
「ペンは剣よりも強し」~中居さんは日本の最高権力者によって抹殺された~
中居正広さんが芸能界を引退されました。
私自身は、特に彼が好きだというわけではありませんが、
法によらない私刑が行われたことに怒りを感じ、
今後も週刊誌ごときの不確かな情報によって世論が左右され、
誰かの人生と名誉が毀損されることを懸念します。
周知の通り、この問題は二つに分けられ、
一つは、中居さんがもう一方の当事者のフジテレビに所属していた女性の間で
何かしらのトラブルがあり、そのことに対する示談金が支払われて、
示談が成立したという件です。
もう一つは、フジテレビのガバナンスの問題。
本件のトラブルを経営陣などに報告が上がっていたのに、
適切な対処を行わなかったという件です。
また、会のセッティングに社員が関わっていたかどうかの調査についても
批判されています。
前者のほうは、示談が成立しているとのことで、
当然、双方に口外禁止条項、守秘義務が示談書にあるはず。
しかし、現実には『週刊文春』により表に出てきてしまいました。
現在も口外禁止条項は生きているのでしょうから、
当事者はこの件について語ることはできません。
もし双方が口外禁止条項を守っているとすれば、
示談が成立する前に、当事者自身が第三者に話していて、
その者が話したか、
当初からトラブル自体を知りうる第三者が漏らしたのでしょう。
中居さんはこの件について、何も説明できないわけですが、
週刊誌は、当事者の言い分や状況、正確性を無視して、
一方的に情報を垂れ流し続けてきたのでした。
中居さんは引退しました。
ほぼ社会的抹殺ともいえる私刑が行われたわけです。
日本は法治国家であり、法律を根拠に刑罰が科され、
民事においても、法律を根拠に裁定されます。
しかし、本件では週刊誌ごときの情報が根拠となり、
彼は大きく人生を変えられてしまいました。
「示談って何?」という疑問もあります。
口外禁止条項があるのに、トラブルの内容が表に出てくるなら、
今後、類似のトラブルがあった場合、
当事者たちの対応にも変化が出てくるかもしれません。
ありそうなのは、"加害者"側が
"トラブルになった事実"を認めなくなるというもの。
示談したところで、このように情報が出てきてしまうのであれば、
示談書を交わしても無駄です。
"そんな事実はなかった"、
"双方に合意があった"を貫いたほうが得なのです。
それは"被害者"にとって有益なのでしょうか。
中居さんが道義的に問題がある行動をしたことは容易に想像できます。
ただ、容易とはいえあくまでも想像です。
言い分があっても、彼は語ることができないのです。
ペンは剣よりも強し
これは元々、ジャーナリストが
権力者に立ち向かう姿勢を表す言葉ではありませんでした。
エドワード・ブルワー・リットンの戯曲『リシュリュー』では、
17世紀フランスを舞台に、
軍を動かさなくても暗殺者をペン一つで抹殺できるという意味で使われています。
その最高権力者は、逮捕状や死刑執行の命令書などにサインさえすれば、
その者たちを抹殺できるのですから。
そのペンを持っているのは権力者なのです。
今、マスコミが最高権力者のごとき振る舞いを見せています。
そこには事実かどうかなんて関係ありません。
マスコミのペンが、誰を社会的に抹殺し、
誰を抹殺しないかを決められるのです。
また、芥川龍之介は連載の中で、
輿論は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である。たとひピストルを用うる代わりに新聞の記事を用いたとしても
輿論の存在に価する理由はただ輿論を蹂躙する興味を与えることばかりである
与論は、今でいえば世論に近い感覚でしょう。
私たちは「事実」と「事実とは確認されていないもの」を分けて考える必要があります。
皮肉なことにこの芥川の言葉は、
『週刊文春』の本体である『文藝春秋』の創刊当時の連載にあります。
以下にまとめられていますが、

青空文庫で読むことも可能です。
葛原輝「椿」