万葉集 第三巻/大伴旅人 | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

万葉集 第三巻/大伴旅人

聖武天皇のころ・・・



天平二年(730年)庚午。冬十二月、大宰帥(大)伴卿向京上道之時作謌

【集歌446】
吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉

~吾妹子が見し鞆(とも)の浦の室木(むろのき)は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき~

【集歌447】
鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方

~鞆(とも)の浦の礒の室木(むろのき)見むごとに相見し妹は忘らえめやも~

【集歌448】
礒上丹 根蔓室木 見之人乎 何在登問者 語将告可

~礒の上(へ)に根蔓(かづら)の室木(むろのき)見し人を何在(いづら)と問はば語り告(つ)げむか~

右三首、過鞆浦日作謌



これにより、天平二年(730年)には、「鞆の浦」という地名として確立されていたことがわかる。