夏の散財はこの2冊 | 花月☆そうし

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 ボーナス月だから、ずっと欲しかった本をもう買ってしまうの。吉川霊華画集です。いまは展覧会図録の印刷がきれいで、それから高額な本の企画が難しいことも手伝ってか画集がそもそもないこともあるかもで、図録持ってればいいのだけど。このかたのは線が緻密すぎて、小さい図版だとよく見えないから大判の本が欲しかったの。

 

 布で隠れている字は畫よ。書じゃなくて。

 

 

もう一冊はアンティークジュエリーの本。名古屋の骨董屋さんがご自身が扱った品を写真におさめてるのです。このお店が数年前に東京でフェアをしてた時、写真のレースを買ったの。宝石はそんなに高くない欲しいもの(ジェットのピアス)もあったのだけれど、私のその月の生活費のあまりでは買えなくて持ってないの。お店の名前だけ記憶しておこうとぐぐったら本を出版されてたので本だけ買いました。著者さんの文体や生活に対する考え方もよくて、少しずつ夢のなかで読んでます。

 

 ずっと清志郎さんのことも考えてる。

 2年前は、なにが出てくるのか聞くのが怖い、ググるのが怖い、だった。私の性質で、作品として優れたものは恐くないのだけど。そうでない人の心の叫びやそれに対する感想に出会ってしまい「違うんだー」と思うと、「おまえがおかしいんだー」と排除されてった記憶がよみがえるせいだと思う、排除されたときと同じ気持ちに飛んでしまうのね。テレビをつけるとか本を開くとか、とてもストレスがかかることなのよ。「違って」たら怖いから。

 だれもまだあなたを否定してないのだから怖がらなくていいの、いいの。それにあなたまちがってないからね。まちがってないからこそ嫌われることがあっても、自分の人生に関係ない人からいやがられるだけだから問題ないの。誰にもそう言われたことがなく、自分で自分に言うのはとてもたいへんだったけれど、すこしずつ怖がらない心になっていく。

 だんだんにね。公式you tubeサイトを登録チャンネルのなかにいれて最新の発信を見るとかができるようになってきたの。明らかな単なる誹謗中傷、卑猥な書き込み(はしてもいい気もするが)以外、感想書き込みは消さないぞ、という覚悟があってこそ清志さんのサイトなんだけど、この曲はここがおかしいのじゃないかという書き込みではなく、ほかの男性をほめる書き込みが消されたわよwwwww。「まああ嫉妬して」と思えるだけ私自己肯定感高くないのに。誰をほめようが私を好きになる人はいないって思ってるのだから。私は一人なんだよ。助けてほしくても私を敵視する人しかいないの。

 だんだん怖くなくなってくる。公式サイトも見ようと思えるようになった。助けてほしい人が私を敵視する人でも怖くない、怖くない。

 

 ほかの人が考えてることについても考えてみた。

 you tubeでちらっと見てどこで見たのか忘れてしまった清志さんの歌の感想があった。「清志郎のことを聖人君子でいさせようとしてるはおかしい」と書いてあった。おかしいところがあると思ってるこの人はどう考えているのだろう。

 私は、清志さんは聖人君子なので聖人君子でいることが苦しくない環境に置いてあげなきゃ、と思うかな。つまり、「いっしょにいる人を裏切るとか別れるとかはあり得ないことで関係は円満に継続させてあたりまえ」という人なのだから、「別れたくないので円満な継続が快適なの、しなきゃいけない!って思う必要が無い、それがしたいことだから」という人間関係のなかにいないと、って。私と似たような意見持ってる人なのか、まったく違う部分でなにかおかしいと思ってるのか、知人だったら話してみたい。

 

 『baby a go go』の新装版(エグゼクティブプロデューサーは妻と息子さんで出たときに併記されてたレコード会社の人は消えてるそうだ。それはファンのサイトで購入した人に質問して教えてもらった)が出たのでその評論記事をアップしてる人がいた。よく読んでないのだけどね。

 ①〈ハングリー〉で人を否定しながら〈I LIKE YOU〉ではいいんだよって言ってるとか、②〈空がまた暗くなる〉では、大人だろなのか子供のころのようになのかよくわからないとか。そんなこと書いてあった気がする。

 ①はさ、人と合わない部分とかこの人はこの点は苦手なんだよなとかいう部分は、誰との関係でも誰にでもあり、でも別れないともう決めたんだから、ということだよなあって私は思ってた。〈I LIKE YOU〉って、難しい言葉知ってる人より知らない君でいいんだよ、じゃない? 「難しい言葉は知ってることも知らないこともあるけれどものの本質に気付く人、まあ有能なんだ、勉強はできてもできなくてもなにか持ってる人」が排除されてて、こういう人こそ「RC本物だぜ」って集まってきた人々なんだけどね。〈I LIKE YOU〉の人だと、時間が無い時はないなりにあるときはじっくりと質のいい仕事するとか苦手だろうから〈ハングリー〉に出てくるのと同じ人だよなあ。

 中小企業の社長さんが従業員さんたちに、君たちひとりひとりが価値ある人材だってはげますのはいいが、このタイプを子どもが嫁か婿にした場合は子供は外でサラリーマンになってもらって会社は継がせないのがいいわ。というのが〈I LIKE YOU〉〈ハングリー〉に現れる人物像。自由業の人は誰と歩もうとその人が好みならいいのでは?とはいかず、「僕を知ってって全部わかっていてくれる」人が遠くに行ってしまって会いたいよーという歌を作ることになっていったのよね。

 ②は、清志さんの作品ではなく心の病気日記のなかで、「詞が破綻してしまう」タイプの歌よね。〈すべてはall right〉や『RAZOR SHARP』のころは生き方に嘘がなかったからすっきりしてた。ほんとのことしか言わない人って子どもから大人になる必要がなくてずっと子どもだしずっと大人なんだけど。ほんとのこと言えない(実は愛し合っていませんてことかな)から子どものときしか本質に気づけない、大人だからもう泣かなくてうまく歩けると思ったら子どものときみた歩けなくなってる、みたいな感じかな。

 記事書いた評論家?さんもあれ?あれ?と思ってるのかなあ。

 

 大人だろって箇所と子どものころのようにって箇所を分けて聞いてるのかな、元気づけられる曲だよね、という感想言う人もいるのよね。好みはひとそれぞれだからそれもありか。

 清志郎の38年の作詞人生のうちの後半19年はおかしくない?って私は思うけれど、なぜかそういう話になっていない。もし私と似た感覚でいても、営業上言わないほうがいいのかな?という人もいるだろう。いたたまれなすぎて言い出せない人もいるのかしら?とも考えた。ほかに、一曲ずつ離して考える、一曲のなかでもこことここを離して考える、という聞き方してる人もいるんだ。きっと。

 

 公式サイトには、今の動きとして恵比寿の本屋さんでもイベントが載ってた。イベント名は

 忌野清志郎 魂の言葉展「君だけに書いてる手紙」

 キャッチコピーは

 すべての人が孤独なら 孤独なんてないのと同じさ すべての人に夕暮れが来て あたりがまっ暗な夜になる

 

 ソロ後清志郎全聞きを始めたとき、まず、88年〈夢中にさせて〉2006年〈night and day〉を聞き比べた。本に載った語録から採っているだろうから、後者の歌の愛の言葉はむなしく夜は暗いという気持ちになってからのことばよね。前者は愛する人といっしょにいると暗い夜が怖くなくなるの。

 人間みんな一人とかそういう哲学的?なものとしてはみんなが孤独ってなるけれど。下世話に、例えば家庭持ってる男性が家の外でつきあってる独身女性に、僕は妻といても孤独だから君とおんなじさ、みたくこれ言った場合はサイテーじゃんwとかも考えてみる。夜はあたたかく豊かな活動が営まれる時間で、だれかが隣にいるその時間の巣をふたりでこしらえて守ってくために生まれてきたのだから。

 

 私は「君だけに書いてる手紙」なのだから私だけに手紙が届いたと思うことにする。昨年の新(収録)曲〈涙をとどけて〉で君はひとりじゃなくて誰かといっしょなのと気にしてた(清志さんの曲中初めての思い浮かべてる女性にすでに彼氏がいるか気にしてる曲?)。私は、「私ひとりなんですけど」って感想持ったの。そしたら「私もひとりなんですけど」ってお手紙が来たって。

 

 餃子を皮から作ったら、皮を円形に伸ばせてないので縁がきれいじゃありません。朝昼二食分、冷めたもの食べるのいやじゃないので、いっしょに焼いてしまったら、一気に食べてしまいおなかがいっぱいに。