主人が社会人になったときの

最初の上司とは三十年以上前の出会いになり

上司部下の関係ではなくなっても

ご定年されて会社を離れられた後も

何かと気にかけていただき、

ご縁が続いていました。

私たちが結婚するときに

仲人さんも引き受けてくださり、

社交的でとてもやさしい奥様とも

お食事をご一緒させていただいたり

ご自宅で豪華なお料理をごちそうになったり

それは子供が生まれてからも続き

とてもよくしていただいてばかり

人とのご縁の温かさを学ばせていただいた

私たちにとっては大切な存在でした。

子供が大きくなるにつれお会いする機会が

少しずつ減ってきていたものの

主人は元上司の方と飲む機会があったようで

仕事で苦労している時期にも

元上司とお話をするだけで

力をもらってきて、また頑張るぞ、と

奮起していたようです。

 

ここ数年は元上司が御年80歳を超えるようになり

体力的な面と、

コロナもあってご無沙汰してしまっていまして、

少し前にお元気かなと2人で話していたところに

突然その方のお知らせが来たのは

お亡くなりになった

という悲しいお知らせでした。

ちょうどご無沙汰してしまった時期から

病気と向き合う生活をされていたと

あとから伺いました。

 

お別れ会の案内をいただきましたので

ぜひともこれまでのお礼を言いたい、

奥様にもご挨拶をしたいということで

少し遠方ではありましたが弾丸日帰りで

行ってまいりました。

 

会場には思い出の写真がたくさん飾られていて

そこに、何枚も主人が写っている

懐かしい写真があったので

改めてたくさんの思い出を共にさせて

いただいたのだといううれしさから

ひときわグッとくるものがありました。

少し早めに会場についた主人は

棺のそばに行かせていただきたいと

お許しをいただき

しばらく、じっと、その前に立ってた背中が

なんとも寂しそうで、

でも戻ってきた表情をみたら

寂しさの中にもこうやってしっかり

ご挨拶ができたことで胸の中にけじめが

つけられたという喜びもあったように

伺えます。

 

人は亡くなったときにそのひとの

人柄、存在感がよくわかるとも

言われていますが

元上司は本当に人望がある方でしたので

主人以外にも

定年退職した会社の多くの関係者から

見送られ、

また、趣味も多い方でしたので

地元の方もたくさん参列されていて

涙は出ましたが

明るく送り出してやってほしいという

奥様もまた素晴らしい方で

私自身も残りの人生を

どう生きたいか、とも考えますが

どう死にたいか、という逆の視点でも

考えてみたいと思いました。

人に多く囲まれたいと思うのであれば

そういう生き方を私はしていかなければ

さて、私はどうしたいのか。

 

好きな方とのお別れの時こそ

その方の生きてきた姿勢を見て

多くのことを学ばせてもらうような

気がします。