第五章 市ヶ谷(3)
【 十三号扉 】⑤
花山師は「平和の発見」の中で、獄中の死刑囚に接し、死刑執行の直前まで死刑囚と向き合った経験から、こう述べています。
戦犯者といえば、、日米の軍國主義に罪悪のシンボルのようにいわれている。したがって、よく過去に引用された「七生報國」の精神でこの世を去っていくようにも、想像されがちである。
しかし事實この人たちは、肯定者ではなく、そのもつとも痛烈な否定者として、この世を去っていつたのであった。それは、單に懺悔といった境地ではなく、これをなお數百歩もこえて、勝敗もなく、支配も被支配もない、個性もない、平等の平和を発見して、きわめてゆたかに、安らかに生涯を終えたのである。
(中略)
この人々は、絶對の平和が、この地上にも實現されることを熱願し、確信して、去っていった。
そしてこの書の最後を、この一言で結んでいます。
私は、こうした意味から、これらの人々ののこした、一つ一つの小さい足あとが、地上の巨歩となって、世界の正しい調和と、正義を實現するための渓流となることを、念ぜずにはいられない。
と...
今の世は
はたして花山師の念じた通りになっているんでしょうか...
