なんだろね。 | バベルの平屋
安定の遅刻率に満足しつつも、社員には申し訳ない気持ちでいっぱいです。


皆さんこんにばんちは、羽鈴です。


さて、今日は1945年に敦化事件(とんかじけん)が起きた日
敦化事件とは1945年8月27日に満洲国吉林省敦化(現吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)で、ソ連軍によって連日に渡り集団強姦され続けていた日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場の女性社員や家族が集団自決した事件。日満パルプ事件とも呼ばれてる。

事の流れとしては、8月26日夜明け、酒に酔ったソ連兵たちが短機関銃を空に乱射しながら女性たちが監禁されている各部屋に乱入して、女性たちの顔を確認しながら、気に入った女性たちを連れて行こうとした
女性たちは金品を渡したり、許しを懇願したが聞き入れられずに、次々に引きずり出されていった。
各部屋からは女性たちの悲痛な叫びが響いたけど、ソ連兵は構うことなく短機関銃を乱射し続けていた。
連れて行かれるのを避けるために女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどした。
が、ソ連兵による強姦は朝になっても収まることはなく、部屋に乱入して胸部をまさぐるなどして気に入った女性たちを何度も連行していった。

社宅と塀を隔てた工場に残されていた男性社員たちは、社宅の異変を察知するとソ連兵の監視を掻い潜り塀を乗り越え社宅に潜入したが、厳重な警戒が布かれている独身寮には近づくことができなかった。
ソ連兵たちは狼藉を続けるうちに女性たちの部屋の廊下に監視兵を置くようになったため御不浄や食事もままならないようになった。

女性たちは自身のおかれている状況や絶え間ない銃声から、すでに男性社員たちは皆殺しにあったのではないかと考えるようになった。

ソ連兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行は8月27日の深夜になっても収まることはなかった。

このため、28人の婦女子が集められていた部屋では自決をするべきか議論がされるようになった。

議論中にもソ連兵の乱入があり、隣室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、自決することに決した。

隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自決を図り、23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った。

他の部屋ではソ連兵に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性もいた。

8月27日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、女性たちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。

責任を問われることを恐れたソ連軍将校によって、これ以上の暴行は中止されることとなった。



戦争に負けたゆえの事件なのかもしれない。



まぁ、暗い話をしてもしょうがないので、明日からキャンプだっぜ!


2泊3日だっぜ!


ネタ考えないと・・・2日目夜の・・・


とりあえずLIFEネタは終わってからだな。


じゃ、ばいちー。