大林宣彦監督作品「野のなななのか」(2014年公開)を劇場で鑑賞。
大傑作。久々に、心から感銘を受けた映画。
◆作品
舞台は北海道・芦別。滝川/新十津川と富良野/美瑛に挟まれた炭鉱の町。
主人公の葬儀に現れた謎の女性(常盤貴子)によって、8/15終戦の日に樺太に渡りソ連軍の襲撃を受けた主人公が負った凄惨な体験が解き明かされていく。
1945年8月9日、ソビエト連邦は日ソ中立条約を破棄し対日参戦、8/11より南樺太占領作戦を開始。8/15終戦後も戦闘は続き、8/25に終結した。
ソ連軍はさらに、8/28~9/5にかけて北方四島に上陸し占領。
北海道における終戦は8/15でなく9/5であることが、作品中で語られる。
スターリンは北海道北東部をソ連の占領地とするよう要求し、これが通れば釧路と留萌を結ぶ直線の東半分がソ連領となっていた可能性があった。
主人公の葬儀の場では、老人達が、ちょうどこの芦別のあたりがソ連とアメリカの国境になっていたかもしれないな、と思い出話を咲かす。
お葬式に親族が集う一見コメディ的なやりとりと、舞台演劇的な大げさな台詞回し。
独特な演出表現の中に込められたテーマ性。
大林監督が晩年にこんな素晴らしい映画を撮られていたとは。
映画公開当時の2014年に比して世界情勢が格段に緊迫している今、大林監督が遺したメッセージは限りなく重い。
大林監督によるこの映画への想いは、こちらのインタビューに詳しく。
◆制作経緯
制作費約1億円のうち、約8000万円が芦別市民の寄付でまかなわれた、とのこと。
大林監督作品を愛し、芦別を舞台とした映画を撮って欲しいと願う芦別市役所観光課職員が、大林監督に直訴し、1993年に大林監督協力のもと「星の降る里芦別映画学校」を開校。以後毎年、上映会と出演俳優等によるトークショーを開催してきたが、発起人の職員の方は1997年に急逝。その思いを繋いできた芦別市民の皆さんが、20年を経てついに制作実現したのがこの映画。
芦別での撮影の際は、多くの芦別市民がスタッフとしても参加協力し、出演もしている。
作中ではかつて炭鉱の町であった芦別が抱える諸問題が描写され、エネルギー問題に言及し、一方で息を呑むほど美しい芦別の四季の映像の数々がふんだんに盛り込まれている。
◆パスカルズ
映画の主題歌はパスカルズが担当し、出演もしていると聞いて、楽しみにして鑑賞。
パスカルズに参加する元たまのパーカッション石川浩司さんと古山菜の花さんとのジョイントライブを先日鑑賞したおり、「野のなななのか」が紹介され、主題歌が演奏されたことが、実は今回の鑑賞のきっかけ。
14名の大所帯のメンバーがどんな出演の仕方をしているのかと思ったら。
映画冒頭で森の中で全員整列して演奏。その後も芦別の町に、野に、脈略もなく作品中の随所に現れぞろぞろと隊列を組んで演奏を繰り返す。
元たま石川浩司さんはいつものパーカッションを叩き、知久寿焼さんはウクレレを弾く。
しかし、それが映画のストーリー進行を一切疎外せず、深みを与えているという、想像を絶する不思議で効果的な演出。
素晴らしい。
> どこからか聞こえてくる
> あの声はきみのこだまさ
> ずいぶん待っていたんだ
> 確かに君の声だから
>
> いつか会えるきっと会える
> 僕はずっとここにいる
「野のなななのか」、作詞:石川浩司/作曲:ロケット・マツ あかね。
◆CINEMA Chupki TABATA
今回鑑賞した映画館は、CINEMA Chupki TABATA。
目の見えない人も、耳の聞こえない人も、どんな人も一緒に映画を楽しめるユニバーサルシアター。
上映する映画は全編字幕付き。各座席にはイヤホンジャックがあり、音声ガイドや大音量での鑑賞ができる。
今回、音声ガイドのナレーションは大林監督の御息女・大林千茱萸さんが務め、このために新規に録音されている。
実際に、館内では白杖の方も鑑賞されていた。
「野のなななのか」は演劇的な圧倒的な台詞量があるため、字幕上映は個人的にも嬉しかった。
平日の17:30開始という勤め人には厳しい時間帯だったが、早退して鑑賞。
上映後は、同日に上映会が開催された北海道芦別からの中継で、出演俳優の皆さんによるトークショーが開催された。
出演者は、大林千茱萸、常盤貴子、村田雄浩、柴山智加、窪塚俊介、相澤一成各氏という豪華なメンバー(敬称略)。ほか、映画撮影カメラマンの方等も飛び入り参加。
芦別でのイベント終了後の夜、みなさんでの打ち上げの最中にカメラを回し、劇場キャパわずか20名のこの映画館の観客のために、撮影時のエピソード等ふんだんに語ってくださった。
伝わってくるのは、出演者の皆さんがこの作品、そして大林監督、芦別の町を心から愛していること。
この映画が多くの人に観られることを、公開後12年経った今も強く願っていること。
これだけの著名俳優さんたちが、事務所が違うにもかかわらず、この規模の劇場のためにトークショーを開いてくれるのは奇蹟以外のなにものでもなく。
上映後劇場スタッフさんから、私たちはこうして皆さんに繋ぎました、その先は皆さんに委ねます、との言葉があり。
この映画は人の繋がりから生まれ、人の繋がりがテーマであり、この先も繋がっていくのだろう。
◆余談・1
葬儀の参列者の1人、主人公の妹は稚内在住。
毎日、樺太を眺めて暮らしていると述懐する。曇って見えない日のほうが多いのだけれど、と。
数年前、日本最北端の地・稚内 宗谷岬を訪問したところ、樺太がすぐ目の前に見えて驚いた。
知床の羅臼や根室の納沙布岬からも、北方領土が泳いで渡れそうなすぐ近くに見える。
北海道にとって、いや日本にとっても、ロシアは最も国境を近くする隣人だということが実感できる。
どこか遠い地方の出来事では決して、ない。
◆余談・2
松重豊さんが泊原発職員として出演。
祖父である主人公の四十九日を機に、ある決断をする。
「なななのか」は四十九日の意味だが、2014年公開のこの映画は、2011/3/11震災からの四十九日をテーマの一つとしている。
映画の中で、福島県の相馬野馬追が重要なキーワードのひとつとして登場。
ここ数年、個人的に相馬野馬追に通っており、映画鑑賞の1週間ほど前にも訪問したばかりだったので、そのシンクロニシティにびっくり。
相馬野馬追が開催される南相馬市では、福島第一原発事故により放射線量が高い区域が避難区域指定され、1万4000人が避難を余儀なくされた。
その後、一部残る帰宅困難区域を除き2016年に避難指示区域は解除されたが、2026年5月31日現在、帰還者はいまだ4000人強に過ぎない。
震災後15年、野馬追の祭は毎年賑やかに開催されているが、避難後もとの居住地に戻ることができず、地域外からこの祭のために参加している人がまだ多数いる状況だという。
野馬追が、住民の繋がりと復興の支えになっている。
◆余談・3
2019年、新国立劇場で行われた名古屋の劇団・少年王者舘の公演を観劇した際に、常盤貴子さん夫妻が客席にいらっしゃるのを拝見した。
少年王者舘は、2015年「永遠の休憩」でパスカルズと共演。
それよりはるか以前、パスカルズのメンバーである知久寿焼さん、石川浩司さんがかつて所属したバンドである たま と少年王者舘は、合同公演「メンキ」で1988年に共演しており、現在に至るまで深い関係がある。
2018年に発売されたパスカルズのアルバム「日々、としつき」には、「野のなななのか」のテーマ曲が収録。
パスカルズのホームページには常盤貴子さんからのコメントが寄せられている。
PASCALS パスカルズ公式サイト - CD『日々、としつき』
常盤貴子さんのご主人である劇作家の長塚圭史さんはKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督を務めており、今年12月にはKAAT神奈川芸術劇場プロデュースで筒井康隆「ジャズ大名」が上演されるが、振付や出演に少年王者舘メンバーがクレジットされている。
いろいろ繋がっていそうでなんだか嬉しい。
「野のなななのか」の演劇的演出も、個人的に少年王者舘が感じられ、密かに嬉しくなった。
少年王者舘の主催、天野天街さんは2年前の2024/7/7、七夕の日に星になられた。合掌。

