新しい懐紙入れそのほか | 花月☆そうし

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 このところどのように暮らしているかというと。

 

 書道会の新年会。背景は不忍池。

 学生時代、大学ワンゲル部としてはゆるいほうだったけれど、一応山に行く前にトレーニングというものをするものなんじゃない?と数回ランニングしたことがあるの。学校、根津、不忍池周り、上野公園、学校というルートでした。写ってるところを走ったというか走るの苦手なのでこの辺りはもうプラプラ歩いてたと思う。

 うーん、着物の時は夜会巻きで30年来たけれど、夜会巻きが似合わなくなってる気がする。単に痩せればいいだけかもしれないけれど。

 

 暮れの書道展で5人に一人ぐらいもらえる賞をもらったので、賞状と商品もらえたの。

 

 賞品は墨でした。

 裏に寒山拾得が浮き彫りされてます。寒山拾得図ってたくさんあるけれど、そのうちのわりと有名な絵を模してる気がするのだが思い出せないわ。早速使ってみたら漢字を書く時墨の色が濃くでて、ちょっと字が上手に見えるの。いい墨。

 

 お料理じゃないのだけど、ここの店は熱いお茶(烏龍茶とジャスミン茶)がガラスのコップで出てきて、紙の袴をはいてる。このひだひだが好きで、一年に一度これを見るのを楽しみにしているの。

 

 これからは違うまとめ髪をしようと帰宅してから試してみる。太ってかつ顔はやつれて髪型はいいのだけどヒト本体が美しくないわ。老けるのは構わないのだけど、なんで綺麗なお婆さんになっていかないのかしら、悲しい。

 

 あと、1月の終わりの週に作ってみたもの。

 できたら一器多用がいいの。でも、このハートの陶器は一つのお菓子専用なのよね。なんでこれを私は持ってるのだろう。このタイプのチーズケーキは分量を本のとおりにしなければできないものでもないから、卵白やヨーグルトや何かが余った時にちょこちょこ作ればいいのかも。

 これは見てのとおり、パンです。

 治部煮的なお料理。

 鴨肉とすだれ麩で作るものだが、鶏肉で作ってます。書の新年会の中華料理の中にあった鶏肉の炒め物が美味しかったの。そぎ切りにして片栗粉まぶすという下処理をしてるからだわ、というところから、鶏肉に小麦粉まぶして煮るのをしてみようと思い立ったわけ。石川県の料理で治部煮というあれ。タイトルにある懐紙入れをデパートに買いに行ったから、地下一階に加賀麩もあるのじゃないかしらと探してみたの。そしたら、すだれ麩を作っている石川県のお麩屋さんの、別のお麩のみ売ってまして、仕方ないものね、それを入れてみました。

 先に食べ物まとめちゃおう、一緒にデパ地下でお菓子も。松江の朝汐という薯蕷饅頭。

 

 昨年の春、久々にお茶会に行ったとき、10代の頃から使ってる懐紙入れがくたびれはてていることに気づいて。お稽古事、どれかをお休みしないとお茶を再開する余裕がなく、お茶してないからそれきりにしてたの。何となく突然買いに行こって思って会社帰りに高島屋に。

 

 これです。手前のよ。これよりお安いのにも好きな柄のがあり、そちらに決めて会計しようとしたら、ポイントが貯まっていた。それなら、お値段はるほうにしちゃおうとなった。ものがちょっといいと取り出すたびに幸せな気分になれるものね。偶然、いつもお稽古に持っていってた出し袱紗(下の濃いめピンクの)と同じ店のでした。

 袱紗を買った時、私、箱に2006.5.4と書いといたのね。生家のそばの先生ではなく、その時の住まいから通いやすい先生、私にとって3人目のお茶の先生のところに通い始めた時。18年もたってるのね。日常がとても辛いものだった。お茶には幸せな人たちが来てて、なんかね、ずっとその世界にいたかったの。考えてみたら学校も同じだったわ。だから、「学校ではそれは許された」というRCの歌詞聞いた時、スゲ……って思ったわけ。

 辛い日常は戻らなくていいところで、自分が快適だと感じる場所はそこの住人になることを望んでいい世界だったのに、貧乏に向かう道ばかり歩んでしまった。物にあふれた生活が大好きで物が豊かなら心も豊かって人なのだけど、そういう人って本来は思い出のある物や古い物をとっとくの。でも、私の場合は辛かった時に持ってた物なのよね。最初から辛いとそれが普通なので、今ごろ、不幸だったっんだわと気づき始めたんだけど。与えられた物だけ持って自分で買ってはいけないっていう心のブロック強過ぎというのもあって。死ぬまでにどんどこ買い替えましょう。

 最近思い出してるのは、幼稚園ぐらいの時、押し入れの天袋とか要はすぐ使わない物入れとくような場所に、色々な毛糸を入れた袋があったこと。そのころはほどいて編みなおすなんてこともしてたのよね。ほどいていつか何かにしようととっておいた毛糸とか、余った毛糸とかだったと思う。古い家ではなく、田舎から東京に出てきて知り合い世帯を持った若夫婦が千葉県に建てた家だから、先祖が持ってた品なんてものは無い。毛糸が子供にはとても古くからある歴史ある家の宝のような古道具に見えた。親も家を建て替えても喧嘩して別居しても貧しくなって小さい家に越しても、使わない毛糸や端布をずーっと持って移動してたと思う。

 手芸素材って持っていたい物なのよね。それは素敵なことだから、持っているつもりなのだけど。親に持たされた感があるものは、物に不幸せが憑いてるみたいな気がする。自分で今揃えたらそれなりに大変(でもないかも。親から私たち世代の嫁入り道具ぐらいの時代のいい着物がネットオークションに安く出てるから、一部いいと高いのだけどうまく買えばねえ)な着物を全部買い換えるとかまではしなくていいけれどね。特に「自分で買ってはいけないという心のブロック」になってるものには本当に何か憑いてる気がするの。

 人生、買い物やおしゃれやインテリアづくりを楽しみにできるぐらい動けるのはあと25年よね。物は増やす主義(2回亡くなった人の住まいの片付けをして物を減らす必要はないと確信しちゃってる。全部持ってってもらうのに20万円ほどかかるのよ。冷蔵庫だのトースターだのガス台だのは残し使わない食器は始末してても、台所の棚の奥にいっぱい使わない道具が入ってても、必需品品目の体積と重さが大き過ぎて片付け費用は大差ないのよ。今の規模の住宅に詰め込める量の物品なら。物の終活って、片付け業者さんの電話番号を控え20万円用意しとくだけで、あとすることないのよ。道具好きな遺族がいるなら持ってるもののうちブランド物品目は作っとくとか、趣味で集めてるものが多ければ古本屋さんなどその趣味の物に強い店も一般の全部片付け業者さんの前に書いとくとか、その程度はしとくといいけど)。古い物は好きなほう。かつ、私の生家に繋がるものは要らない。これでいきましょう。

 

 私が大切に思っても、人はそれを壊してしまう。私が、持つほどの力量があるのだろうかと遠慮しているうちに、自信を持っていいものを手に入れてしまう人はそのいいものを壊してしまう。自信を持って持って趣味のわるいものに変えてしまう。私が欲しがると笑うのに。それなら私に持たせてみようと誰も言わないし。全てがもうとけてしまったみたい。