語感覚を奪ってたのかな・・・って思って。
 
 
心臓病の人に
 
「そのカート引くのやめたら?」って言うくらいのことを
 
意図を持った上で故意に言わせた原因は
 
私にあるんだと思うのね。
 
 
 
前にも何かの記事で引用させてもらった
 
ドラマSPの名言なんですが、
 
「警護で最も大事なことは
 
信頼関係を築くことです。
 
私たちに信頼を与えてください。
 
私たちはそれを糧にして
 
あなたの命を守ります。」
 
 
 
ASKAさんの詩で、
 
とってもかわいくて好きなのがあるんですが
 
SPの名言をかわいく言ったら
 
↓こういうことだと思う。
 
 
 
 
{410A607C-3B62-4ADA-ACBD-9C78280B2E66}
 
 
コミュニケーションに関してだけは
 
「効率化」とか「利便性」とかを
 
考えてはいけないと思うの。
 
 
コミュニケーションで「楽をしよう」とすると
 
その関係は死滅に向かうから。
 
 
「想い」を、はしょろうとしてる時点で
 
その関係には
 
良い未来はこないでしょ?
 
一番大事なことを置き去りにして
 
何を繋ごうとしてるのか
 
全く見当もつかないもん。
 
 
 
大事なことだから 同じ温度で。
 
大事なことだからこそ 同じ歩幅で。
 
私は今、
 
自分の温度や歩幅を主張するよりも
 
自分の温度を落とすことになっても
 
自分の歩幅を縮めることになっても
 
「合わせる」ことで
 
「普通」を叶えたいなと
 
思っているところなんですよね。
 
 
 
・・・でもまぁ、これも、あれでねw
 
『いま僕はすっかり 磁石の針になって
 
君の合図に 揺れるだけだよ』
 
なので、
 
今私が思っていることを
 
言ってみた程度のことなんですがw
 
 
求められる、とか
 
必要になる、とかで
 
状況が変わる可能性はいくらでもあるし
 
それはもう、
 
私が決めることではないのかなとも思うんですよ。
 
 
自分にとってちょうどいい温度、歩幅になるように
 
地球の人が決めたらいいと思う。
 

今は、私の力で・・・というか努力で

上の・・・彼の言葉をアウトプットしないでいるんですが

自分の言葉をアウトプットされないことで

既に相当へそを曲げちゃってますからねぇw

このダムが決壊する日も近そうですがwww
 
 

どうなんでしょうね。

年々、地球ルールが分からなくなっていくというか

謎が深まっていって、

どうすることが地球でうまくやることなのかが

自分の能力として使えるものが増えるたびに

本当にわからなくなりますねぇ。
 
 
自分の能力の全てを使い全力をだすことが
 
必ずしも いい結果に結びつくとは限らないんだなぁ
 
誰かのやるべきことを奪っていたり
 
自立できなくさせていたり
 
はしょれるって思わせてしまったり・・・
 
ねぇ。
 
私が「やらない」ことも
 
愛なんですよね、きっと。
 
 
お仕事をしていく上では
 
能力として使えるものを
 
新たに持たせてもらえるなんて
 
とってもありがたいことで
 
何の問題もないんですけどねぇ。
 
「わたし」を生きようとすると
 
あー、そっか ここ地球だったわ・・・ってなるんですよねw