新京(12)
「武尅隊出陣 平台ヨサラバ」
遺品のノート、彼は特攻への決意を示した
いくら待ってもNHKからの返答はない
(結局来なかった)
まあこんなことはこれまで一度や二度ではないから、途方に暮れずともいくらでも策はある。
幸い橋本さんからもらった新聞記事の切り抜きの片隅に、番組を担当したディレクターの名前があった。もう何年も前のことだから、現在もその部署にいるとは限らないけれど、僕はその名前をもとに可能性のある人物を挙げて、そのプロフィールや職歴をたどって特定していった。
ちゃんと見つかるもんだね。ディレクターは、関西で昼の情報番組のキャスターとして活躍している、その人だった。迷わず番組宛てに手紙を書いた。
僕は今度ばかりは慎重に、丁寧に書いた。相手が特攻に対してどの程度の知識を持っておられるのか、それがわからないままに専門用語を並べても、いつぞやの学校の先生のようになりかねない。しかし、これもまた意外なほどすんなり返事が返ってきた。丁寧な返信だった…
が、彼の声は日本に帰ってきてはいなかった。
返信いただいた手紙の内容はこうだった。
たしかに番組制作のために何名かの特攻隊員の声は録音して持ち帰った。けれど武尅隊では小林大尉と伊福孝伍長(特攻戦死後二階級特進で少尉。以下「少尉」)の二名しか録音しておらず、彼を含む他の隊員については録音していない。
しかも長春ではこの特集番組以外で使用しないことを条件として録音を許されたのだそうだ。
残念だったけれど、このアナウンサーの親切な対応に本当に感謝している。
彼の声を聞きたかった。そしてその最後の兄の声を、英子さんに聞かせてあげたかった。
でも、長春に行けばそこに彼の声が遺されている。それだけは確かだった。
いつの日か、必ず彼の声を探し出してみせよう、綏中、新京、白城子、平台… 彼が辿った満州での痕跡を、いつか必ず辿ってみよう… 今でもそう思っている。
