今日臨時で行われた課のミーティングは
急な案件を課員みんなで分担して
取り組んでほしいという内容で
課長からのその主旨説明という
目的だったのですが
実際お話を聞いてみたものの
何説明されているかちんぷんかんぷん
だったのでした。(言い方💦すみません)
何かを…
いけないらしいことだけ伝わったけど
失礼を承知していえば
もしかしたら課長自身が
そのミッションについて理解が
不十分のまま私たちを招集したのかもしれず、
実際、理解しようと一生懸命
聞いてみたものの
あまりに説明がぐちゃぐちゃのまま、
じゃ、よろしく
という状態でした。
この状況に私は頭の中にクエスチョンしか
浮かばず、
具体的に自分が何をやればいいかの
整理もつかないままだったので
さすがにちょっと待った!と
情報整理を求めたのでした。
課員一人ひとりに役割が与えられた
感じはしたけれど
全員で全体図を把握できていない状況なのではと
思ったからです。
思い切って上司に質問をしながら
さらなる説明を求め重ねていく中で
ようやくほかの人からも
「じゃぁ、こういうことですか?」
みたいな質問を追うようにしてくださり
じゃぁ、の次のじゃぁ、という感じで
少しずつ、少しずつすり合わせが
できたのでした。
ミーティング終了後のお昼休みの中で
一人ひとりが思うことを話していた中で
「自分だけ上司の説明を理解できて
いないと思っていた」
という発言がありました。
私が思い切った質問をしたことで
どうやら
「私だけじゃなかったんだ」
と安心したようなのです。
自分がわかっていないことは質問したく
なることに加え、
あえて、周りの人たちが言い出しにくい
であろう質問もあえてぶつける役割に
なっている気がするのですが
どちらかといえば
ことばの表現はともかく
噛ませ犬
的な役割なのかなぁと思うこともあります。
でも、
せっかく貴重な時間を集まって打ち合わせに
使って
その時間が「わからない」で
終わるなんてもったいなさすぎる!
わからないまま終わって後になって
「あれ、どういう意味なのかな」
とあれこれ想像したり考えたりするくらいなら
恥を忍んでその場で意図することを
理解していった方が
はるかに合理的だと思う自分がいます。
ただ、ひとりひとりの性格、職場の立ち位置
などからいいやすい、いいにくい、は
あると思っています。
それも踏まえたうえで、自分が聞いても
いいあるならば
悪者になってもいいような気さえします。
わからないを放置しない
それが結果的に無駄なく、合理的に
物事が進むように思うからです。
これは自分の価値観にも
影響しているかもしれませんので
ご容赦ください。